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不思議なアフタヌーン・ティー

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「あー、いい気持ち!」
馬車の窓から顔だけ外に出したアリスは、彼女の一番の魅力である大きな青い目を細めて、空を見上げた。
春真っ盛りのロンドン郊外は、森も野原も芽吹いたばかりの若葉の緑色で溢れていた。
空は青く、どこまでも晴れ渡っていて、午後の柔らかな陽光が惜しみなく地上に降り注いでいる。
「はしたないわよ、アリス!」
向かい側に座る母親にお転婆を叱られ、アリスはしぶしぶ首を引っ込めた。隣に座っていた姉が、クスクスと笑っている。
ロンドンを出発してから2時間ちょっと。目的地までもうすぐのはずだ。
大きな門構えの屋敷前で、馬車は止まった。
狭い座席に母娘三人、ぎゅうぎゅう詰めで座りっぱなしだったせいで、足腰が少し痛い。
(ここが、ホワイト伯爵様の田園邸宅)
馬車から降りたアリス姉妹と母親は、屋敷の想像以上の大きさにあっけにとられていた。
ロンドンでも名高いホワイト伯爵家。外壁には幾何学模様の装飾がいくつも掘り込められ、その外観は優雅でありながら、どこか威圧感があった。重厚なゴシック様式の建物だ。
屋敷の中から、初老の男が出てきた。この屋敷の執事であろう。
アリス母娘は、この邸宅の女主人である伯爵夫人主催の午後の茶会に招かれていた。
午後の茶会、いわゆるアフタヌーン・ティーは、この国の優雅なお茶の習慣。エレガントに整えられた庭園で、美味しい紅茶をいただくというのが、アリスが生きているヴィクトリア朝時代のスタイル。
さらに英国貴族の婦人たちにとって、午後の茶会は単純にお茶を楽しむだけではなかった。茶会は貴族たちの社交の場でもあったのだ。アリスの母も、夫であるアリスの父の出世のために、はるばるロンドンから伯爵夫人のご機嫌伺いにやってきた。ホワイト伯爵家は英国王室の遠縁に当たる名門貴族だった。
執事に導かれ門の中に入ると、派手に着飾った中年の婦人が出迎えに現れた。彼女こそがこの屋敷の女主人、ホワイト伯爵夫人。
アリスと姉はお揃いの水色のドレスの裾を持ち上げ、礼儀正しくお辞儀した。
「まあ、可愛らしいお嬢さんたちだこと!」
 伯爵夫人はアリス姉妹にとびっきりの笑顔を見せた。二人はどうやら伯爵夫人に気に入ってもらえたらしい。
アリスの姉は、誰もが認める美人タイプ。
一方のアリスは、際立って美人というわけではないが、豊かな金髪に、色白で血色の良い顔、そして好奇心に満ちた大きな瞳が輝いている十六歳。背が普通より少し高めなことが、ちょっとだけ玉に瑕ではあったが。
 ホワイト伯爵夫人への挨拶を済ませた母娘は、執事に庭園を案内されることになった。
ゆっくりと歩きながら、伯爵邸の広い庭園を眺める。普段、工場や住宅がひしめく大都会ロンドンで暮らすアリスにとって、手付かずの自然が広がる郊外の田園風景は、新鮮で気分が良いものだった。
 伯爵邸の庭園は、大きな噴水がいくつもあり、植え込みの木々や花壇の隅々まで注意深く手入れされていた。ただそれらの配置はどこか大げさで華美すぎていて、それだけが少し残念に思えた。
アリスは服装やアクセサリーだけでなく、建物や建造物についても、ナチュラルな感じがするものを好んでいた。
三人はティーテーブルに案内されたが、招待客のほとんどはまだ集まっていないようだった。
ティータイムが始まる予定の午後四時まで、まだ少し時間の余裕がある。
すでに暇をもてあましていたアリスは、伯爵邸の周辺を散歩することを思いついた。
