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冥王星は氷のミステリー

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 理科棟の地学室には、幽霊が出るらしい。
 私がこの地学部に入部したばかりの頃、先輩たちからよく聞かされた噂だ。負傷した血だらけの兵隊の霊、水浸しで現れる長い黒髪の女、赤ん坊の泣き声、輪になって踊る子どもたちの霊。目撃談も様々あった。
 でも、私はこの地学室でまだ幽霊に出会ったことはない。
 確かに地学室は、理科棟の最上階の一番端にあるためか、普段から人気もなく、いつも静かだ。
 強い日差しを避けるための分厚い緑色のカーテン。湿っぽい白壁、古びた長机と錆付いた椅子。それを薄気味悪く感じる部員も多いようで、この地学室には滅多に生徒の姿がない。
 けれど私にとって、地学室は学校でもっとも落ち着ける場所だ。
 私、夏野すばるは、高校に入学してからこの半年間、ほとんど毎日の放課後をこの地学室で過ごしてきた。
 ここは、今は遠くに離れてしまった私の初恋の人が、かつて過ごした場所でもある。
 閉じていた瞼をゆっくりと開ける。
 陽がいつのまにか西の地平に傾いている。
 教室の窓際に置いてある地球儀の一つが、陽射しの重さを受けるように静かに回転を始める。つられるようにそのとなりに置いてある天球儀も回る。いつしか私はその天球儀の夜空を見あげてる。星星のあいだに、惑星がいくつか見える。大小の惑星は、それぞれの軌道で回り続けている。太陽を中心に、法則を持って回っている。そしてずっと遠い場所に小さな星が輝いている。太陽系の一番外側を回る準惑星、表面をメタンと窒素の氷で覆われた星。あの星の名は……。
 「夏野さん」
 その星から、私を呼んでいる声が聞こえる。子どもの頃から大好きだった優しい声。懐かしい声。
 「……環兄ちゃん」
 私は思わず、恋しい人の名を呼び返す。
 「夏野さん!」
 意識が、見あげていた宇宙空間から現実に戻る。
 「は、はい!」
 飛び起きた。目の前に、腕組みした女子生徒が立っている。部長の皐月先輩だ。
 「また、こんな所で寝てるの?部室は昼寝の場所じゃないって、いつも言ってるのに!」
 「す、すみません!」
 大慌てで謝る。皐月先輩は、怒ると目がつりあがる。私にとって幽霊よりも怖い存在だ。
 「それに、もうすぐ下校時間よ」
 教室の壁時計を見ると、すでに6時を過ぎていた。教室には夕陽がいっぱいに射し込んでいる。皐月先輩は後ろを向いて、窓を閉め始めた。厚いカーテンが引かれ、部屋が暗くなる。私も一緒に戸締りを手伝う。
 我が校の地学部は、部の活動自体はあまり盛んではない。部員の興味の対象がそれぞれ違いすぎるからだ。ちなみに先輩の趣味は化石採集で、私は天体観測。
 ふと、机の上を見る。見覚えのない厚めの本が一冊置いてあった。
 「あれ?こんなところに本が置いてあったっけ?」
 本棚に戻そうとして、私は思わず手を止める。タイトルに、『冥王星―氷に覆われた謎の天体―』と書かれていたからだ。
 (冥王星の本だ)
 誰かが置き忘れて行ったのだろうか。部室に置いてある天文学関係の本はほとんど読んでいる。部が所蔵している本ではないようだ。 冥王星は、私にとって特別な星だ。
 背を向けている皐月先輩を横目で見ながら、その本をすばやく自分の鞄にしまう。
 「こんな所で寝てると、お化けが出るわよ」
 地質学者を目指す現実主義者の皐月先輩も、意外とお化けや幽霊を信じているらしい。
 先に部室を出た皐月先輩の後を追い、急いで廊下に出る。そこに地学部の顧問である男性教諭が鍵を持って現れた。
