だいなまいと そのよん
札束の入った封筒を、堀内に差し出したら、びっくりされた。それはそうだろう。俺の金銭事情というものは、堀内には筒抜けだ。これだけの金があるはずがない。
「何処から湧いて出た? 」
「知り合いに借りた。あんたに、尻を貸すのはあかんらしい。」
ストレートに告げたら、げらげらと笑われた。借金した段階で、俺のほうが、「いつでもどうぞ。」 と、納得していたのに、堀内は手を出さなかった。確かに、いろいろと触られてはいたが、そんなものは利息ぐらいのことだ。
「知り合い? あのガキんちょか? 」
「ああ、花月や。」
「そうか、なかなか麗しい友情やないか。おまえみたいなヤツに、そこまでしてくれる相手がおるとは思わなんだで、おっちゃんは。」
「俺もびっくりした。せやけど、受け取らんかったら、殺すみたいな気迫やったからな。」
「ほんなら、おまえ、あのガキにケツ貸すんかいな? 」
「え? 」
「だって、そういうことやろ? 」
そういうことではないような気がしたが、堀内との借金が、そういう約束だったなら、そういうことになるのかもしれない。だが、それは、違うような気がする。たかが、尻だし、堀内なら、「好きにどうぞ。」 と、面と向かって言えたのに、花月には言えないような気がした。そんなことを言ったら、花月が傷つくような気さえした。
「わからん。もし、花月が、借金のカタに、「身体貸せ」って言うたら考えるわ。」
「ふーん、えらい純愛なんやなあ。・・おまえみたいなヤツに、なあ。」
何か、堀内には思うところがあったのか、タバコの煙を吐き出しつつ苦笑していた。それから、しばらく無言で空中を睨んでいたが、唐突に、「実は、な。おっちゃん、転勤するんや。」 と、言い出した。
「今すぐに、ということではないんやが、合併した本社のほうが人手不足なんで手伝いより、本格的に仕事してほしいって言われてるんやわ。三月にキリつけて四月ぐらいから、あっちへ移動しようと思う。みっちゃんは、わしの直属の部下にしたるさかい、連いて来ゃーへんか? 」
「本社って、どこや? 」
「愛知県。住居も、向こうに用意するし、みっちゃんが、わしの秘書やったら、わし、毎日、楽しいしなあ。」
「愛知県って・・・」
「あのな、みっちゃん、あのガキみたいなんは、おまえには向かへんぞ。たぶん、おまえが精神と体力弱らせるだけや。」
「はあ? 」
「あのガキは、おまえに惚れてるから、金を用意したんやと、わしは思う。とりあえず、この金は受け取ってやるが、みっちゃんまでやるつもりはあらへん。ガキへの借金は、ゆっくり返したらええ。ただし、転勤してからや。」
まだ三ヶ月は先の話やから、よう考えてくれ、と、堀内に念を押された。花月は、公務員の試験に合格して、そこへ勤めるつもりだと聞いている。そうすると、俺が転勤したら、そうそう逢えなくなるのだろうな、と、思ったら、少し後頭部がちりちりとした。
「転勤? なんじゃ、それはっっ。」
アパートに戻って、その話をしたら、花月が声を荒げた。正確には転勤ではない。正社員になるのが、本社ということになるだけだ。そう説明しても、花月は、なんだか怒っていた。
昨年の暮れに、一緒に年越しをした時のことだ。酔っ払った浪速が、「花月がいないと、俺は小さくなって、そのうち消えてしまうねん。」 と、泣いて縋ってきた。吐き出されることのない浪速の本心は、子供みたいなものだった。たぶん、当人にも自覚なんてないだろう。孤独が心地よいと思い続けてきた浪速に、俺は、「寂しい」 という気持ちを教えてしまった。覚えたものは、二度と忘れることはない。もし、浪速に、その寂しさを埋めてくれる相手ができたら、それは、俺でなくても埋まるだろう。だが、それは難しい。浪速は、俺以外の人間を人間だと認識しているだけで、温かいものだとは思わないからだ。壊れているのだと、俺は思ったし、浪速にも自覚はあるらしい。今度の借金のことも、俺は、まず返済を考えた。「愛人の手当」なんていう理由を、浪速が、そのまんま飲み込んだら、たぶん、浪速は、身体で寂しさを紛らわせられるのだと気付くだろうからだった。そんなものは、本当に「寂しく」ないのではない。すぐに、浪速も気付く。そして、生きて息をしているだけになるのに、時間はかからないはずだ。
それなのに、新たな問題が発生した。返済の報告と、転勤の報告に、俺は唸るしかなかった。
「転勤? それ、決定か? 」
「ああ、まあ、ほぼ確定ちゃうかな。」
自覚のない壊れた浪速は、素っ気無くそう言った。けど、本心はどうなんだろう。
「とりあえず、風呂上りにビールでも飲もか? 」
