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あとのまつり

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「あとのまつり」という言葉は、日本三大祭りである祇園祭から生じた言葉とされている。祇園祭は、七月十七日から二十四日まで、毎年執り行われる祭りである。起源は古く、疫病退散の祈願が当初の目的とされていた。まず、十七日に、祇園バヤシの中を山鉾を先頭に、山車が続く派手な巡業で幕を開ける。これを、「まえのまつり」と呼ぶ。そして、二十四日には、還車として、鉾が納められ、山車だけの巡業で幕を引く。これが、「あとのまつり」である。
 二十四日の大人しい還車を、「あとのまつりは面白くない」と、庶民たちが口々に言ったので、転化して、「あとのまつり」は、間に合わなかったことや、後悔しても始まらない、などという意味が含まれるようになったとされている。




 部長の席の前で、吉本花月は、ちょっと神妙な顔をしていた。仕事の話で、直属の課長ではなく、そのひとつ上の部長から呼び出されるようなヘマはしていないが、何事か見当はついていなかったからだ。
「きみも、そろそろ三十路だろう。身を固めてもいいんじゃないか? 」
 ・・あーそういうことか・・・・
 上の役職にあるものは、概して、こういうお節介をしたがる。確かに、吉本は三十路一歩手前で、適齢期には該当していた。
「すいません、部長。もうすでに、同居してる嫁がおりまして・・・」
「え? 」
「ああ、籍はいれとらんのですわ。お互い、そういうことには無頓着なんで。それに、俺の嫁も働いとるんで、あっちはあっちで保険とか入ってますんや。」
 独身男で手駒にしようと思っていた部長のほうは、アテが外れて、「それならば、この話はなかったことでいい。」 と、簡単に折れた。一応、男の責任などというものについては、小言を喰らったが、まあ、そんなことは、どうでもいい。適当に、相槌をうって、「はいはい、失礼します。」 と、部屋を出た。
・・・いや、俺の嫁っちゅーのはやな。そういうことができひんから籍を動かしてないんやて・・・
 内心で、部長の言葉にツッコミひとつを入れて、ニヤニヤ笑った。吉本が語る、「俺の嫁」というのは、結婚が出来ない相手だった。そのうち、法律改正でもあればいいな、とは思っているが、それほど真剣に考えたことはない。
「おい、吉本。」
 今日のおもしろエピソードとして、嫁に教えてやろうと考えていた吉本は、横手からの掛け声に立ち止まった。階段を駆け下りてきたのは、同僚の御堂筋だ。
「なんぼほどニヤけとるんや? 」
「いや、ちょっとな。今、部長から、縁談話があってな。」
「そんなに美人やったんか? 」
「見てない見てない。断ってきた。俺、すでに嫁持ちやさかいな。」
「はあ? おまえ、結婚しとったか? 」
「してないけど、同居してる内縁の妻がいてるんや。」
「うわぁー、おまえ、最低やな。・・・あ・・いや・・・そうや、おまえ、もう、その奥さんと決定なんか? 」
「そら、決定やろ。部長に宣言するくらいやねんから。」
「あ、ほんなら、ちょっと、俺の頼みを聞いてくれへんか? 礼はする。絶対にするからっっ。」
 御堂筋は、何やら考えてから、「夕方にでも時間くれ。」 と、言い出した。
「まあ、ええけどな。」
 吉本のほうも、とりあえず聞くだけは聞いてやろうと、了解した。ただ、男女間の話なら断るつもりはしていた。吉本の「俺の嫁」は、れっきとした成人男子だから、男女間の問題には関係がなかったからだ。




「ただいま。ごめんな、遅なって。ごはん、どうした? 」
 御堂筋の相談事を聞いていたら、すっかり遅くなった。帰宅時間が遅い吉本の、「俺の嫁」でも、それよりは、早く帰宅してしまった。「遅くなるから、ごはん適当にして。」 のメールは送ったものの、人生投げかけている感のある、吉本の、「俺の嫁」こと、浪速水都が、ちゃんと食事をすることはない。どうせ、チキンラーメンを、お湯もかけずに貪り食っただろうと予想はしていた。
「おう、マクドで買おてきた。」
「珍しいな、おまえが、そんなん食うなんて。」
「そうか? たまに昼飯で食うで。」
 居間のこたつの上には、食べ散らかした残骸が載っかっている。一応、食べたらしい。
「お茶でもいれようか? 」
「いや、風呂入れるで、花月。呑んでたんやろ? 」
 まあ、呑んできたが、それほど、呑むほうに集中していなかったので、ほろ酔い気分程度だった。なにせ、持ちかけられた相談は、ちょっと普通ではなかったからだ。ただ、吉本は、少し乗り気で、条件をつけた。それがクリアーできるなら、御堂筋の相談を引き受けてやると返事した。
「なあ、水都。ちょっと旅行に行かへんか? 」
「え? 今頃? 」
「まだ決定やないねんけどな。ちょっと頼まれごとがあって、それで遠征せなあかんかもしれへんねん。」
「仕事か? 」
「いや、プライベート。」
「ふたりで行くのは、まずいんちゃうんか。」
「ええんや。ふたりで、せなあかんねん、それは。・・・まあ、まだ決定ちゃうんやけど、確定したら頼むわ。」
 内容も何も話さないで、吉本は、同居人に拝む真似をした。滅多なことで反対などしないので、「ああ、ええよ。」 と、浪速のほうも頷いただけだった。七年も、夫婦もどきをやっていると、お互いに、なんとなく空気で伝わるものがある。吉本が、こんなふうに頼むなら、付き合う必要があるんだろうと、浪速も思った。
「それで? 」
「まあまあ、決定してからでええやろ。」
「なんでもええわ。風呂入れ。」
「おまえが先に入れ。俺、ちょっと酔いを醒まさんと、風呂で溺れる。それとも、俺の嫁が甲斐甲斐しく世話してくれるっちゅーんやったら一緒に入るけど? 」
「どあほっっ、何が悲しゅーて、今から、おまえの介護なんか、せなあかんねん。一回、溺れて真人間になれ。」
 いつものように言い合って、こたつの上を片付けると、浪速が立ち上がった。
「俺、普段、おまえの介護したってるやんか。」
 限度を超えると、負担がかかるのは、浪速のほうだ。なんせ、吉本の、「俺の嫁」である。本来の使用目的でないことに、使うわけだから、度を越すと腰がガタガタに抜けた状態になってしまうのだ。一日、布団から起き上がれない事態というものに、浪速が突入してしまったら、世話するのは吉本の義務である。頻度は、年に数回といったところだ。
「残業しまくりで疲れ果ててる俺に無理させる、おまえが悪いんやろうがっっ。だいたい、あんな情けないことは、あらへんねんぞっっ。・・・トイレにも行かれへんって、そこまで人の身体をコキ使うほうが悪いんやろっっ。」
「疲れすぎて、寝られへん、って誘うんは、おまえ。」
 どっちもどっちなので、浪速のほうは、ふんと鼻息であしらって風呂場へ消える。だいたい、同意していなければ、そこまでできるはずはない。




 翌週、御堂筋から、吉本の条件はクリアーされた、と、返事が来た。
「ほんまに、ええんか? 俺の説明はわかったんか? 」
「わかってるで。おまえのほうは、その覚悟ができひん相手なんやろ? うちは、それでええで。ほな、交通費と滞在費は、先払いな。」
作品名:あとのまつり 作家名:篠義