 「あ、内田先生!」
 皐月先輩の声のトーンがいきなり変わり、先ほどより一段は高くなる。
 「戸締りの点検、大丈夫です!先生、さようなら」
 顧問の内田先生は、大学を卒業したばかりの若い先生で、女子生徒に人気がある。皐月先輩も内田先生のファンだ。
 「先生、さようなら」
 私も挨拶をして、そそくさと先輩の後に続いた。私は、内田先生が苦手だ。
 「さよなら。二人とも、気をつけて帰りなさい」
 さっきまで不機嫌だった皐月先輩が、いつの間にか満面の笑顔を浮かべている。
 「内田先生って、やっぱかっこいいよね」
 「……そうですか?」
 私には、内田先生の人気の理由がよく分からない。確かに痩せ型で背も高いし、顔立ちも整っている。眼鏡が似合っていて、他の男性教諭に比べて服装もお洒落だ。内田先生が目当てで地学部に出入りしている女子生徒も多い。
 「もしかして、夏野さん、内田先生が苦手?」
 「え?」
 心のなかを読まれて、おもわず皐月先輩の顔を見る。
 「夏野さんって、他の部員の子達と違って、先生にあまり指導相談とかしないから」
 「……内田先生はなんとなく、冷たい感じがして」
 眼鏡の奥にある静かな瞳を思い出す。先生の表情には、どことなく感情が感じられない。
 「そこがクールで、かっこいいんじゃない!わかってないなー」
 「……そうでしょうか」
 そっと後ろを振り返る。内田先生は地学室に鍵をかけていた。

 夜になってから、私は自分の部屋で例の地学室から持ってきた冥王星の本を読んでいた。しばらく読んだところで本を閉じ、椅子から立ち上がる。窓辺に設置してある天体望遠鏡の前に座った。
 惑星早見表で冥王星の現在の位置を確認してから、望遠鏡を覗き込む。
 冥王星は、素人には観測が難しい天体だ。小さすぎて一般の望遠鏡では見つけにくいからだ。やはり今夜も、なかなか位置を特定できない。
 仕方なく望遠鏡から目を離す。すぐ外に、隣の家の窓が見える。明かりの点いていないその部屋には、蛍光塗料の塗られたUFOの模型が天井からいくつも吊り下げられている。
 環兄ちゃんの部屋の窓だ。環兄ちゃんこと土屋環は、隣の家に住む6歳年上の仲良しの男の子だった。今私が通っている高校と同じ高校に通学し、地学部に入っていた。
 部屋にはもう6年も明りが灯っていない。彼は、6年前に事故で突然この世を去った。
 彼の死後も、部屋はそのままに残されている。主のいなくなった部屋の暗闇の中で、UFOの模型だけがひっそりと浮かんでいる。
円盤型、皿型、三角形型、球型、半球型、アダムスキー型……。UFOにはいくつもタイプがあることを、教えてくれたのも彼だった。 自称宇宙人・UFO研究家を名乗っていた隣の家に住む年上の少年は、子どもの私から見ても少し変わった男の子だった。
 私たちはUFO観測会と称して、いつも二人で一緒に星空を眺めた。幽霊や妖怪は信じていなかったけど、宇宙人だけは本当にいると私は信じていた。一緒にいるだけで、毎日が楽しくて仕方なかった。
 彼は宇宙人やUFOの写った不思議な写真を何百枚も持っていた。今ではその写真のほとんどが偽物の合成写真だと分かるけれど、子どもだった私は、写真が本物だと信じて疑わなかった。彼は、そのうちの何枚かを私にプレゼントしてくれた。私が一番気に入っている写真が、『宇宙人との会見』を写した写真だ。砂漠のような場所で、彼が宇宙人と握手して一緒に写っている。宇宙人は人間よりも頭が大きく、目も同じように大きい。光るような灰色の肌に、オレンジ色の服を着ている。この写真は人類を代表して、サハラ砂漠で宇宙人と会見を行ったときの記念写真だと、彼は言っていた。
作品名:冥王星は氷のミステリー 作家名:楽恵