本心は、当人にもわからない。なら、その本心を暴けばいい。あまりいいことではないが、「転勤しても寂しくない」 と、吐くなら、それもよかろうと思ったからだ。別に、物理的な距離なんてものは、たいしたことではない。愛知県なら新幹線で一時間もかからない場所だ。週末ごとに、お互いに行き来することは可能だ。
・・・・うーん、俺、ノーマルのつもりやってんけどなあー・・・・どこでどう間違ったかなあ。・・・・
傍にいたいと思ってしまったのが、運のツキだ。ぽつぽつと世間話をしながら、缶ビールを三本あけた。とろりと目が溶けそうになった浪速は、やっぱり、急に泣き出した。
「・・なんで?・・・・なんで、俺・・・花月とおったらあかんの?・・・・」
・・・・ああ、やっぱりそうや。おまえ、俺がおらんとあかんねんや。・・・・
たぶん、そうなんだろうと、俺は思っていた。普段からは考えられないが、酔っ払った浪速は、子供みたいになる。
「別に、俺とおったらええがな。」
「・・・せやけど・・・就職できひん・・・」
「できひんかったら、バイトでもしとけ。ほんで、俺の嫁になったらええ。嫁も立派な仕事やぞ。」
もう覚悟はできていた。なんていうか、もう、ほっておけないのだから、そうするしかない。惚れているなんてことではなくて、もっと根底の気持ちみたいなものだ。大切にしてやるとか、大事に扱ってやるとか、そんなことはできそうにないけど、とりあえず、一緒にいてやることはできる。ふたりして働けば、それほど生活苦にはならないだろう。
「・・よめ?・・俺・・男やで?・・・」
「男でも嫁になるやつはいてる。心配せいでも、ええから。おまえは、ここにおれ。」
どんっっ、と、畳を叩いたら、浪速は猫みたいに飛び上がってから、あはは・・と、嬉しそうに笑った。
・・・こんなに早く嫁ができるとはおもわなんだなあー・・・・
元々、結婚なんてするつもりもなかった。どうも、俺も他人様とは親密に付き合えない性質だ。どうにもこうにも気を使うのだ。だから、今まで彼女も作らなかったし、できても、何ヶ月かで別れていた。なぜだか、浪速は気が楽だ。気遣うことをしなくてもいい。なんとなく、お互いに、無言で居ても気詰まりしなくて暮らしていられるのだ。
「・・・花月・・・一緒におってくれるんか? 」
「ああ、おったるで。おまえみたいなんは、珍しいから、俺も大歓迎や。」
「・・・わかった・・・」
くふくふと嬉しそうに、浪速は笑って、俺に抱きついてきた。
「何処から湧いて出た? 」
「知り合いに借りた。あんたに、尻を貸すのはあかんらしい。」
ストレートに告げたら、げらげらと笑われた。借金した段階で、俺のほうが、「いつでもどうぞ。」 と、納得していたのに、堀内は手を出さなかった。確かに、いろいろと触られてはいたが、そんなものは利息ぐらいのことだ。
「知り合い? あのガキんちょか? 」
「ああ、花月や。」
「そうか、なかなか麗しい友情やないか。おまえみたいなヤツに、そこまでしてくれる相手がおるとは思わなんだで、おっちゃんは。」
「俺もびっくりした。せやけど、受け取らんかったら、殺すみたいな気迫やったからな。」
「ほんなら、おまえ、あのガキにケツ貸すんかいな? 」
「え? 」
「だって、そういうことやろ? 」
そういうことではないような気がしたが、堀内との借金が、そういう約束だったなら、そういうことになるのかもしれない。だが、それは、違うような気がする。たかが、尻だし、堀内なら、「好きにどうぞ。」 と、面と向かって言えたのに、花月には言えないような気がした。そんなことを言ったら、花月が傷つくような気さえした。
「わからん。もし、花月が、借金のカタに、「身体貸せ」って言うたら考えるわ。」
「ふーん、えらい純愛なんやなあ。・・おまえみたいなヤツに、なあ。」
何か、堀内には思うところがあったのか、タバコの煙を吐き出しつつ苦笑していた。それから、しばらく無言で空中を睨んでいたが、唐突に、「実は、な。おっちゃん、転勤するんや。」 と、言い出した。
「今すぐに、ということではないんやが、合併した本社のほうが人手不足なんで手伝いより、本格的に仕事してほしいって言われてるんやわ。三月にキリつけて四月ぐらいから、あっちへ移動しようと思う。みっちゃんは、わしの直属の部下にしたるさかい、連いて来ゃーへんか? 」
「本社って、どこや? 」
「愛知県。住居も、向こうに用意するし、みっちゃんが、わしの秘書やったら、わし、毎日、楽しいしなあ。」
「愛知県って・・・」
「あのな、みっちゃん、あのガキみたいなんは、おまえには向かへんぞ。たぶん、おまえが精神と体力弱らせるだけや。」
「はあ? 」
