コミュニティ・短編家
お題・子供
「おばあさま!」
豊かな金髪の少女が部屋に入ってきた。
歳は14、5歳。
その美しい青い瞳はうっすらと涙の筋に縁取られている。
その少女をちらりと見、肘掛け椅子に腰掛けていた貴婦人は静かに微笑んだ。
彼女からは年老いてなお溢れる機知と美しさが見てとれた。
「おじいさまっおじいさまが…亡くなった…と。」
婦人は呆然と立ちつくす少女にもう一度微笑み、
「えぇ。先程、私の手製のチェリー酒を飲んでいる最中に。心臓発作でね。」
と応えた。
少女は一瞬息を止めると、ハラハラと泣き崩れた。
彼女は祖父を愛していた。
婦人はそうして泣いている少女に温かな慈愛の視線を向けながら、そっと顔をあげさせた。
「ほら、もう泣くのはよしなさい。いい歳だったんだもの。あの人も、私もね。」
「…でも、だっておばあさま…。そうね、泣いてちゃだめね。」
少女は涙をそのピンク色の頬にのせたままにこっと微笑んだ。
それから、フッと呟くようにして尋ねた。
「…そういえばおばあさまとおじいさまはお見合いをなさったのよね?」
「えぇ。」
「…じゃあ私たちみたいなロマンスとは無縁だったのね。それはまぁ、おじいさまはとてもいい方だったけれど…。」
少女は遠慮がちに祖母を横目で見つめる。
貴婦人は憤慨したような調子で、しかし嬉しそうに微笑みながらその無遠慮な質問に応えた。
「あら、失礼ね。もちろんロマンスはあったわよ。」
「まぁっ…お話ししておばあさまっ私是非聞きたいわ。あ、こんな日にそんな話をしたらいけないわね。」
活気づいたと思ったらあっというまにうなだれてしまった孫娘を見て婦人は笑う。
若い頃の自分よりずっと子供に、そしてずっと大人に見えたのだ。
「若い頃のロマンスのひとつくらいあの方も許してくれるでしょう。なんといっても可愛い孫娘の頼みなんですから。…いいわ。」
少女はパッと顔をあげた。
好奇心に満ちた表情で。
「そう…それは私が14歳の春だった。ちょうどあなたと同じくらいね…私は求婚をされました。」
少女は驚きに満ちた瞳で口を手で押さえて祖母をみた。
白髪混じりの髪は、優雅に美しく結ってある。
「彼は言ったわ。『僕は初めて守りたいと思える女性を見付けた、それが貴女だ。』とね。でも私はとてもおてんばで勝気な少女だった。だから、彼の低い背や…細い、一日中本ばかり読んでいそうな白い体が気にくわなかったの。それからそのもの言いもね。…私は言った。『守りたいなんてとんでもない。私をなんだと思ってらっしゃるの?本当に私を好きならば共に人生を歩みましょうと言えばいいじゃない』…。彼はしょんぼりと帰って行ったわ。ところがよ、今度は私が病気のようになってしまったの。」
「おばあさまが?!」
祖母はもうかなりの歳であるのに今でも背筋を伸ばし、きびきびと歩いていた。
日曜には時折乗馬もしている。
そのため少女には今よりもずっと若く健康だったはずの祖母が寝込んでいる姿などとても想像できなかったのだ。
祖母は片目をつぶってみせた。
「えぇ。極端な性格だったの。今時の(もちろん当時にとってのね)女性は教養もきちんとつけなくてはだめだわ、とある日突然猛勉強をはじめたの。それまで庭や森で駆けまわってばかりいた少女が突然多い日では1日に18時間も机に向かいだしたのよ。3ヶ月めの朝食中、私は突然前ぶれもなく後ろにひっくり返ったの。家族はおお慌てで医者を呼びに行った。すっかり痩せ細っていた私はすぐにベットに寝かせられたわ。そこでも結局1日中本を読んで過ごしていた。…そしてその歳の冬、私の元にお客様がやってきたの。」
少女はいたずらっ子の様な顔でにやりとする。
「…さっきの、少年ね。」
貴婦人もにやりと口許をあげ少女に応えてやる。
「…私は目を見開いた。彼は私が倒れたことを聞いて急いで車を走らせやってきたのよ。そのせいか少し汗をかいていた。けれどそんなものは彼の魅力を助長させるものでしかなかったの。つまり、彼はそう、最初は私を守るつもりでとても無茶な、不健康な鍛えかたをしていたのよ。…ところが私の無責任な発言を素直に受け止めて共に人生を歩める程度の運動に切り換えたのね。…再会した時にはすっかり身長も伸び、体も鍛えられた、素敵な青年に成長していたわ。ところが一方の私は青ざめた真っ白な顔をしてベットに寝ているんですもの。恥ずかしくてたまらなかった。…けれど同時に嬉しかったの。彼がそこまで私を愛していたのだということがわかったから。」
…祖母はそこまで話すとおもむろに立ち上がり、小さな引き出しへと向かっていった。
くるりと椅子に戻ってきた時、彼女の手には一枚の写真が握られていた。
「ほら、これがその時の写真よ。母が立派な青年の来訪に喜んで、仕事のついでに遊びに来ていた又従兄弟の写真屋に頼んで撮ってもらったの。…古いものだから、少し見にくいのだけれど。」
少女はもどかしげに手を伸ばし、写真を見た。
それから、ほうっと溜め息をついた。
「そんなおてんば娘がこんな可憐な美少女になっていたんだからきっとこの方もさぞ驚いたでしょうね。…なんだかおばあさまじゃないみたい。」
祖母は無邪気な孫娘に柔らかく苦笑する。
「まぁ私も歳をとりましたからね。…それからよ。私たちのほんとのロマンスが始まったのは。…彼は私に運動を復活させ、私は彼に勉強を復活させたの。つまりは毎日の様に時を過ごしたということ。そして晴れて二人とも活力溢れる有能な若者に成長したというわけ。それからすぐに彼は戦争へ行ってしまったんだけどね。私は料理が今よりずっとへたくそだったから、『君の殺人級のミートパイを食べるまでは死なないよ』と言って彼は去っていったわ。」
…貴婦人は息をついた。
少女はそこで、祖母の物語が終わってしまったことを悟った。
少女は感慨深げに、そっと尋ねた。
「…そのかた、今は?」
貴婦人は窓を見やった。
白い鳥が湖の方へ吸い込まれていった。
「死んだわ、チェリー酒を飲んでる最中に。」
少女はハッと息をとめ、祖母の肩を抱いた。
貴婦人は、静かに一滴の涙を流していた。
「あの人ったら、最期なんて言ったと思う?『君のチェリー酒は殺人級だ』、ですってよ。」
作品名:コミュニティ・短編家 作家名:川口暁