庭園を囲む鉄柵と木々の向こう側に、白いデイジーの花畑が見える。
(デイジーだわ)
アリスはデイジーの花が大好きだった。
「お母様、少しだけ散歩に行って参ります。お茶の時間までには必ず戻りますから」
白い絹の日傘を差し、庭園を囲む鉄柵に向かって颯爽と歩き始めた。
声に振り向いたときには、すでに遠くまで歩き去ってしまった妹の背中を眺めながら、姉は肩をすくめた。好奇心が人一倍強い自分の妹が、同じ場所にじっとしてはいられない性格だということは、子どもの頃からよく分かっていた。
午後の強い日差しを避けながら、アリスは邸宅の小さな裏門を抜けて、デイジーが咲き乱れる野原を歩き続けた。
ドレスの裾が破れないよう、用心深くたくしあげている。ドレスの襟や裾には白い細かな刺繍のレースがあしらわれていて、慎重に歩かないとすぐほつれてしまう。
ふいに、自分が子どもだった頃を思い出した。小さな頃、デイジーの花を摘んで花輪を作るのが大好きだった。姉とよくおそろいで首や頭に花輪を掛けていたものだ。
デイジーの咲き乱れる野原の先には、並木の散歩道が続いていた。
緑の木々の間を吹きぬける風が、アリスの金髪をなびかせる。彼女もまた、若葉のように瑞々しい。
アリスは先日、十六歳になったばかりだった。すでに淑女として認められる年齢。そろそろ社交界にデビューする時期でもあった。
自分が今歩いている場所を確かめるために、伯爵邸の辺りを振り返った。
白亜の石壁が、午後の光を受けてさらにその輝きを強めていた。伯爵邸は遠くから見てもやはり華麗で威圧感がある。
午後の茶会の後、実は伯爵夫人主催の夜の舞踏会に参加しなければならない。
正直なところ、舞踏会はあまり好きではなかった。
音楽団やダンスそのものは嫌いではなかったが、息の詰まる社交界のマナーにがんじがらめにされるのは苦手だった。けれど舞踏会がいくら苦手でも、父や母の社交のために今夜は参加しなければならない。そう思うと、気が滅入った。
沈んだ気分を振り払おうと、アリスは目の前の散歩道を歩き続けた。
目の前で、急に並木の視界が開けた。広々として、緑の照り返しが目に眩しい。
そこは、芝生の生えた球戯場のようだった。
伯爵家の屋敷もいつの間にか見えなくなっている。ずいぶん遠くまで歩いてきたようだった。
アリスは芝生の球戯場に足を踏み入れた。芝生が柔らかなクッションのようで、少し歩きにくい。そこはクロケット場だった。
(素敵、クロケット場だわ!)
気取ったダンスパーティーより、クローケーやクロケットといった球技の方がすっと面白くて大好きだ。
試合をやっていないかどうか、辺りを見回した。
だがクロケット場に試合をする人影は見当たらなかった。残念がって、ため息をつく。
その時、視界の隅を猛スピードで走り去る白い小動物の姿がかすめた。
(ウサギ……)
 少し離れた芝生の上で、白いウサギが一匹、草を食んでいた。赤い大きな眼をした、可愛らしい野ウサギだ。
幼かった頃、言葉を話す奇妙な白ウサギを追いかけて、不思議の国まで旅したことがあった。その出来事を大人達に話した時は、夢をみたのだと言って誰もとりあってくれなかったが。
アリスの目の前で草を食んでいたウサギは、しばらくしてからクリケット場をピョンピョンと走り始めた。
すると何か見えない手に背中を押されるように、自分も無意識にウサギに向かって歩き始めた。
ウサギは、逃げるようにどんどん走っていく。
(……あのウサギを追いかけていけば、もう一度、不思議の国へ行けるかもしれない)
ふと、そんな考えがぼんやりと頭の中をよぎった。幼い日の不思議の国での思い出を、今日まで一度も忘れた事はない。