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ブラックサバス・レプリカント

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黒鷺早苗には夏はない。

 そう思わせるほど季節感のない彼女は、こんな暑い日和の下でも漆黒のロングコートを羽織り、制服の下には、これまた黒い喉元まで覆うタートルネックのセーターを仕込み、今日も悠々と登校してくる。
 端から見るその姿は、さながら西洋の黒魔術師のようで。
 そして何より、その印象を決定付けるのは、彼女が両手で胸に庇うようにして構えている、白い髑髏(しゃれこうべ)の姿だった。
 それはアクセサリーと呼ぶにはあまりに強烈に、周囲の人目を惹いた。惹いてなお、忌避させる存在感があった。何しろ、どう見ても人骨である。人骨を持ち歩く少女など、正気の沙汰ではない。
 ないからこそ、僕にとっては好都合で、学校の正門を過ぎた当たりで、僕は手を挙げて彼女に話しかける。
「おはよう、サロメさん」
 僕は彼女をそう呼ぶ。愛する者の首を欲しがった、聖書上の女性の名。
「……誰」
「やだなあ、同じクラスの白楠だよ。忘れないで欲しいな」
「……変な渾名付けないで」
 そうやって、またぴしりと強い眼光で射抜かれる。
「はい。じゃあ、黒鷺さん。これでいいかな。おはよう、黒鷺さん」
 莞爾として笑いながら、再び彼女の名前を呼ぶと、
「……おはよう」
 彼女はぶっきらぼうにしぶしぶ返事をする。
 僕の名前は呼ばれないし、たぶん憶えてくれることもないのだろう。
 仕方がないので、隣に並びながら校舎まで歩くことにする。

 と。
 ぴとり。
 彼女が歩みを止めた。
 ぱたり。
 仕方ないので僕も止まる。
 暫くすると、彼女は再び歩き出した。それを受けて、僕も歩き出す。
「……つきまとわないで」
「どうして。同じ教室に行くのに」
「一緒に来ないで」
「そういう法律でもあるの」
「……あんまり巫山戯ていると」
 そこで、彼女は、きっ、とこちらに向き直り、髑髏から離した片手をコートの中に入れ、さっと腕を振り翳した。
 瞬時にして、僕の目の前には、鋭利な刃物が剥き出される。手術用メスだった。
「死ぬことになるわよ」
 当たらなくとも、斬撃の速さだけで、僕の目の下まで伸ばした前髪が二、三本はらりと落ちたような気がする。
「……かっけえ」
 ぽつりと僕は呟く。
「……は?」
 言ってから我ながら失言だと思ったが心底から湧き出た言葉なので繕いようがない。
「あ、いや、ねえ。そういうのも僕好きだし、練習したこともあるし。なんつうか、その、すいません、ビビるより先に感想が出ちゃって」
 呆気にとられる彼女に向かって、でへへ、と頭を掻きながら悪意のない笑顔を向ける。
 彼女も、はあ、と溜め息を付きながら、得物を再びコートに仕舞い込む。
「ごめんよごめんよ。じゃあ、ねえ、いっこだけ。いっこだけ聞いてもいいかな?」
「……何よ」
「その頭蓋骨を持ってる君は今、幸せ?」
 意外な質問に、面食らったのは彼女の方だった。暫しぽかんとした後、おずおずと答える。
「……幸せよ」
 そうか。それだけ確認できたので、僕は満足する。
「じゃ、また後で」
 そう再び挙手すると、理解不能という顔のままの彼女を残して先に校舎に入る。僕がいたのでは、彼女も入りづらいだろうから。

