ROBOT
薄暮時。
外は今にも泣き出しそうな灰色の雲が垂れ込めていた。
大学に入ったばかりの二ノ宮貴之は、初めての一人暮らしを始めたばかり。
一生に一度だけ、ニノ宮という家から離れて生活したいと言った貴之の申し出を両親は許してくれた。
大学を出たらイヤでも父親が社長を務める二ノ宮財閥の本社で帝王学の勉強することになる。
その前のほんの数年間、息子に思うように過ごさせてやりたいという親心からだった。
理系に興味があった貴之が、工学部を受験したいと言ったときにも反対はしなかった。
幅広い学問を身に着けることもいいだろうと賛成してくれた。
そんなわけで、都心の大学近くにある豪華マンションが貴之の4年間の棲家となった。
本当は学生らしくもっと質素なところに住みたかったのだが。
二ノ宮財閥の跡取り息子というのが、何事も邪魔をする。
それだけは我慢しろと父親から言われていた。
まあ今は一人暮らしをさせて貰っただけでも、ありがたいと言うしかないだろう。
「ねえ、二ノ宮くんは何を専攻するの?」
「まだ決めてねえよ」
工学系に興味があっただけで、特別何をやりたいってわけじゃなかった。
まあ、少しの間だけでも自由な一人暮らしをしてみたかったと言うのが貴之の本音だ。
ぽつりぽつりと顔に当たり始めた雨粒が、次第に大きくなってきた。
この調子では、マンションにたどり着くまでに本降りになりそうだ。
さすがに雨でびしょびしょにはなりたくない。
「・・・・・・近道するか」
貴之はいつもは通らない公園の中に入って行った。
雨が降り始めたせいで、公園の中に人影は見当たらない。そう思った時だった。
金具の擦れ合うキィという音が耳元に微かに届いてきた。
そちらの方に目を凝らすと。ブランコが揺れていた。
「誰かいるのか?」
左右に揺れる黒い影。こんな時にブランコを漕いで奴がいるのか。遠目で見ても、小さな子供ではない。
急いでいるのに。貴之はその人影が妙に気になった。
貴之の足は自然とブランコの方へ向いていた。
「おい、雨が降ってるぞ」
雨が降っていることに気づいていないわけは無いだろうが、そんな問い掛けの言葉しか、思いつかなかった。
ブランコの揺れが止まり、怯えた顔が振り向いた。
切れ長の涼しい瞳を隠すように掛けられた黒縁の眼鏡。少し長めな黒髪は端正な顔に良く似合っていた。
しかし。
その眼鏡の奥の漆黒の瞳からは今にも涙が零れそうに思えた。決して泣いてはいないのに。
「遊び足りねえのか?」
貴之には珍しく、にっこりと微笑むとそう言った。
余りにも悲しそうな瞳だったので、逆にどうしたのかと真剣に問うのは止めた。
逃げ道は残しておいてやらなければと、貴之はとっさに思ったのだ。
「今日は星、見られへんやろね」
「あぁ、今日は無理だろ」
答えにはならないような事を、ぽつりと呟いた。
「どっちにしろここにいたら、びしょ濡れになるぞ。俺の家近くなんだ。雨が止むまで寄ってけよ」
半ば強引に腕を取って、引っ張るように連れて来た。貴之はどうして自分がそこまでするのか、貴之自身も理解できなかった。
ただこいつを一人で、公園に残して置けなかった。そう思っただけ。
貴之が越して来てから、まだ誰も尋ねて来たことの無い部屋に、名前も知らない奴を上げた。
貴之を本当の孫のように可愛がってくれる爺やが知ったら、なんと言うだろう。
濡れてしまった髪を拭くためのタオルを渡しながら問う。
「俺は二ノ宮貴之。お前は?」
「・・・・・・俺ロボットやから名前は無いわ。でも個体番号なら『YU-10』や」
「はっ・・・ロボット・・・」
なんだって?思わずふき出してしまった。冗談なのか?それともこいつは頭を病ん……で……
酷く辛そうに見えたのは、気のせいだったのか。
「俺、研究所から逃げ出して来てん」
とっぴな物語の主人公になったつもりなのか。とても冗談を言っているように思えないが。
「研究所を抜け出したロボットのYU-10が誰かに追われているってことか?」
コクリと一度だけ頷いた。
「まあ座ってこれでも飲めよ。落ち着くから」
ハーブティーの中でも鎮静効果のあるジャスミンティーを入れてやった。
おかしな奴を連れて来ちまったな。貴之はそう思ったが、なぜかほっとけなかった。
見つめて来た瞳があんまり悲しそうだったから。貴之が今まで見たこともないような暗い光を宿していた。
「信じてへんやろ。俺がロボットやて言うたこと」
ハーブティーを受け取りながら、ちらりと視線を寄越しながらそう自称YU-10はそう言った。
「どこから見ても生身の人間としか見えないし、手だって温かかったじゃねえか。
それに、これほど巧く受け答えのできる奴がロボットねえ」
「そうやな」
