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十二月、あの流れた星

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図書館に本を返しに行った。普段は本なんか読まないのだが、学校の調べもので仕方なく借りに行ったのだ。学校付属の図書館は規模は小さいくせに別棟にあり、その道がひどく寒かった。調べもので借りた本は返却期限が長いからと先延ばしにしているうちにすっかりタイミングを失い、自分でも忘れかけていた頃に図書委員に言われて慌てて本を探した。返せることになったのは結局、終業式の日だった。こんな日まで図書館を解放している司書は、きっと仕事熱心なのだろう。
訪ねてみると、開いてはいたもののカウンターも図書館自体も無人だった。一応大きな声を出さないように一通り探して回って、カウンターの後ろの司書室もノックの後に覗いてみた。誰もいない。こんな日まで返さなかったのはわたしだから、待っておくのが礼儀だろうかと思いながら司書室に入った。ストーブを切ったばかりのようで、暖かかったのだ。やっぱりこんな日に図書室を訪ねる物好きはいないのだろう。借りた本を鞄から出して、机のうえに出した。そこで、机に積まれた、古い本に気が付いた。
シリーズものの児童書で、順番は関係なく積まれている。『おひさまのくれたひ』『いつかりゅうにのって』『コロコロとよるのくに』『まほうつかいのサラマンダー』…ビニールカバーもない背表紙に、簡単な文字が可愛らしく並ぶ。それなりに古い本だ。たぶん、十年くらい前の。そう、もう、そんなになる。
司書に声をかけられて、びくっと肩が跳ねた。見られたくないところを見られた気分だった。その本、読んだことがあるの?口調の明るい司書はそう話し掛けてきた。逃げてしまいそうになったのだが、机のうえの借りたままの本がそれを止めた。曖昧に言葉を濁して、学校の図書館には珍しい本だと誤魔化すと、これは私物だといわれた。気に入ってるから職場にまで持ってきたけれど、休みになるから持ち帰ろうとしたら、結構重くなりそうだと。
「大人でも、こんな子供向け、読むんですか?」
司書は大人だからと答えた。はじめてこれを読んだときも、わたしは大学生だったけれど、これを読むといつも変わらず、人の優しさが身に染みるからと。

そのぼうやが不思議な国を次々に探検するシリーズの著者は、十二年前に児童文学作家としてデビューした。それから細々と低年齢向けの本を出していたが、ある時、『嵐の刻』という長編を出してからはむしろ幻想作家として著名になった。それからのこの作家の作品はどれも緻密で厳格な世界観と美しい文体で高い評価を受けている。けれど、それ以来児童向けの物語は発表しなくなり、このシリーズは未完のままなのだ--そういったことを司書はやけに詳しく教えてくれた。知っている。何となくだけど、知っていたことだ。このシリーズがあまり評価を受けないのは、未完のまま長く放置されている所為もあるという。このまま消えてしまうのは惜しいと、司書は残念そうに表紙を撫でた。でも、きっとぼうやは帰ってこない。不思議の国まで行ったきりだ。物語は未完のまま。きっと、ずっと、永遠に。

永遠――という言葉の意味を、考えたことがあるだろう。人生は一度きり、その切迫を、何よりもよく教える言葉だ。たった一度の機会と思えば、それにしがみつこうと焦りを覚える。けれどその浅ましさにも同時にいたる。諦めと焦りの折り合いを探す言葉、それが永遠だ。機会は失われ、時間は戻らない。
えいえんに、と呟く。終業式の日から、その言葉がずっと、細胞のどこかに張りついている。
町中を歩けば、人通りの多い道は年末の三連行事を控えてきらきらと明るい。美しいイルミネーションだが、その中にはいつもよりずっと多くの影が見えてしまって焦点が合わない。やたらと多くの電飾で飾られた家の、内側を想像するのは捻くれ者だろうか。
高いところに立つと、住宅街の屋根を見下ろせる。マンションの明かりや、アパートのベランダも。あの中にはそれぞれ生活があって、人はそれぞれ悩み苦しみ傷つき痛み生きているのかと思うと、どうして孤独があるのだろうと不思議に思う。一軒家の屋根を見下ろすと、殊にそうだ。こんなにたくさん人がいるのは、いったい何の為だというのか、わからない。ひとりぼっちを、悲しく思う。

決心して訪ねてみれば、あのひとは当たり前のように留守だった。あつらえたような幸運は、むしろわたしに恐怖をもたらしたが、それでも唇を噛んで中に入った。ここのマンションはオートロックだが、警備員が常駐しているわけでもない。入ろうと思えばいくらでも入れたし、わたしは鍵も持っていた。エレベーターを上がり、部屋のドアも叩いてみる。返事はなかった。それに少しだけ違和感を覚えたが、無視して鍵を開けた。すべての部屋を恐る恐る確認して回っても、あの人はやっぱり居なかった。あのときと同じだ。いたのは仕事部屋の「妖精さん」だけだった。
暴力が怖くて、じりじりと近づいていくと、「妖精さん」は怒られるんじゃなかったのかよと挑発的にいった。怒られないよ。もう。ぼそりと呟く。変なことするなと念を押して、脅し用に床にリビングから持ってきたブロンズ像を置いた。片膝をついてそばにしゃがむ。鎖は布ごしにまいてあって、どう受けとめればいいか分からなくて困ってしまう。
おそらく「妖精さん」は、ここでの事を喋ったりはしないだろう。そもそも全うな目的で入ったわけでもないのだし。だからわたしの心配は、あのひとのことだけだった。早くしなければならない。あのひとが帰ってこないうちに。そればかりで手元が焦って、注意が疎かになっていたのだろう。
ようやっと鎖を外せて安心したわたしに降ってきたのは、嘲笑と、痛みだった。

作品名:十二月、あの流れた星 作家名:七瀬