月桂樹
私は白い中に浮かんだ濁った赤を見ながらいつも憂鬱になる。
これを表現する言葉に月という漢字が何故含まれているのだろうか。
月の満ち欠けに関係がある、時間を表す言葉だろうということはわかっているけれど、いつもこの月という涼やかな、清廉とした言葉と、目の前のぬるりとした生々しい赤が上手く繋がらなくて、私はいつも途方に暮れそうになる。
ただ、あの夜の闇にただ存在している月の孤独な美しさと、この粘りつくような、自分の体から流れ出す赤の間の溝に落ち込んでしまう。もっと生々しい名前だったのなら、私はこんなにも困惑しなかっただろうし、寂しくもなかっただろう。そして自分の体とあの月との途方もない距離を感じて、いっそこの体の全てがこのどろどろとした赤くて生々しいそれになって出て行ってしまえばいいのに、そして流れていってしまえばいいのに、という衝動に囚われる。
私はそれを振り切るように、水を流すボタンを動かす。ザーッという音がして、赤く染まった汚泥が流れて、ようやっと私は溜息をつく。
その獣じみた赤が目に見えない場所に行ってしまったことに。
そしてその赤と一緒に流れてしまえなかった自分に。
「Aちゃんが結婚するんだって」
母がそう私に告げる。手の中のコップには赤茶けた紅茶が揺れている。誰かのお土産のクッキーが破られた袋の中で存在を主張している。
「Aちゃんが?」
「小学校の時の」
「うん、わかってるけど」
机の上に無造作に置かれたそれらを見ながら、私は母の言葉を繰り返す。
「結婚したんだ」
けっこん、ケッコン、血痕、結婚。
私は頭の中でその言葉を繰り返す。Aちゃんとはもう十年以上会っていない。私の中のイメージはランドセルを背負った子供のままで止まっている。母親同士は親しい関係にあるが、私とAちゃんとはそういうわけでもなかった。
とりあえず母親同士が親しいから、とりあえず家が近いから。
小学生の関係というのは、本人達の意思よりも、周りの都合で結ばれることが多いのではないか、とすら思う。小学校を出てしまえば、Aちゃんはすぐに私の中ではAちゃんという名前だけの記号になってしまった。中学も一緒だったならもう少し違ったのかもしれないが、中学は少し遠い所に行ったから余計だろう。
「おめでたいね」
Aちゃん。けっこん。
ランドセルを背負わないAちゃんとの思い出も恋人もいない私には、どちらも余りにも遠すぎて、言葉も上滑りするように投げ出された。ふわふわとしたものをそのまま形にせずにとりあえず放り投げるような投げやりな答えだった。
母はそれに気づいていないのか、嬉しそうに自慢するように話す。
「高校の時から付き合ってた子らしいよ。お母さんも一度銀行で会ったけど、礼儀正しいいい子でね」
母の言葉はとめどなく続く。
相手の容姿のこと、出身のこと、職業のこと。上滑りした私の言葉は気付かれずに、母はただ言葉をプレゼントを美しくラッピングするような熱心さで私の目の前に積み上げていく。言葉は母の思う通りに美しく飾り付けられて、私の前に並べられていく。
私はそれを、現実感のない夢のように思い、母は何故、何年も会っていないAちゃんについて、私にこんなにも熱を持って語れるのだろうか、と私はただそれだけを考える。積み上げられていく言葉を、膜が張ったような向こうの世界の何かの様に、私が途方に暮れて眺めていることも知らず、色鮮やかな不気味な生き物の様に母の唇から言葉は湧き出していく。Aちゃんのこと、二人の様子のこと、Aちゃんのお母さんと結婚相手との関係のこと、結婚相手の家のこと。正しい幸せとしてそれらは熱心に積み上げられていく。
私はそれらとランドセル姿の、記号になったAちゃんと上手く結び付けられないまま、上滑りし続ける相槌と一緒に積み上げられていくそれらを見つめている。
「あんたも頑張りなさいよ」
大抵はこんな言葉で締めくくられる。私は微苦笑でうんともいやとも言わないまま、積み上げられた母の言葉を無感動に眺める。がんばれ、という言葉が私の中で実体のない言葉としてふわふわと漂って忘れ去られる。
ここまで言葉を積み上げられる母親の熱心さが、どうして私のこの投げやりさに気付かないのかいつも不思議だった。母は一体誰に向かってこの言葉を積み上げているのだろうか。積み上げられたまま触れられもしないこの言葉達に気がついてはいないのだろうか。もしかしたら積み上げることだけが目的で、積み上げられた言葉達そのものを愛しているわけではないのかもしれない。
そして積み上げられた言葉は、今日も積み上げられたまま終わる。私は微苦笑のまま、膜の向こうの出来事としてそれらを忘れ去る。
ああ、お腹、痛いな。なくなればいいのに、こんなの、と思いながら紅茶を啜る。
ふいにドアがガチャリという音を立てた。鼻につく香水の匂いが不意に漂った。病的なまでに過度なそれは、この家ではたった一人だけが使うものだ。目の前の母の顔が思い切り顰められる。そしてすぐに無表情になる。
祖母だった。
祖母が入ってくると、いつも空気が冷やりとした。ここ数年はずっとこの状態が続いていた。理由は色々ある。その原因のほとんどが祖母の人間的な問題に帰結することを考えると祖母の味方になろうとは微塵も感じない。無遠慮で自己中心的な祖母とそりの合わない母親の対立というよくある構図に、父親の鈍感さと祖母とよく似た伯父夫婦との軋轢が加わり収拾がつかない事態まで悪化し続けたというだけの話だ。そして母からの愚痴を聞くスポンジが私だった。それだけだ。
ただこの冷やりとした空気を作った全てのものを密やかに憎んでいることは、家族の誰にも告げていない。
祖母は母の名を呼び、土曜日の予定について告げ、昼はいらないと言った。母は硬直した顔で冷たい声を発して早々に会話を終わらせる。あれだけの対立をしながら母の作る食事を食べる祖母の神経というものはいつだって理解が出来ない。ただ、そういった態度がここまでの空気を作り出した理由の全てを表している気もした。
パタンとドアが閉まり、祖母が去っていくと、冷やりとした空気がようやっと少し遠ざかる。母は思い切り顔を顰める。そして新しい祖母の愚痴がその唇から生まれ出る。そして話は過去に遡っていくのだ。
私はいつもわからなくなる。
恋人や結婚を他愛無く賞賛する唇と、祖母を罵倒する為に動かされる唇が私をいつも混乱させる。どうやっても私はこの賞賛される結婚と、その結果である現在の家族関係を上手に結びつけることが出来ない。どうして母はあれだけの熱心さで結婚を賞賛し喜び言葉で飾り立てられるのだろうか。祖母の無遠慮さや父の鈍感さや伯父夫婦の所業を憎憎しげに話すその唇で。
私はやはり微苦笑のままそれらの言葉を眺めている。冷やりとした空気や矛盾だらけの言葉を吸い込んでしまわないように、私は微苦笑でそれらを置き去りにした。ああお腹が痛いな、とまた思いながら私は紅茶の入ったコップを手の中で回す。
こんな日は決まって、私の全身が赤いどろどろとした汚いものと一緒に流れて消えてしまえばいいのに、と思う。