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書評集

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塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』


<紹介>
 トリスタン・ツァラ(ダダの創始者)を中心に据えて、ダダ・シュルレアリスムが何であったのかについて書かれた著作。つまり、それらがどのような思想に基づいていたのか、どのような運動を展開したのか、またどのような歴史をたどったのかについて書かれた著作である。レトリスム(*)についても触れているし、バタイユやルーセルについても、ダダ・シュルレアリスムと絡ませて論じている。ダダ・シュルレアリスム、特にダダへの格好の入門書。
 20世紀は前世紀との断絶によって始まった。文化的には複製技術の進歩によってオリジナリティが意味を失い、ちまたに複製品が溢れることによって、複製こそがむしろ現実となってしまった。(もちろんこの文化的状況だけで当時の前衛芸術を説明しつくすことはできないが、ダダとは幾分深い関わりがある。)そしてその断絶を身をもって体現したのがダダである。「ダダは何も意味しない」――19世紀は理性的主体と意味の時代であったが、ダダはそれに反旗を翻し、言語の意味作用を破壊しようとし、オリジナリティに対する西洋的フェティシズムを嘲笑し、言語が生まれたばかりの根源的状態への回帰を呼びかける。それは非知への回帰を志向するバタイユと接点を持つ。それに対して、ダダに続くシュルレアリスムは、無意識の解放をうたいはするが、ダダのような言語破壊は継承せず、前世紀的な意味とオリジナリティを回復させてしまう。

<批判>
?シュルレアリストがなぜ革命運動に走ったのか、その必然性が見えてこない。夢と現実の超現実への解消は、現に革命なしでも十分達成できたではないか。
?ルーセルとダダの接点、全体主義的言語とシュルレアリスムの接点が不明確で、無理やり共通性をひねり出したという印象がぬぐえない。もう少し説得力のある形で書いて欲しかった。ひょっとしたら同時代的に起こっただけで、それ以外に本質的なつながりなどないのかもしれない。


作品名:書評集 作家名:Beamte