崩壊世界ノ黙示録
そこで初めて玲は理解した。何故、自分が此処に送られてきたかを。何故、自分でなければならなかったのかを。
「随分と育ってんじゃねぇか。えぇ?この糞チビ」
足元に落ちていた小石を拾い上げて音のほうへ投擲するのと同時、玲は罵倒の言葉を叫びたてた。
すると暗闇の先からは2つの黄色い光が浮かび上がり、あの生々しい音の代わりに、今度は獣の唸り声のようなものが洞穴中を震えさせる。
暗闇に浮かぶ黄色く鋭い双眸は、竜愚者の幼生が持つ特有の眼だ。そして彼らは生肉を好み、その巨体を生かして獲物を狩り、巣に持ち帰ってからゆっくりと食す習性がある。
徐々に暗闇から竜の姿が浮き出始める。精密な箇所は見えないが、その巨体といい眼といい、どうやら予想通りと見て間違いは無さそうだった。
――刹那。暗闇の先で、何かが蠢く気配を感じ取った玲は、鋭爪が岩肌を削り取る前に地を蹴っていた。
ここにきてようやく暗闇に慣れ始めた目に映る敵の姿は、限りなく獰猛だ。真っ赤に燃え盛るような刺々しい鱗、鉄でさえも切り裂けそうな鋭い爪、そして蛇よりも鋭く綺麗な金色の双眸。開かれた口に生え整っている牙は、触れるだけで裂傷を負いそうなほどに物々しい。
「ったく、前の地球に棲んでたどの生物からこんなに恐ろしい怪物が生まれるんだ?人間が起こす核戦争なんて、やっぱりろくなもんじゃねぇな」
2度。竜の癇癪により、洞穴の岩肌が削り取られる。口では文句を垂れながらも、玲はその攻撃を殆ど感覚だけでかわし続けた。
が、
「っ!」
予想もしていなかった尻尾での攻撃がもろに彼の体を捉え、壁際の岩肌に思い切り叩きつける。他の生物とは段違いな膂力が生み出すその鞭を受け、吹き飛ばされた玲の体は岩肌にめり込むまでに至っていた。
そこへ、竜愚者が止めと言わんばかりの爪を突き刺す。それは正しく最後の一撃となり、この勝負を終わらせる決定打になる――
筈だった。
――次の瞬間にダメージを受けていたのは、玲ではなく――竜の方だった。
「……おい」
玲へと向かって繰り出された竜の爪は、一瞬にして粉砕されていた。否、手そのものが。
「俺はよぉ、何も理不尽に手前の命を奪おうとしてた訳じゃねぇんだよ。だがよぉ、お前ときたら何だ?話し合いも無しに殺意滾らせやがって、それは相手に失礼ってもんだろうが。いいか?俺が教えてやる。……礼儀って奴をなぁっ!」
無造作に放り出されていた尻尾。常人にとってこの尻尾は、弾丸を防ぎ、ナイフを砕く強敵である。
が、あろうことか玲はそれを片腕で鷲掴みにした。幼生体とはいえ巨大なその器官は、巨人でも無い限り完全に掴むことは出来ないだろうが、それでも彼は『握力』と『指力』の2つだけでそれを実現していたのだ。
これにはさしもの竜愚者も唯暴れることしか出来ず、そしてそれは無駄な行為に過ぎなかった。玲によって握られた尻尾に掛かる握力は、最早人間の出せる其れではないのだから。
「うぉぉぉぉぉらぁぁぁぁあっ!」
尻尾を掴んだまま、玲はそれを竜愚者の巨躯ごと砲丸投げの要領でぶん回す。遠心力を付加された巨躯は僅かな間にも加速を続けていき、そして。
「くたばれぇぇぇッ!」
思い切り、放り投げる。体重の重さゆえに、かなりの遠心力が付いていた竜の体は容易く亜音速の壁を超え、洞穴出口を風のように切り裂いて対岸の絶壁に直撃した。ごつごつとした岩肌には、まるで粉砕機で掘り進めたかのような巨大穴が穿たれる。
その巨大な穴の中で、竜愚者は完全に沈黙していた。断末魔を上げる暇さえ与えられず、唯投げ飛ばされたのみで、人々から最大の脅威と恐れられる象徴の命はこの世から消えたのだ。
四肢は奇妙に折れ曲がっており、間接からは内側から真っ白な竜骨が突き出ている。このまま長きを経れば、化石にでもなるのではないかという程にその死に様は滑稽なものだった。
しかし玲は、その滑稽な屍の中の『ある一点』に視線が釘付けとなった。
――竜の肘関節内側、丁度窪みになっている所が、小さくはあるが明らかに自然な形ではなく削がれていた。鋭利な刃物や弾丸による損傷とは違い、何かに無理やり引きちぎられ方のような痕――。
ふと玲は、数年前、メンダークスがまだ夜明け団に居た頃の光景が脳裏に浮かんだ。調査だの味見だのと言いつつ、討伐した愚者の屍を食い荒らす彼女の姿が。
その脇に転がっている、蟷螂愚者の屍。その体の一部が、やはり同じように削がれている。メンダークスに齧られた痕だった。
「……あいつ、やりやがったな」
脳裏に浮かぶ愚者の傷と、今目にしている傷の完全な一致に気づくと同じく、玲はある1つの事を確信した。
メンダークスは、自らが摂取した生物の形質や遺伝子を完全に複製し、自分の細胞に記録していく能力を持つ。その用途は実に様々で、声や容姿を真似るだけでは無い。
例えば、彼女は大きさが余りに一致していない生物の姿を完全に真似ることは出来ない。例えば有りもしない器官を持つ愚者や、大きさそのものも一致しない生物などがそれに当たる。
だが、やはりそれらの生物でも『容姿が真似できない』というだけであり、声や肌の質感・フェロモンまでもを真似することは可能なのだ。
竜愚者は、自分の子供に対して恐ろしいほどの執着を持つ。例え何千里離れていようとも親は子のフェロモンを嗅ぎ付け、それが助けを求めていれば何処まででも駆けつける。
つまりメンダークスは、1度この洞穴で竜の幼生を齧り、そのフェロモンを複製した。そしてマルクトまで赴き、助けを求める振りをして親であるあの竜愚者を呼びつけたのだ。
(――くそ、でもそうなると、他の愚者に指示を出した奴は誰だ?そんな能力、夜明け団以外には備わってなんか居ねぇ)
メンダークスという存在以外にも、この事件にはもう1人の誰かが関わっている事、そしてそれが夜明け団の誰かであることは間違い無かった。幾らメンダークスとはいえ人外であり、知能もさして高くは無いとされる愚者達を纏め上げることは不可能だ。
だからこそ、そのもう1人の存在が浮き出てくる。何故、どういった目的でマルクトを襲ったのかは分からなくとも、その誰かが分かりさえすれば尋問も可能だろう。
玲にはそれが誰かなど思いつかなかったが、それが判明しただけでも十分だと考えた。自分で分からなくとも、第6区画《ホド》にある夜明け団の集落――そこに居る《黄金の夜明け団》の創設者、《花月愛理》に頼めばどうにかなると。
「ったく、どうなってやがんだ?」
探れば探るほど、謎が出てくる。その裏に居る最終的な人物が誰なのか、今は想像することさえも叶わない。
だが玲は、体の何所かで嫌な何かを感じていた。冷たい水底に沈む、静かな脅威には、知ってはいけない何かがある気がして。
「……嫌な予感は当たるもん、か……」
呟くと、玲は洞穴の出口へと帰路を辿り始めた。
背後から竜愚者以外の何者かが、視線を注いでいることも知らずに。