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スカイグレイ
スカイグレイ
novelistID. 8368
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竹の花

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 竹の花が咲いた。
 そのことに自分が気付いたのはつい先日である。
 自分の家の裏は竹林になっている。手を入れていないから始終薄暗い。夜などは何か異形のものが潜んでいるように思えて、気味悪く感じることもある。だから自分は、竹林に足を踏み入れることはない。いや、理由はそれだけではないのだった。幼い頃に、今は亡き祖母から、竹林に入ってはいけないと言い含められており、その言いつけを自分は、あれから何十年と経過した今でも律儀に守っているのだった。
 竹の花は稲に似て白茶けていて、華やかとも美しいとも言い難い。最初に見た時は花だとはわからなかった。人に聞いて初めて知ったのである。竹は数十年から百年に一度花を咲かせ、そしてその後に実を落として、竹全体が枯れてしまうのだそうだ。
 
 昨夜、竹の精が夢枕に立った。
 枕元で誰かが啜り泣いているのが聞こえたので、自分は目を覚まして身体を起こした。見れば、小柄な老婆である。顔を覆う長い髪は真っ白で、暗い灰黄色の着物を着ている。自分はどういうわけか、見知らぬ者が枕元にいることに驚きも恐怖も感じなかった。
 なぜ泣いているのかと問うと、老婆は面を上げた。その顔立ちはどことなく祖母に似ていたので、自分は少しだけ懐かしいような気分になった。
「私は竹の精でございます。あなた様にどうしてもお伝えしたいことがございましたので、夢の中に一時、仮の姿でお邪魔している次第でございます。厚かましいことは重々承知でございますれば、どうぞご容赦くださいますよう」
 老婆はこのようなことをたどたどしく言った。どうやら、まだ喋り慣れていないようであった。伝えたいこととは何か、と自分が訊くと老婆は、着物の袖で顔を拭って、
「もうすぐ恐ろしいことが起こります。どうぞその前にこの家を出てくださいませ」
と、自分の顔を正面から見て言った。
 自分はどういうことかと質した。
「詳しくは申し上げられないのでございます。ただ一つ知っておいていただきたいのは、竹の花が咲くと不吉なことが起こる、ということでございます。なぜこんなことを言うのかと思っておいででしょうが、ただ、私はあなた様のお祖母様に、あなた様をお守りするようにと仰せつかっております。ご存じかもしれませんが、この花が枯れれば私も枯れてしまうのでございます。もう長いことではございません。ですからどうぞ、この婆のためと思って、忠告を聞いてくださいませ」
と、涙声で訴えられた。
 祖母が竹の精に自分を守るように命じた理由がわからず、それを聞いたが、老婆はただ首を振るばかりで何も答えてはくれなかった。
「もうこれ以上申し上げられることはございません。けれど、どうか、どうか、この忠告をお心に留めておいてくださいませ」
 それきり自分は意識を失ったのか、気がつけば朝であった。

「……ふうん、そんなことがねえ」
 軽く握った右手を細い顎の先に当てて、小首を傾げているのは、自分の幼馴染である。竹の花が咲けば、竹全体が枯れてしまうということを教えてくれたのは彼であった。偶然訪ねてきた彼に、自分は昨晩の出来事をすっかり話したのだった。
「竹の花が咲くと不吉なことが起こる、というのはただの迷信だろう?」
 自分が聞くと、彼は軽く首を振った。
「あながちそうとも言い切れない。竹の花がつける実は、野鼠の餌になるんだ。そうして野鼠の大量発生を引き起こす。大量発生した野鼠は農作物を食い荒らす。結果として飢饉が起こる。と、こんな構図になっている。……まあ、遠い遠い外国の話だけれどね」
「相変わらず物知りだな」
 自分が感心して言うと彼は、いやいや、と手を振って、
「それほどでもないさ」
と、照れたように笑った。
「全部祖父さまのお陰だよ。ああ、祖父(じい)さまの蔵書のお陰と言った方が正確だろうね」
 彼の祖父は有名な学者で、著書も沢山遺している。その血を継いだのか、彼自身も大層な勉強家で、あらゆる分野に精通しているのだった。それなのに少しも奢るところがないのは、尊敬に値すると自分は思っている。
「しかし腑に落ちない。飢饉だとかそういう『不吉なこと』は、この辺りでは起きそうもないのに……。鼠の餌食になりそうな来そうな畑も田んぼもない。あの竹の精とやらが言った『不吉なこと』とは、いったい何だろう。この家を出ろと言っていたが……。それほどまでに危険なことなのだろうか。やはりあれはただの夢に過ぎなかったのか」
「ただの夢ということはないだろう。竹の花が咲いたことは事実なんだ。それとその老婆が現れたことが無関係とは考えにくい。……家に帰ったら何か役に立つ資料があるかもしれない。ちょっと調べてみよう」
 彼はそんな頼もしいことを言って、立ち上がった。
 
 彼を送り出した後、自分は家の窓から竹林の様子をじっと窺ってみた。一度、散策してみるべきなのかもしれない。もう自分はいい大人である。気を付けていれば危ないことなど何もないはずだ。それにしても、何が自分をこれほどまでに、竹林に入らせまいとするのだろうか。自分は竹林を怖がっているのか? 認めたくはない。だが実際、そうなのだろう。幼い頃に強く禁止されたことは、大人になってからもなかなかそれを破ることはできないのである。
 一度自分は、祖母の言いつけを破って竹林に入り込んだことがある。子どもゆえの好奇心だった。竹林に入って、最初のうちは良かった。たった一人でそこに乗り込んだのだという勇気に酔っていたし、周りを見回せば全てがもの珍しく、飽きるということを知らなかった。しかし、もともと竹林は薄暗い上に、段々と日が暮れて来て、自分を取り囲む竹が恐ろしいものに思えてきた。自分よりもずっと背の高い竹はまるで、自分を取って食おうとしているようであった。さらに悪いことに、自分は元来た方角を見失ってしまったのである。自分は混乱した。半狂乱になって泣き喚いた。誰にも見つからずにこんな所で死んでしまうのか、とそんなことまで考えた。そして自分は、泣き疲れてその場に座り込んだ。
 どれくらいの時間が経っただろうか。がさ、がさ、と足音が聞こえて、自分は身を竦ませた。何か恐ろしい怪物が自分を食べに来たに違いないと思った。実際、その姿を見た時、怪物に違いないと思った。自分を探しに来た祖母は、それほどまでに恐ろしい形相をしていたのである。祖母は普段は温和で、怒ったところなど見たことがないだけに、それは自分にとって大変な衝撃であった。
 祖母の顔を見るなり、拳骨で頭を殴られたことは今でも鮮明に覚えている。あんなに痛い拳骨は、後にも先にもあれだけである。泣きじゃくっている自分に祖母は、これ以後竹林には決して入ってはならないと言い渡したのだった。
 それ以来自分は、竹林に一度たりとも足を踏み入れていない。祖母を誰よりも慕っていただけに、その命に背くことはできなかった。
 窓の外に見える竹林は、数十年前から同じように、思わず吸いこまれそうなほどに暗い。自分はごくりと、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。何もないはずだとわかってはいても、どうしてもあの中に入りたいという気持ちにはなれそうにない。
 自分は窓掛けをぴたりと閉めて、竹林が目に入らないようにした。
作品名:竹の花 作家名:スカイグレイ