コミュニティ・短編家
お題・ぎこちない×透明感×シャンプー
「じゃあ、また来るね」
僕はぎこちない笑顔だなぁと思いつつ彼女を見送る。
史子の白いワンピースがひらりとドアの影に消えていく。
僕はその残像に黙って手を振った。
最近の僕は周囲の変化に敏感だ。
そして何より、僕自身の変化にも。
何だか自分がだんだん溶けていくような感じがするのだ。透明感が増していく、というか。
比喩的な話なのだが。
窓から外を見ると蝶々が翔んでいた。
そんな風な小説の光景がなかったっけかと僕は考える。
多分逃避したいのだ。
でも僕はつい現実を見てしまう。
特に、史子が帰ってしまったあとには。
心がぽっかりと開いて、でもその穴には史子が入っていたわけではなく、ただ彼女が蓋代わりになっていただけなのだ。
蓋の外れた魂には風がひゅうひゅうと吹きこみ僕の体は指先まで冷えてくる。
あっなんとかしなければ。
…僕は帰ったばかりの史子に電話した。
こんなことは初めてだ。
まだ駐車場にいるだろう。
僕が電話すると史子はすぐに戻ってきた。
部屋に入る瞬間まではきっとこわばった顔をしてたんだろう。
笑顔はやはりぎこちなかった。
「どうしたー?」
史子がへらへらと笑いながら近寄ってくる。
僕は彼女を感じたくてたまらなくなる。
思い切り抱きしめたい。
噛みつきたい。
爪をたてたい。
殴りたい。
わかりやすすぎるほど彼女を感じたい。
でも、今の僕にはそんなこと出来ないし、例え出来たとしてもしないだろう。
「髪」
「え?」
「髪、洗って。」
史子は一瞬困った様な顔をした。そしてすぐに
「しょうがないなぁ」
と笑った。
ふわりとした笑顔で。
僕は史子の手をかりて部屋に備え付けの洗面所へ向かう。
つまずきかけた史子は笑う。
きちんと、笑う。
「どこかかゆいところはありませんかぁ?」
史子の指が僕の髪をかき混ぜる。
史子がいる。
そして僕がいる。
シャンプーの香りがあたりを柔らかく包む。
「史子」
「ん?」
「俺いつまで生きられんの?」
史子が小さく息を飲んだのを感じた。
僕の周りの人間は皆いいやつだ。
そしていいやつらほど隠し事が下手くそだ。
こんなあからさまに広い病室と見舞いの人の多さに疑問を抱かない人間はいないだろう。
史子はあほだ。
みんなあほだ。
そしてみんないいやつだ。
…史子は答えない。
目をつむっていた僕の唇に水滴が落ちてきた。
「ごめ…シャワーが…」
史子はおかしなトーンの声で言う。
僕はシャワーの水滴の味が妙に塩辛かったことを黙っていた。
作品名:コミュニティ・短編家 作家名:川口暁