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ブラックサバス・レプリカント

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「人を傷付けるってことは自分も傷付けるってことだからさ。本当は弱い人間だったりすると、耐えられないんだ。心は逃げ道を探そうとする。その一番高い所にあるものが、狂気だ」
 彼女の目を、じっと見据えながら、逸らしもせずに、言う。
「最初に屋上の外側にいたのは僕だった。僕たちは、生きることが嫌いだったから、自分を傷付けることに躊躇いがなかった」
 語り聞かせる。幼い子供にするように。実際、今の彼女の状況を思うと、それも真実なのかもしれない。
「始まりは、僕が癌になった」
 それも気付いた時には末期だった。まったく笑えない絶望だった。
「僕の命が、そうやって終わっていくことが解っていた僕たちは、一緒に逝こうって決めた。僕も、すぐにそのつもりになった。赤い糸が、繋がってるとか、信じてたからね。結構、ロマンチックなんだ、これでも」
「あ……」
「思い出した?」
 僕は前髪を捲ってみせる。
 彼女の持っている頭蓋骨に空いているのと同じ、小さな丸い穴が、僕の中にも空いている。
「酷い話だけどね。君が、壊したんだ」
 順番は籤引きで決めた。
 彼女は『道具』を用意することが出来る立場にあった。
 全ての手順は整っていた。
「まず君が、傷付けた。そして、君が裏切って、君が放り投げて、君が逃げ出したんだ」
 僕は、語調に怒気が入っていなかったか丁寧に反芻する。それが、僕に出来る精一杯の抵抗だったから。
「これも、見せとこうか」
 そうやって、僕は、左手の手袋を外す。
 四本の指が、外部に露出される。
「小指がないのは、それでも最期に僕が許したから。絆ごと、断ち切ったから。でも、君は許さなかった。君自信を許さなかった。だから僕は、君の中にまだ生きている。君を『許さなかった』僕が」
 そろそろ理解してもらえた、と思う。
 その表情に、絶望と後悔が混じり始めたからだ。いつもこの瞬間だけは、僕の心も痛む。
「だから、僕の意思で君を許すことはできないし、」
 彼女に向かって足を一歩踏み出して、
「消えない罪は、溶かすしかないんだ」
 そのままそっと口づけをする。

 呼吸まで止まるような時間が終わると、唇の離れた場所から、腐臭がする。
 そこから、現実に帰っていくのだ。
 本当の罪は、こんなにも臭う。
 僕と、僕の頭蓋骨が抱えた贖罪は、こんなにも醜い。
 ぐにゃりと、周囲の光景が歪んだ。
「あ……」
 彼女の持っている頭蓋骨が、どろりとした腐液へと変化していく。
 それを掻き集めようとする動作も、最早緩慢なものになって、縺れた糸をほぐすように、世界は、移行していく。
 次のフェイズへ。

 最期に、彼女を見る。
「早苗!」
「え……?」
 僕は言葉をもう発することができない。
 だから、表情で、伝える。
 大丈夫だ。
 何も、心配はないよ。
 だから、そろそろ、自分を傷付けるのをやめるといい。
 僕は君のために泣くことさえできないから。
 そうやって溶かす。
 浄化する。
 今日こそ彼女の融点に、0.1度でも届けと願う。
「さよなら」
 そんな風に、うまく口が動かせたかどうかは、あまり自信がない。

 * * *

 そして。
 僕は、またそこに居ることに気付く。
 もはや意識とすら呼べない慣性に、肉体のような価値が付加されていく。
「ん、動く」
 であれば。
 彼女は、今日も闇を纏って登校してくる。

 まだ僕が存在しているということは。
 まだ罪が許されていないということ。
 僕の存在が罪そのものであるということ。

 遠くから、登校してくるのが見える彼女に向かって、僕は小さく呟く。
「おはよう、僕のサロメ」
 決まり切った言葉だ。
 だが皮肉なことに。
 そうやって爛れきった猶予を、糊代のような時間を、その中に生きている彼女を、美しい、とも思う。
 もう僕ではなくなってしまった僕の一部がそう思っている。
 今、離れた小指は何処に繋がっているのだろう?
 それでもたった一つ思うことは。

「いつか彼女が自分で自分を許せますように」

 祈りを込めて、そううそぶく。
 踏み出していく。
 頭蓋骨を持った少女に、今日も冷たい声をかけられる。

 黒鷺早苗には今日も夏は来ない。
 僕はまだ、それを待ち続けている。