メリッサに愛を
「知りえた事は上司に報告する。それが部下の務めだもの。お偉方も、折角の生き残りに死なれたら困るみたいだから何も考えないで許可出してくれたわ」
報告していない事があることを、セピアはすっかり見抜いている様だった。
「で、何か聞き出せた事があるんでしょ?」
「隊長も、あの機械については上に言っていないんじゃないですか?」
上層部はセピアを信用していない。なのにあの、未知の技術が詰まった機械についてセピアに任せるとは思えなかった。言代機について上が知っていたらミリーはとっくに他に移され、お偉方によって調べられている筈だ。
「まあね。上に話したら、あの子取られちゃうじゃない。だから安心して、私はあの子を上層部に売ったりしない」
カーターには、自分が報告しないでいるのはミリーがいなくなってしまうからなのか、よく分からないでいる。ただ、セピアを信用していなかった事には罪悪感が残った。
「喉の機械は声を変えるためのものだと。・・・あと、メリッサが墜落した日の事は最近思い出しかけている様ですが、今はよく覚えていないそうです」
ミリーが話した、メリッサ最後の日のサツキと会うまでの事を説明する。
「クロエ、ね。あの子がよく言う名前だから詳しく聞き出して。テレサの事も合わせてね」
「わかりました。それと、一つお願いが」
「あら、可愛らしくおねだりでもされた?」
咄嗟に言葉が出なかった。きゅっ、と喉が詰まる。
「今日、式典の前夜祭だと教えたら行きたい様で」
言いながら、なんて馬鹿らしいお願いだろうと思う。
「メリッサの生き残りの顔を知っているのは私達だけだから、不可能じゃないわね。でも、許可はできないわ。万が一にでも逃げる可能性があるのはわかるでしょ?」
「万が一にも、その可能性はありません。断言できます」
ミリーは逃げない。カーターには確信があった。今までミリーは外について知りたがった事も無ければ、出たがった事もこの一度しかない。話を聞く限り彼女の世界そのものであったメリッサがなくなった今、ミリーには行き場が無い。
「あの子にいなくなられたら私が困るのよ。そこまで言える根拠があるんでしょうね?」
あります。確かな確信を持ってカーターは答えた。
「……夕方までに何の問題も起こさずに戻ってきたらかばってあげないこともないけど、その代わりしっかり信頼されてきなさい。それであの子が何なのか、メリッサはどうして墜落したのか、必ず聞き出すのよ」
セピアはしっかり釘を刺した後、カーターを残して執務室を出ていく。
想像していたより簡単にお目こぼしを頂けた事に信じられない思いのまま、カーターは執務机の引き出しを開けた。一番下の引き出しに詰まっている瓶を一本、懐に隠す。
医務室の医者には元の部屋に戻すと伝え、カーターはミリーを連れ出した。魔術師団の制服である青いローブを羽織らせ、建物を出て離れるまでフードを目深にかぶらせたままだった。
「土なんて、どれくらい振りだろう」
路地裏でフードを脱がせると、ミリーは子どもの様にはしゃいだ。
「あの魔術は使うなよ。俺が隊長に殺される」
「あれは、あのファイルを持っていないと使えません。ファイルに、文言に対応する声が登録されていて、それをこれが認識して声を変えるみたいです。魔術は私自身に適正が無いので声が術者のものでないと魔術は発動しません」
これ、と言いながらミリーは喉の機械をさする。だから大丈夫です。言って笑うミリーは建物の隙間から見える空を振り仰いだ。高い。小さな独り言には悲嘆が滲んでいる。
「本当に懐かしい・・・。あの島には半年しかいなかったのに、土がこんなに恋しくなるなんて、やっぱり人間は地上でしか生きられないんですね」
「懐かしいって、メリッサには元から住んでいたわけじゃないのか?」
「はい。あの島が浮かべられる時に、住み始めたんです。言代機の試験をするためだってクロエに聞きました。あの島に行く前は田舎に住んでいたんですが」
随分前から空に浮いていた島に、浮かべた時に住み始め、半年で墜落したと言うのだろうか。それは計算が合わない。メリッサは十年前に墜落する前、およそ七年も空に浮いていたのだから。
「ええと、クロエは言代機の補佐役として一緒に働いていた同僚です。隊長さんにそっくりで・・・」
「なるほど、それであの時、隊長をクロエと見間違えたのか」
カーターが考えていると、ミリーはおろおろと取り繕った。ありがたくそれに便乗して、カーターは表通りへミリーを促す。
首都のはずれの方ではあるが、人通りも店も、祭りの露店も多い。石畳の舗装が丁度切れた表通りは秋口ということもあって熱気でむんむんとして、埃っぽい。ミリーは地面と、高い高い空と沢山の人に感激して、綿毛髪を膨らませた。
いくつかの露店を冷やかした後、ミリーが駆け寄った屋台があった。動物や植物を模した、芸術品の様な飴細工が客寄せに飾ってある。店名を見ると、ミリーに買って行ったあのケーキの店だった。大小、色も様々の棒付き飴がずらり、並んでいる。
魔術師団の方ですか。人の良さそうな店員に、飴一本分の小銭を渡す。
「いいんですか?」
「折角来たんだから、好きなものをどうぞ」
ミリーはじっくり悩んだ末、やけに赤い大きな飴を選んだ。包み紙も剥がさずに買ってもらった飴を眺める様には幼い子どもと同じ愛らしさが感じられた。
「あら、優しいのね。カーター」
とても懐かしい女性の声に、カーターが振り向くと、長い髪をひとつに纏めた女性が立っていた。
「イオレ!魔導士様がこんな所で何やってるんだ?」
イオレは棒付き飴がぎっしり詰まった袋を片腕に抱え、もう片手には鶏の串焼きと風船の糸が握られている。イオレの頭上にレモン型をした白い風船が漂っていた。
「前夜祭を楽しんでるの。明日はそれどころじゃないし・・・。それより、随分可愛い彼女じゃない?」
「そういうのじゃない。・・・ミリー、彼女が最年少で魔導士になったイオレ。学生時代、同期だった」
カーターがイオレを紹介する間、ミリーの視線は飴から風船へと移っている。
「これがどうかした?」
それに気付いたイオレが風船の紐を引いた。メリッサの形をした風船は引き寄せられイオレの顔と同じ高さにたゆたう。
「あ、いえ、なんでもありません。はじめまして、ミルドレッド・L・ディズリーといいます」
ミリーは慌てて頭を下げた。風船を見るミリーの眼に有るものは懐古になりきれていない。
「魔導士のイオレ・ローレンツ。今後ともよろしく。ミドルネームなんて珍しいのね」
「私の家は代々母親の名前をミドルネームにしているんです」
薄い胸を張って答えるミリーは、名乗る時に必ずフルネームを言う。恐らくは名前が何よりも誇らしいのだろう。そういえば、ミリーの家族はどうしているのだろうか。彼女はメリッサに行く前地上に住んでいたと言っていた。
「イオレ、そういえばサツキって名前の医者を知らないか?今探していて」
メリッサといえば、と、ふと思い出してカーターは尋ねた。魔導士であるイオレなら魔術師団の知らない事を知っているかもしれない。
イオレは数拍置いて、