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グレートマザーの赤と青

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 その頃まだ梅雨は明けていなかったが、もう蝉が鳴き始めていた。鼓動が蝉の鳴き声に共鳴して、心臓が破れそうだった。宏至の顔は逆光になって良く見えなかったが、肩が震えていた。私は何と言っていいか分からず、その震えをただ見つめていた。近くの木に止まっていた蝉が大きな羽音を立てて飛び立つと、宏至はスチールのゴミ箱をへこみ跡が残るほど思い切り蹴飛ばして、そのまま校舎へ戻っていった。
 子供のあんたをあんなところで働かせてごめんねユリちゃんぶってごめんねあんたはお母さんの娘よお母さんにはユリちゃんしかいないんだからユリちゃんが誰より大事なんだから。母は酒が切れると、よくそう言って私を抱きしめて泣いた。その後は決まって私の父を詰った。父は母の妊娠が分かった途端に雲隠れしたのだという。
 宏至の言う通り、私は母に愛情を過剰に期待し、それを独占したがっていたのだろう。校舎から、ふざけてじゃれ合う楽しそうな声が聞こえてくる。青空に溶ける無邪気な歓声。なるほど、私は自由になるべきだ。けれど宏至と一緒に逃げても、生きている限り私は母の子供であり続け、それは変えられない。それに宏至はこの歓声の中にいるのが似合う、「普通」の「いい家の子」だから、私の物語に巻き込んでしまう訳にはいかないのだ。

 婚礼の夜はじりじりと過ぎていった。夜の散歩がいつもより早く終わってしまったので私は公園のベンチに座り、スウェット姿の男女が花火をするのを眺めて時間を潰した。ロケット花火が何発もアパートの壁に向かって撃ち込まれ、心臓を押し潰すような音を立てていた。彼らがいなくなると公園はしんとした。私はその静寂の心細さに耐え切れず、アパートに戻った。明かりは消えていて、襖の奥から寝息が聞こえた。窓から差す青白い月光だけを頼りに服や雑誌が散乱する居間を抜け、静かに襖を開けた。母と男は折り重なるようにして眠っていた。サマードレスから伸びた母の足が男の醜い足に複雑に絡まり、二人は結合双生児のようだった。私は母の枕元に腰を下ろした。開け放した窓が風でがたがたと揺れている。私は肌に風を当てたくて、制服のリボンタイをほどいた。母の頸は月明かりに照らされて、生気を感じさせないほどに白く、そして青く、私を自由へと誘っていた。
作品名:グレートマザーの赤と青 作家名:まちこ