手にしていたハーブティーのソーサーの上から銀のスプーンを手にした途端。あっと言う間に。
片手で。折り曲げた。まるで紙を折るように。
そして、すぐに元に戻す。
それほど硬いもので無いとしても、このようにいとも簡単の折り曲げられるような代物ではない。
「な、お前マジックできるのかよ。うまいじゃねえか」
YU-10は表情一つ変えずに答えた。
「マジックちゃうよ。ただ力で捻じ曲げて、また直しただけやん」
「そんなことが人間にできるわけねえだろ」
「だから言うとるやろ。俺はロボットやて」
「…………」」
「貴之がようわかるように、天井までジャンプしてみるか、・・・そうやあんたの名前の漢字は」
「にのみやは数字の二にカタカナのノ、それのお宮の宮で、たかゆきは別に高貴じゃねえがとうといの貴に、これ、しんにょうが変化した之だ」
「……こうか」
そう言ったと思ったら、目の前にあったボールペンを手に取ると、机の上にあったB5サイズのレポート用紙に。
嘘だろ。ほんの瞬きをした一瞬だった。
そのレポート用紙一枚の全面が数え切れない二ノ宮貴之の名で埋め尽くされていた。今教えたばかりの自分の名前が。
「ええ名前やね」
と言って初めて微笑んだ。
「・・・・・・おまえ」
「俺もあんたみたいな普通の名前が欲しいわ」
冗談じゃねえのかよ。
しかし、信じられないことが、目の前で見たのは事実だ。
「やっと信じてくれたんか?」
「ロボットだって・・・・・・今この現代に、お前みたいなそんな精巧なロボットを造れるほどの技術があるのかよ」
「あぁ、ロボット工学の頭脳が集まった公にはされてない研究所があるんや。でも俺やて欠陥品やで」
「欠陥品?」
「欠陥品やから明日壊されることになってん」
「壊されるってどういうことだ?」
「人間に害をなす可能性のあるロボットは、処分されるのが決まりになっとるんや」
「どうしてお前が人間に害をなすんだよ」
「・・・・・・感情を持ってしもうたから」
□■□
「どうだ、YU-10は?外に連れ出しているのだろう」
「はい、人間とほとんど変わらない生活ができるほどになっています」
「そうか?一番肝心な知能の発達はどうだ」
「順調です。かなりの学習能力が身についています。いろいろの状況の下でも的確な判断能力を有してきました」
「そうか」
「部長困った事が起こりました」
「なんだ?」
外は今にも泣き出しそうな灰色の雲が垂れ込めていた。
大学に入ったばかりの二ノ宮貴之は、初めての一人暮らしを始めたばかり。
一生に一度だけ、ニノ宮という家から離れて生活したいと言った貴之の申し出を両親は許してくれた。
大学を出たらイヤでも父親が社長を務める二ノ宮財閥の本社で帝王学の勉強することになる。
その前のほんの数年間、息子に思うように過ごさせてやりたいという親心からだった。
理系に興味があった貴之が、工学部を受験したいと言ったときにも反対はしなかった。
幅広い学問を身に着けることもいいだろうと賛成してくれた。
そんなわけで、都心の大学近くにある豪華マンションが貴之の4年間の棲家となった。
本当は学生らしくもっと質素なところに住みたかったのだが。
二ノ宮財閥の跡取り息子というのが、何事も邪魔をする。
それだけは我慢しろと父親から言われていた。
まあ今は一人暮らしをさせて貰っただけでも、ありがたいと言うしかないだろう。
「ねえ、二ノ宮くんは何を専攻するの?」
「まだ決めてねえよ」
工学系に興味があっただけで、特別何をやりたいってわけじゃなかった。
まあ、少しの間だけでも自由な一人暮らしをしてみたかったと言うのが貴之の本音だ。
ぽつりぽつりと顔に当たり始めた雨粒が、次第に大きくなってきた。
この調子では、マンションにたどり着くまでに本降りになりそうだ。
さすがに雨でびしょびしょにはなりたくない。
「・・・・・・近道するか」
貴之はいつもは通らない公園の中に入って行った。
雨が降り始めたせいで、公園の中に人影は見当たらない。そう思った時だった。
金具の擦れ合うキィという音が耳元に微かに届いてきた。
そちらの方に目を凝らすと。ブランコが揺れていた。
「誰かいるのか?」
左右に揺れる黒い影。こんな時にブランコを漕いで奴がいるのか。遠目で見ても、小さな子供ではない。
急いでいるのに。貴之はその人影が妙に気になった。
貴之の足は自然とブランコの方へ向いていた。
「おい、雨が降ってるぞ」
雨が降っていることに気づいていないわけは無いだろうが、そんな問い掛けの言葉しか、思いつかなかった。
ブランコの揺れが止まり、怯えた顔が振り向いた。
切れ長の涼しい瞳を隠すように掛けられた黒縁の眼鏡。少し長めな黒髪は端正な顔に良く似合っていた。
しかし。