 * * *

 退屈な午前の授業が終わって、昼休みになった。正確にはなっていたようだ。
 推量形なのはまあ今まで寝ていたので意識がないからだ。
 屋上に向かうと、いつものように彼女が屋上の縁で、足をぶらつかせながら担保のない危険な遊戯に耽っていた。もちろん、基本的に屋上は立ち入り禁止である。
「よいしょっと」
「ちゃっかり隣に座らないで」
「もう昼飯食べちゃった?」
「ええ」
「その髑髏に弁当を入れたり飲み物を入れたりしてないんだ?」
「……そんな戦国武将みたいな真似はしないわ」
 でもそれ以上立ち去れとも、場所を変えろとも言われなかったので黙って僕もパンを食べ始める。手袋をしている手では、袋を開けるのにも難儀する。その様子を、彼女はちらりと見た様子だったが、それ以上詮索もせずに再び足をぶらつかせる。両膝の上には、変わらず髑髏を構えたままで。
「その髑髏さ」
「……」
「壊れてるよね?」
「穴が空いてるだけ。壊れてるんじゃないわ」
「あ、それは知ってる。ほら、そこ。左の側頭骨のとこ。欠けて剥がれかかってるよ?」
「!?」
 狼狽した彼女は、そのまま身体のバランスを崩しかけたので、そこを僕が支える。
「え……あ……ほんとだ……どうしよう……とれかけてる……」
「ん。とりあえず、ここに一辺置いてみ?」
「うん……」
 とりあえず昼食を脇に置くと、僕は震える彼女の手から髑髏を取って、屋上の縁から少し離れた所に鎮座させる。自然に、二人で四つん這いになって一つの髑髏を挟む形になる。
「やだ……戻らない……嵌らないよ……」
「綺麗に欠けた訳じゃないんだね。きっと、余計な力で壊れたんだ」
「やだ……こま、困る……」
 そうやって、泣き出しそうな表情で、僕の方を見てくる。見つめられる。
「ん、あのさ。正直その顔が可愛かったんで、出すの躊躇ってるんだけど」
「なに……?」
「接着剤なら、持ってる」
「え?」
「たまたま、持ってる」
 そして、僕は、学生服のポケットからセメダインの黄色いチューブを取り出して見せた。
「貸して!」
 そのまま許諾なしで引ったくられる。
 それから彼女はぐにぐに、と作業をして。
「よかった……くっついた……」
 と、彼女は心から幸せそうな顔をつい漏らす。その表情の向かう先が、僕ではないことを少し寂しく思いながら。
「あのさ、思うんだけどさ」
「?」
「形あるものは、いつか壊れるよ。その時、黒鷺さんはどうするの? 新しい頭蓋骨を探すの?」
 問いかけると、暫し熟考する。返事はなかった。代わりに、別の質問が帰ってきた。
「貴方は私がなんでこの頭蓋骨を持ち歩いてるのか気になる?」
 僕はどう答えるべきか迷って何も言えなかった。にも関わらず、そっと、彼女は話し始めた。
「死んだ恋人の頭なの」
「へえ」
 その答えは、僕の朝投げかけた質問とも繋がって。
「だから、代わりはないわ。ずっと。こうして一緒にいれるから、幸せなの」
 でも、僕は思う。
 それは欺瞞だ。
 形あるものの喪失への答えにはなっていない。
 蛇が尾を食むような依存だ。
 しかも、その道には続きがない。
 どうしようもなく手詰まりで、千日手だった。
 だから、今日もいつもの場所に行くことにした。
 僕は立ち上がる。
「あ、黒鷺さん、また一言だけいいかな」
「なに?」
 そうやって立ち上がった僕を見上げる彼女の顔は、今日一番邪気の薄れた、子供のような表情だった。
「あんまり自分を傷付けるのはやめた方がいいよ。それじゃ、また」

 * * *

 そして時間は過ぎて。
 夕暮れになる。
 彼女が、校舎を脱け、正門から出てきた所に僕はぽつんと立っていた。頭蓋骨と目が合ってから、彼女自身と目が合う。
「……また貴方ね。正直に言うと、少しうんざりしてるんだけど」
「うん、待ってた」
 いや。待ってる、か。
「さっきの言葉どういう意味?」