「あのガキは、おまえに惚れてるから、金を用意したんやと、わしは思う。とりあえず、この金は受け取ってやるが、みっちゃんまでやるつもりはあらへん。ガキへの借金は、ゆっくり返したらええ。ただし、転勤してからや。」
まだ三ヶ月は先の話やから、よう考えてくれ、と、堀内に念を押された。花月は、公務員の試験に合格して、そこへ勤めるつもりだと聞いている。そうすると、俺が転勤したら、そうそう逢えなくなるのだろうな、と、思ったら、少し後頭部がちりちりとした。
「転勤? なんじゃ、それはっっ。」
アパートに戻って、その話をしたら、花月が声を荒げた。正確には転勤ではない。正社員になるのが、本社ということになるだけだ。そう説明しても、花月は、なんだか怒っていた。
昨年の暮れに、一緒に年越しをした時のことだ。酔っ払った浪速が、「花月がいないと、俺は小さくなって、そのうち消えてしまうねん。」 と、泣いて縋ってきた。吐き出されることのない浪速の本心は、子供みたいなものだった。たぶん、当人にも自覚なんてないだろう。孤独が心地よいと思い続けてきた浪速に、俺は、「寂しい」 という気持ちを教えてしまった。覚えたものは、二度と忘れることはない。もし、浪速に、その寂しさを埋めてくれる相手ができたら、それは、俺でなくても埋まるだろう。だが、それは難しい。浪速は、俺以外の人間を人間だと認識しているだけで、温かいものだとは思わないからだ。壊れているのだと、俺は思ったし、浪速にも自覚はあるらしい。今度の借金のことも、俺は、まず返済を考えた。「愛人の手当」なんていう理由を、浪速が、そのまんま飲み込んだら、たぶん、浪速は、身体で寂しさを紛らわせられるのだと気付くだろうからだった。そんなものは、本当に「寂しく」ないのではない。すぐに、浪速も気付く。そして、生きて息をしているだけになるのに、時間はかからないはずだ。
それなのに、新たな問題が発生した。返済の報告と、転勤の報告に、俺は唸るしかなかった。
「転勤? それ、決定か? 」
「ああ、まあ、ほぼ確定ちゃうかな。」
自覚のない壊れた浪速は、素っ気無くそう言った。けど、本心はどうなんだろう。
「とりあえず、風呂上りにビールでも飲もか? 」
本心は、当人にもわからない。なら、その本心を暴けばいい。あまりいいことではないが、「転勤しても寂しくない」 と、吐くなら、それもよかろうと思ったからだ。別に、物理的な距離なんてものは、たいしたことではない。愛知県なら新幹線で一時間もかからない場所だ。週末ごとに、お互いに行き来することは可能だ。
・・・・うーん、俺、ノーマルのつもりやってんけどなあー・・・・どこでどう間違ったかなあ。・・・・
傍にいたいと思ってしまったのが、運のツキだ。ぽつぽつと世間話をしながら、缶ビールを三本あけた。とろりと目が溶けそうになった浪速は、やっぱり、急に泣き出した。
「・・なんで?・・・・なんで、俺・・・花月とおったらあかんの?・・・・」
・・・・ああ、やっぱりそうや。おまえ、俺がおらんとあかんねんや。・・・・
たぶん、そうなんだろうと、俺は思っていた。普段からは考えられないが、酔っ払った浪速は、子供みたいになる。
「別に、俺とおったらええがな。」
「・・・せやけど・・・就職できひん・・・」
「できひんかったら、バイトでもしとけ。ほんで、俺の嫁になったらええ。嫁も立派な仕事やぞ。」
もう覚悟はできていた。なんていうか、もう、ほっておけないのだから、そうするしかない。惚れているなんてことではなくて、もっと根底の気持ちみたいなものだ。大切にしてやるとか、大事に扱ってやるとか、そんなことはできそうにないけど、とりあえず、一緒にいてやることはできる。ふたりして働けば、それほど生活苦にはならないだろう。
「・・よめ?・・俺・・男やで?・・・」
「男でも嫁になるやつはいてる。心配せいでも、ええから。おまえは、ここにおれ。」
どんっっ、と、畳を叩いたら、浪速は猫みたいに飛び上がってから、あはは・・と、嬉しそうに笑った。
・・・こんなに早く嫁ができるとはおもわなんだなあー・・・・
元々、結婚なんてするつもりもなかった。どうも、俺も他人様とは親密に付き合えない性質だ。どうにもこうにも気を使うのだ。だから、今まで彼女も作らなかったし、できても、何ヶ月かで別れていた。なぜだか、浪速は気が楽だ。気遣うことをしなくてもいい。なんとなく、お互いに、無言で居ても気詰まりしなくて暮らしていられるのだ。
「・・・花月・・・一緒におってくれるんか? 」
「ああ、おったるで。おまえみたいなんは、珍しいから、俺も大歓迎や。」
「・・・わかった・・・」
くふくふと嬉しそうに、浪速は笑って、俺に抱きついてきた。
作品名:だいなまいと そのよん 作家名:篠義