光
途方にくれて歩いていたら、不意にコートの裾を誰かに引っ張られた。
冬の寒い日で、雪がちらほら降っていた。
曇天の街並み。ただ灰色なだけの、殺風景な景色。
「……何?」
手つきがなんだか縋り付くみたいだった。俺は今まで他の誰にも自分の洋服をそんな風につかまれたことはなくて、だから困ってその小さな人間を見下ろした。
なんだか、薄汚れた風体のガキだった。
元は白かったのかもしれない、ねずみ色のぼろ(いや、本当にボロかったんだって)を着てて、この寒いのになんと裸足で。
伸ばして綺麗に梳かしたらきっとかわいいだろうなって一瞬思ったプラチナブロンドは、もつれて互いに縒り合って紐みたいになっててさ。
そんなぼさぼさの髪の合間から見える、蒼みがかった灰色の目も、やっぱり縋るみたいだった。じぃっと俺を、無心に見ていた。
この近代国家に、ここまであからさまな浮浪児(しかも外人)が居ていいのかどうか、というのは別にして、俺はとりあえず精一杯無関心を装って、ガキの手を振り払った。
俺はその時、そんなガキに関わっていられるほどヒマではなかったし、大体関わったところで何かしてやれる自信も何もなかったからだ。
その時の俺は、理由は深くは言えないが、とにかく追い詰められていた。どうしようもなくて、もういっそのこと自殺でもしてやろうかとか考えていたぐらいだ。自分のことだけで一杯一杯な状況だったから、尚更係わり合いになりたくなかった。
俺は歩き出した。とにかくどこか遠くへ行こうと、目的はないけど、何をしたらいいのかもわからないけど、とにかく行かなければならなかったので。
ガキのことはわざと眼中から外した。俺じゃなくても、きっと別の、他の誰かが何かしてくれるに違いないと、その時は思ったのだ。ガキだってこんな俺に、これ以上ついては来るまいと思った。
ところが、俺の予想に反して、そのガキはいつまでもどこまでも俺の後を追ってきた。
時期は昨日から春だというくせに、まだ春どころか真冬まっさかりの松の内で、町に人影はなく、下手したら世界に生きてる人間は自分だけなんじゃないかとか、そんなことを思ってしまうという状況だ。
ましてやそのガキと来たら北風吹きすさぶこの寒空の下、ねずみ色の薄いボロ一枚だけにしかも裸足で、指先や裸足の足とかもう真っ赤で凍傷にでもなってんじゃないのかってぐらいの勢いで、歩くのだってもしかしたら相当痛いだろうに、いくら手を振り払おうと、歩みを早めようと、どこまでもどこまでも、息をきらしながら追いついてくるのだ。
好奇心、なんだろうか。それとも期待だったんだろうか。とにかく、俺にはよくわからない感情に満ちた目が、きらきらしてた。雪まじりの北風に煽られてよろめきながら一生懸命に、アスファルトを踏んでついてくる足音が、あたりにぺたぺた響いてて。
本当言うと、なんかもうその時点で、正直諦めてたんだと思う。
「……名前は」
俺が足を止めると、ガキも足を止めた。
ガキの白くてひび割れた唇から、短く白い息が漏れてた。
俺が聞いたら、ガキは思いっきり吃驚した目で俺を見た。
二度聞きなおしてから、やっと意味がわかったみたいに首を横に振った。
「名前、ねえのか。じゃあ家はどこだ」
ここは本当に法治国家日本か、とか溜息をつきながら俺が聞いたら、ガキはやっぱり首を横に振った。予想は出来た答えだった。
俺はやっぱり溜息をついて、それから、自分の手を差し出した。
なにができるとは思わなかった。それがこのガキのためになるんだかどうだかってことも、その時は考えなかったな。
ただ、世界から爪弾きにされて、居場所をなくして途方にくれてしまったような俺でも、こんな子供にならなんかしてあげられるんではないかとか、そんなことを少し、思ってしまったので。
☆☆☆☆☆☆☆
私は数えきれないほど人を殺してきました。恐ろしいこともたくさんしてきました。
しかし、私は悪ではありません。
自ら選んでそうなろうとしたのではないからです。
選択がなければ、善も悪もありえません。
我々にはそのような選択は決して与えられていませんでした。
赤い渇きが我々を支配し、我々の運命を定め、我々から一切の可能性を奪っていたからです。
(G・R・R・マーティン著・「フィーヴァードリーム」より)