シャドービハインド
500年ほど生きたキッカは死のカウントダウンがはじまっていた。そう、キャットピープルの寿命は、早くて400年、せいぜいもって600年。カオルコの10倍以上生きているならば、リサは軽く1000年以上生きていることになる。
「ありえないわ!!」
力任せにカオルコは鞭を振るった。
さらにカオルコは小さく呟く。
「だって……〈夜の王〉ですら……死を目前にしているというのに……」
その言葉にリサは敏感に反応した。
「〈夜の王〉を知っているの!? 彼はもう死んでいるはずじゃ?」
「生きているわ、必死に延命しながら。けれど、もういつ死んでも可笑しくない。今も死の恐怖を味わっているのでしょうね」
「まさか……カオルコ……あなた、〈夜の王〉と手を組んでいるの!?」
「あんな老いぼれと誰が……利用させてもらっているだけよ。あんな老いぼれでも、多くの人を動かす力は残っているもの」
勢いで攻めていたリサは攻撃の手を休めてしまっていた。それだけ今の話がリサにとって重要だったということだ。
いつの間にか、辺りから戦いの音が消えていた。
キッカの仲間で立っている者はいなかった。カオルコ側もカオルコを含めて数人。
もうリサしか残っていなかった。
戒十はカオルコの仲間に拘束され、首にナイフを突きつけられたまま動けない。
そして、さらに状況は悪くなった。
カオルコはそれを見て笑った。
「よくやったわ」
戒十はそれを見て動揺した。
「そんな……」
戒十が見たのは純の姿だった。リサと分かれたあと、カオルコの仲間に捕まってしまったのだ。
甘かった考えをリサは悔やむほかなかった。
何が正しい判断だったのか?
キッカを含めて、仲間はみんな殺されてしまった。ここにリサが戻らなければ、戒十はもうとっくに連れ去られていたはずだ。
しかし、リサが純を置いてこなければ、今のピンチが生まれることはなかった。
純は無理やり歩かされ、カオルコに身を委ねられた。
細い純の首筋に、カオルコの長く鋭い爪が突き立てられる。
「お姉さまは人間の命をどう思っているのかしら。この人間を殺してもいいかしら?」
「駄目だ!」
戒十が叫んだ。
「貴方は黙ってなさい!」
カオルコが戒十を叱咤して、気を取り直してリサに尋ねる。
「条件は同じよ、クイーンの居場所を教えて頂戴」
「…………」
なにも答えないリサを見て、カオルコは純の首を少し傷つけ、滲み出た血を舐め取った。
震える純の身体。その様子を見てカオルコは嬉しそうに艶笑している。
「お姉さま、お姉さまは人間の命など、どうでもいいと思っているのね」
「それは違う、アタシは人間もアタシたちも、どちらも同じだけ好き。罪もない命を奪うことは許さない」
「なら、早くクイーンの居場所を言いなさい」
「…………」
またリサは黙ってしまった。
しばらく誰も口を開かなかった。
そして、リサが口を開く。
「知らないものは教えられない」
「うそだ!」
すぐにそう言ったのは戒十だった。さらに戒十は続けた。
「誰だってリサのこと見てればわかるよ。居場所くらい言ったっていいじゃないか、それで純が助かるんだ!」
リサの沈黙はクイーンの居場所を隠しているように見える。
それでもリサはこう言い続けた。
「知らないったら知らない。もし知ってても教えられないよ……姫の力が悪用されれば、どれだけの命が失われると思ってるの!」
リサは?成れの果て?となった者に容赦ない。どれだけ親しい仲間が?成れの果て?となって、非情で息の根を止める。それは今の発言と同じ、多くの命が危険に晒されるからだ。
言葉を噛み締めてリサは言う。
「命は天秤で量れるの。1人の命を救うために、多くの命を危険にさらすなんてバカげてる。綺麗事や情だけで生きていたら、アタシたちの世界は大きな悲劇を生むだけなの」
たとえリサがクイーンの居場所を知っていようと、もう口を開くことは絶対にないだろう。リサの意思は固かった。
カオルコは微笑んだ。
「お姉さまのそういうところは好きよ。社会は多くの犠牲の上に立っている、キャットピープルの世界は特にそうね。そして、この小娘はその犠牲になる」
次の瞬間、カオルコは牙を剥いて純の首に噛み付いた。
遅れてリサがカオルコに飛び掛った。
支えを失った純が地面に倒れる。
さらにカオルコもリサに殴られて地面に倒れた。
カオルコの仮面が飛んだ。
醜悪な顔が露になった。骨や血管まで見ている顔。その顔はまったく治癒していなかった。
カオルコは横になりながら、蹴りでリサの腹を突き上げ、すぐさま立ち上がってリサに攻撃を仕掛けようとした。
だが、遅かった。
リサの腕はカオルコの腹を貫いていた。
カオルコは苦しみと怒りで顔を歪めながら、すぐに後退してリサの腕を抜いた。
「クッ……ゲッ……」
カオルコの口から血の塊が吐き出された。
憎しみのこもった瞳でカオルコはリサを睨み、腹を押さえながら逃げ去った。それに続いてカオルコの仲間たちも姿を消す。
リサはカオルコを追うことはしなかった。傷ついた純と拘束されている戒十を残してはいけなかった。
すぐさまリサは純の容態を調べた。
「噛まれたのは少しだけだけど……もしかしたら、純もキャットピープルに……」
「そんな! なんとかならないの!」
悲痛に戒十は訴えた。
リサは周りを見渡し、キッカの遺体を発見した。
「もしかしたらキッカがワクチンを!」
急いでリサはキッカの服を調べた。
「あった、これ!」
それは注射器だった。中には液体の薬が満たされている。
純は地面に倒れながら星を見つめていた。
「私……どうなっちゃうの?」
「大丈夫、今ワクチン打つから!」
リサは純の袖をまくって、血管に注射器を突き刺した。純が少し痛そうに眼を細める。
注射器の中に満たされていた薬がすべて純の血管に溶け出す。
戒十はほっと息を漏らした。
「これで純はキャットピープルにならずに済むんだね」
リサは首を横に振った。
「まだ、今のワクチンは進行を遅らせるだけなの。完全に治すには、今のワクチンを1時間ごとに打ちつつ、ちゃんとしたワクチンを3日以内に打たなきゃダメなの」
「そのワクチンはどこにあるんだよ?」
「ホストの血。つまりカオルコの血から生成しなきゃいけない。生成するもの時間がかかるから、48時間以内にカオルコの血を手に入れないと……」
「絶対に純は僕たちの仲間になっちゃいけないんだ」
自分と同じような目に遭わせてはいけない。もう純は巻き込まれてしまった。けれど、引き返させなければいけないのだ。
戒十の夜はさらに深さを増した。
作品名:シャドービハインド 作家名:秋月あきら(秋月瑛)