箱庭都市
今日、私は住み慣れた村を飛び出して、この街へとやってきた。辺りは見慣れない景色ばかりで、私はまるで異世界に来たかのような気分になる。緑と茶色ばかりの故郷に比べて、様々な色が踊るこの場所は私にとって未知の世界だった。
キョロキョロと辺りを見渡しながら、私は目的地を目指す。比較的少ないとはいえ、引越し道具を持っての散策は体に負担を与えた。好奇心が体を支配していた私には、大した問題ではなかったが。
歩いて行く先々には見慣れないものばかりだった。花より苗木の多い花屋さん、魔法の道具でも売ってありそうな薄暗い雑貨屋さん、その隣には驚くほど明るくカラフルな魚屋さん。たくさんの犬の声が響く大きなお屋敷もあれば、仲の良さそうな夫婦が住む小さな愛らしい家もあった。この場所にある全てのものが、私にはとても魅力的に映っていた。
しばらくそうして街の景色を楽しんでいると、とある建物に辿り着いた。外から八つの扉を見ることができる小奇麗なその建物が、今日から私が住むことになる『猫山荘』だ。その名の通り、建物のあちこちでたくさんの猫がくつろいでいた。
『猫山荘』の玄関を開け、私は中に入った。
猫は建物の外だけでなく中にもいたようで、そこでも何匹かの猫を見ることができた。ポストの上で寝てる猫や、優雅に階段を降りる猫。数多くの猫がいるが、どいつも私に興味を示す様子はないようだ。
足元にいる猫を踏まないようにしながら、私は奥にある扉へと近づいて行った。そこには『管理人室』と書かれたプレートがかけられている。私はその扉を叩いた。
「はいはーい。そんなに強く叩かなくも分かりますよー」
軽いノックのつもりだったのだが、少し力が強すぎたらしい。中から聞こえる女性の声に怒られてしまった。
少しの間扉の前に立っていると、扉を開ける音と共に一人の女性が出てきた。歳は二十代後半、黒い髪を真っ直ぐに伸ばした美しい女性だった。
「あ、あなたが、今日引越ししてくる予定の方ですね。初めまして、ワタシがここの管理人ですー」
見た目からは想像できないような幼い口調で、彼女は『猫山荘』の説明を始めた。
一通りの説明では、特に気になることはなかった。少し変わった人が多いのだとか笑いながら言っていたような気もするが、あえて聞かないことにしておいた。
「あぁ、そうそう。お家賃のことですけどねー。猫ちゃん一匹につき、一割ほど割り引かせてもらってるんですよー」
「……え? 猫?」
しかし、管理人の思いがけないこの言葉だけは聞かないふりをするわけにはいかなかった。猫で家賃が安くなる、そんな話があるのだろうか。
「はい、猫ちゃんです。猫ちゃんを連れてきてくれた人のお家賃を安くさせてもらってるんです」
はっきりと彼女はそう言った。
「えっと、なんでまた?」
「だって、ここは『猫山荘』ですから。猫ちゃんがいないと『猫なし荘』になっちゃいますよ」
当然だろうと胸を張って主張する彼女に私は何も言えなくなってしまった。しかし、考えてみればこの都市には私が知らなかったものがいっぱいある。家賃の猫割引も私が知らないだけで、意外と一般的なのかもしれない。
「説明はこれぐらいですね。何か質問はありますか?」
もう私の中にも一つも疑問などなかった。猫で家計が助かるのならいくらでも連れてこようではないか。
私は笑顔で彼女に言った。
「ありません」
◆ ◆ ◆
あれからもう一か月近くは経っただろうか。
『猫山荘』の暮らしにも慣れた私は、この街に随分となじんでいた。
「あら、村人さん。こんにちは」
買い物に出かけようとしていた私は、声のした方へと向きを変える。「村人」というのがここでの私の名前だった。
「あぁ、落ち葉さんこんちには。お仕事ですか?」
私は話しかけてきた女性に挨拶を返した。
茶色いスカートを着る彼女の名前は「落ち葉」だ。私も彼女も気が付いたら周りからそんなふうな呼び名をもらっていた。
「えぇ、そうです。村人さんはお買い物?」
私の持っているカゴを見て、彼女は言う。
「そうですよ。明日管理人さんがパーティーを開くらしいので、その買い出しです」
「まぁ、また? 本当に管理人さんはそういうのがお好きね」
落ち葉さんはにっこりと笑う。管理人のパーティ好きは『猫山荘』住人の常識だ。
「なら、明日を楽しみにしておこうかしら。じゃあね、村人さん」
「お仕事、頑張ってくださいね」
落ち葉さんを見送った後、私は食料店が並ぶ一角へと向かって歩き出した。
頭の中で何を買うべきか考えながら、不思議なこの街を歩いていく。
私がここに来て一か月。どんどんこの街は変化し続けた。買い物に行ったらお店が増えてたり、なくなっていたり、場所が変わっていたりするのはよくあることだ。最初は疑問に思っていた私だったが、いつしかこの状況を楽しむようにさえなっていた。
目の前にある曲がり角を左に進めば、そこに現れるのは魚屋のはずである。しかし、その前にそこにあったのは花屋だった。
今日は一体何屋になっているだろう。期待しながら、私はゆっくりとその角を左へと曲がった。
そして、そのままゆっくりと、世界は暗転していった。
◆ ◆ ◆
「あれ、この前作ってた街も壊しちゃったのか?」
中年の男が一人の女の子に問いかける。
「うん。もうあきちゃった。つぎはもっとすごいのつくるの」
男の問いに女の子は無邪気に答える。手元には街の残骸があった。
「そうかぁ。パパ、猫のアパート好きだったのになあ」
父親と名乗る男は残念そうに言う。少女はそれ見て笑った。
「じゃあ次もつくってあげる。それならいいでしょう」
少女が嬉々として語る横から、別の女性の声が飛ぶ。その声はひどく疲れているような声音だ。
「……どうでもいいけど、もう落ち葉を拾って遊ぶのはやめなさいよ。どうせゴミになるんだから」
「はぁーい。もう、ママのいけず」
母親の言葉に少女は不満げだ。
「こらこら、そういう事を言うんじゃないぞ」
「はーいパパ」
「それで? 次はどんなのにするんだ?」
「うん! つぎはね…………」
おわり