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だいなまいと そのろく

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 と、真剣な表情で、花月は怒鳴った。そこにいた人間が絶句したのは、言うまでもない。事情を説明していたから、堀内以外の人間は驚いたものの慌てて、警察に連絡するようなヘマはしなかった。すぐに浪速が連れて来られたが、連れて来られた浪速ですら絶句した。
「水都っっ、帰るでっっ。」
 それでも、差し出された手には反応した。すぐ手を取って、事務所から走り出した。花月の部屋に戻ると、そこには、ちゃんと逃亡するための荷造りがされていた。浪速の分も、ちゃんと、作られていた。
「おまえの入用やと思うもんは、ここに詰めた。とりあえず、逃げる。」
 どうせ部屋は知られているのだ。ここにはいられない。金がないのが、かなり手痛いのだが、逃げないわけにもいかないと、銀行で貯金は全額下ろしてあった。
「待ってくれ、花月。逃げるって・・・どこへ? だいたい、おまえ、もうちょっとしたら研修に・・・」
 就職先の研修が、来月の途中から始まる。それほど逃げていられるわけではないし、それまでに住む場所を確保しておかなければならない。そんな瀬戸際の時に、逃亡なんてしている暇はない。
「研修まで逃げて、とりあえず、ウィクリーマンションでも借りる。」
 本当に真剣に、いろんなことを考えたのだと、浪速にもわかった。たぶん、いろいろと考えて、自分を迎えに来てくれたことが嬉しい。
「そこまでせんでも大丈夫や。」
「あほかっっ、あんなやつらは何するかわかるかいっっ。おまえ、何にもされてないやろうな? 」
「・・うん・・・」
 何もされていないというより、いつも通りに仕事をさせられていただけだ。部屋からは出してもらえなかったが、食事は、それなりの弁当が支給されていたし、着替えも差し入れられていた。
「とりあえず、このまま、夜行バスに乗る。」
 荷物を引っ掴むと、花月は立ち上がる。ちゃんと、逃亡ルートも考えたらしい。だから、そこまでしなくてもいいんだと、水都のほうが説明しようと思ったら、堀内が追い駆けて、部屋にやってきた。凄んでいるわけではなくて、普通の顔をしていた。まあ、普通の顔でも、一般人が見たら怖い顔ではあるだろうが。
「へぇー逃げる気満々で結構や。」
 綺麗に片付けられた部屋から察せられただろう。堀内は、水都に向かって、嬉しそうな顔を一瞬だけ向けた。何が、そんなに嬉しいんだろうか、と、水都にはわからなかった。
「手切れ金なんか一銭もないっっ。」
「別に、手切れんでもええんやがな。」
「こいつは、おまえの愛人でもなんでもあらへんのやっっ。」
 誰が手切れ金だ? 誰が? とんでもないことを花月は吹き込まれたらしい。ああ、それで逃亡するわけか・・・と、そこで、ようやく、俺にも納得がいった。たぶん、堀内は、なんちゃってやくざのマネなんぞして、花月におかしなことを吹き込んだに違いない。そして、真っ正直な花月は、それを信じたから、あんな芝居をしたのだろう。
「ええ加減にせいよ、おっさんっっ。花月に、何を言うたんやっっ。」
 さすがに、これには腹が立った。
「あることないこと、いろいろや。」
 もちろん、堀内のことは、よく知っているので、本当のことなんか教えてくれるわけがない。
「バイトさせてもろたんは感謝してるけど、それとこれとは別や。」
「まあな。とりあえず、おっちゃんを袖にするみっちゃんに意地悪したかったんや。でも、ほら、おっちゃんは、みっちゃんが大好きやからな、そこのあほガキに八つ当たりしといたんや。」
「もうええやろ? 」
「せやな。もうええな。・・・転勤なしで、就職の方向で頼むわ。それと、これは支度金や。」
 ポンと堀内は、封筒で、俺の肩を叩いた。そして、そのまんま手に渡される。転勤拒否は受理されたらしい。それから、堀内は、花月に向かって、「俺の大事にしてたみっちゃんを、大切に、大切に、それはもう、お姫様のように大切に世話してくれ。」 と、言い置いて、大笑いして帰っていった。よくよく考えたら、俺は花月にバイト先のことを話したことがなかった。堀内が、やくざだと言ったら信じるだろう。それから、事情を説明して、逃げることも、手切れ金を支払うこともないのだと納得させたら、花月は、「二度と堀内に会いたくない。」 と、怒っていた。


「花月は、まだ、おっさんのことが苦手やねん。」
 笑いが収まってから、浪速は、そう言って、堀内に冷酒を注いだ。今から考えたら、恥ずかしい青春の汚点だろう。そして、どんなに自分が、世間知らずで力がないのかも思い知らされた。それを、知られている堀内が、花月は苦手だ。
「まあなあ、それはわかるけどな。おっちゃんは、あのボケが大好きなんやけどなあ。」
 なりふり構わず、それこそ、猿芝居みたいな真似までして、浪速を迎えに来た吉本を、堀内は認めている。若いから、あんな無茶しか思いつかなかった吉本だが、それでも真剣に、浪速と居ることを選んだことは、自分にとっても嬉しかったからだ。ちゃんと後日、浪速には内緒で詫びを入れて、浪速のことを頼んだ。
「おっさんに言われる筋合いはないわいっっ。」 と、ケンモホロロに怒鳴ったものの、ちゃんと詫びてきた堀内に、「水都に寂しい思いはさせへん。」 と、宣言もした。あれから十数年しても、ちゃんと、ふたりして楽しく暮らしているから、堀内も安心している。浪速が、生きているだけの状態ではないのが、そのいい証拠だ。
「好きなんやったら、黙って見守ったってくれ。」
「そうやねんけどな。なんか、わしが寂しいやんけ。」
「俺が相手したってるのにか? 」
「せやけど、みっちゃん、そろそろ、帰宅時間やろ? あのボケのことやから、十二時過ぎたら電話してくるぞ、絶対に。」
 時計は、そろそろ深夜枠だ。たぶん、花月は、今夜、誰と飲んでいるか気付いているだろう。電話してくることはないだろうが、あんまり遅く帰ると、苛められそうな気はする。
「ほんだら、お開きにしてもらおうか? 」
「そうやな。そうせんと、また、ダイナマイトを腹に抱いて、あほが来るかもしれへんし。」
「いや、今度は普通に来ると思うで。」
「わかるかいな、三つ子の魂百まで、って昔から言うやないか。」
 立ち上がって、勘定を堀内が済ませる。ぶらぶらと、大通りまで歩いて、タクシーを捕まえた。堀内のほうは、すぐ近くのホテルだから、このまま徒歩だ。タクシーに乗り込んだら、浪速の携帯がブルブルと震えた。
作品名:だいなまいと そのろく 作家名:篠義