断絶
一体いつからここで――この部屋でこうしているのだろうか。いや違う。一体どれほどの間を何もせずに過ごしてきたのだろうか。ここは僕の部屋だ。テレビもパソコンも無い。時計も鏡も無い。窓も無い僕の部屋。
正確には窓と鏡はある。けれど僕はそこに僕が映り込むのが嫌なので、全てのガラスに新聞紙の類をガムテープで張り付けてしまった。いっそ壊してしまおうかとも思ったけれど、割れた破片のその全てから僕が覗くかと思うと発狂しそうな気がしたので、やめておいた。僕は気狂いになるのは嫌だ。
なぜ僕がこうしているのか。それも分からない。ただ僕は僕を取り戻すために、こうして僕の思いを綴り続けている。僕の思いを綴った紙はどれもクシャクシャに丸められていたり、あるいはそれを広げられたりしていて全くの襤褸だけれども、その数は膨大だ。それはつまり僕がこうして――この窓も鏡もない部屋でこうして過ごし始めてからかなりの時間が経っているという証明だと思う。
僕は今まできっとたくさんの愛を押しつけてきたし、押し付けられてきた。そしてそれを恩に着せたり着せられたりしてきたと思う。生きると言うのはそういう事だから。それで望む結果が得られなかったと勝手に失望したり、怒ったりしてきたんだろう。そんな事はこんな風になってしまった今でも簡単に予測がつく。誰しもそうだから。そうだと思うから。
もしもこの世に完全で純然たる愛があるとしたら、それは自己犠牲でしか有り得ない。人は皆、自分の為に生きて自分の為に他を愛する。僕はそれが嫌だ。とても虚しくてたまらない。誰かをそうして愛す時、僕はいつもどこか冷たくて虚ろでそして寂しかった。そうして人を――両親も兄弟も恋人も友人も愛さなくなった。そんな事ばかり考えていたら、僕の愛はただの自己愛でしかない事に気付いてしまったので愛せなくなったのだ。
そして人との関わりを絶ってこの部屋にこもってから、一体どれほどの時間が経ったのだろう。分からない。窓ガラスに貼った新聞紙は随分古い物で、テレビもパソコンも何も無い僕には外で何が起きているのかも分からない。そうだ、僕は世の中の愛が自己愛同士の慰めである事に気付き、他を排除しただけだった。純然たる愛を――人として、一人の人間として知る為に全てを断絶した。そしてここでこうしていたのだ。
ここにあるのは何だ? 僕だ。僕だけだ。僕は一体この何も無い部屋で何をもって愛とするというのか。何を愛すのだ? 世界か? 外の事など何も分からなくなってしまった僕が世界を愛すると言うのか? 馬鹿げている。余りにも滑稽だ。ここにあるのは僕だけだ。愛の発露する先は詰まるところ自己愛でしかない。なんなのだこれは。人は他の中にいても、またはそれを排除しても結局は己を愛する事しか出来ないのか。己を愛するように隣人を愛せよと神は言う。そう、あくまで己を愛するように――なのだ。人は自己愛という基盤がなければ、その指針がなければ愛という物を捧げる事すら出来ないのか。それともこれは僕だけがそうなのだろうか。外の人々は皆、純粋に他者を愛しているのだろうか。そこに自己の益や救いが無くとも、他者を愛せるのだろうか。人を好きだと言い、好きだと言われた時に感じるあの幸福は、自己の幸福であって他者が同じように幸福であるとは言えない。いや同じように幸福な訳がない。人の痛みも喜びも、その人自身のものであり他人はそれに共感する事はあっても、全く同じものを感じる事など出来はしないのだ。なのに、それでも……?