その眼鏡の奥の漆黒の瞳からは今にも涙が零れそうに思えた。決して泣いてはいないのに。
「遊び足りねえのか?」
貴之には珍しく、にっこりと微笑むとそう言った。
余りにも悲しそうな瞳だったので、逆にどうしたのかと真剣に問うのは止めた。
逃げ道は残しておいてやらなければと、貴之はとっさに思ったのだ。
「今日は星、見られへんやろね」
「あぁ、今日は無理だろ」
答えにはならないような事を、ぽつりと呟いた。
「どっちにしろここにいたら、びしょ濡れになるぞ。俺の家近くなんだ。雨が止むまで寄ってけよ」
半ば強引に腕を取って、引っ張るように連れて来た。貴之はどうして自分がそこまでするのか、貴之自身も理解できなかった。
ただこいつを一人で、公園に残して置けなかった。そう思っただけ。
貴之が越して来てから、まだ誰も尋ねて来たことの無い部屋に、名前も知らない奴を上げた。
貴之を本当の孫のように可愛がってくれる爺やが知ったら、なんと言うだろう。
濡れてしまった髪を拭くためのタオルを渡しながら問う。
「俺は二ノ宮貴之。お前は?」
「・・・・・・俺ロボットやから名前は無いわ。でも個体番号なら『YU-10』や」
「はっ・・・ロボット・・・」
なんだって?思わずふき出してしまった。冗談なのか?それともこいつは頭を病ん……で……
酷く辛そうに見えたのは、気のせいだったのか。
「俺、研究所から逃げ出して来てん」
とっぴな物語の主人公になったつもりなのか。とても冗談を言っているように思えないが。
「研究所を抜け出したロボットのYU-10が誰かに追われているってことか?」
コクリと一度だけ頷いた。
「まあ座ってこれでも飲めよ。落ち着くから」
ハーブティーの中でも鎮静効果のあるジャスミンティーを入れてやった。
おかしな奴を連れて来ちまったな。貴之はそう思ったが、なぜかほっとけなかった。
見つめて来た瞳があんまり悲しそうだったから。貴之が今まで見たこともないような暗い光を宿していた。
「信じてへんやろ。俺がロボットやて言うたこと」
ハーブティーを受け取りながら、ちらりと視線を寄越しながらそう自称YU-10はそう言った。
「どこから見ても生身の人間としか見えないし、手だって温かかったじゃねえか。
それに、これほど巧く受け答えのできる奴がロボットねえ」
「そうやな」
手にしていたハーブティーのソーサーの上から銀のスプーンを手にした途端。あっと言う間に。
片手で。折り曲げた。まるで紙を折るように。
そして、すぐに元に戻す。
それほど硬いもので無いとしても、このようにいとも簡単の折り曲げられるような代物ではない。
「な、お前マジックできるのかよ。うまいじゃねえか」
YU-10は表情一つ変えずに答えた。
「マジックちゃうよ。ただ力で捻じ曲げて、また直しただけやん」
「そんなことが人間にできるわけねえだろ」
「だから言うとるやろ。俺はロボットやて」
「…………」」
「貴之がようわかるように、天井までジャンプしてみるか、・・・そうやあんたの名前の漢字は」
「にのみやは数字の二にカタカナのノ、それのお宮の宮で、たかゆきは別に高貴じゃねえがとうといの貴に、これ、しんにょうが変化した之だ」
「……こうか」
そう言ったと思ったら、目の前にあったボールペンを手に取ると、机の上にあったB5サイズのレポート用紙に。
嘘だろ。ほんの瞬きをした一瞬だった。
そのレポート用紙一枚の全面が数え切れない二ノ宮貴之の名で埋め尽くされていた。今教えたばかりの自分の名前が。
「ええ名前やね」
と言って初めて微笑んだ。
「・・・・・・おまえ」
「俺もあんたみたいな普通の名前が欲しいわ」
冗談じゃねえのかよ。
しかし、信じられないことが、目の前で見たのは事実だ。
「やっと信じてくれたんか?」
「ロボットだって・・・・・・今この現代に、お前みたいなそんな精巧なロボットを造れるほどの技術があるのかよ」
「あぁ、ロボット工学の頭脳が集まった公にはされてない研究所があるんや。でも俺やて欠陥品やで」
「欠陥品?」
「欠陥品やから明日壊されることになってん」
「壊されるってどういうことだ?」
「人間に害をなす可能性のあるロボットは、処分されるのが決まりになっとるんや」
「どうしてお前が人間に害をなすんだよ」
「・・・・・・感情を持ってしもうたから」
□■□
「どうだ、YU-10は?外に連れ出しているのだろう」
「はい、人間とほとんど変わらない生活ができるほどになっています」
「そうか?一番肝心な知能の発達はどうだ」
「順調です。かなりの学習能力が身についています。いろいろの状況の下でも的確な判断能力を有してきました」
「そうか」
「部長困った事が起こりました」
「なんだ?」