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彼岸花

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「明日、行きたくない」
 家に帰って一番に、母に言った。
「なんで?」
学校を休みたいと言えば、それなりの理由が求められる。遠足とか運動会とか、学校の行事は特別好きだった。もちろん社会見学も。
「だって……行きたくない」
 母がため息をついた。
「何言っとるんよ。社会見学も授業の一環じゃろ。行きなさい」
「嫌だ」
「わがまま言わんの。そんな理由で休めるわけないじゃろ」
「嫌って言ったら嫌なんよ!」
さっきよりも深いため息をついて、母は夕食の準備に戻った。その背中に向かって必死で言う。
「明日、無理矢理熱出してでも休むけえね」
「はいはい」
 カレーの匂いがたちこめるリビングのドアを、思いっきり力を込めて閉めた。

「で、次の日ほんとに熱出して休みましたとさ」
「ふーん。栞ちゃん、カレーは?」
「食べなかった」
「つか、そんなに行きたくない社会見学ってなんだったの?」
「平和公園」
「あ、広島ん時ね」
小学校四年生のときに転校してから、五年が過ぎた。広島弁もとれて、栞はすっかり地元の中学生になっていた。
「広島とか長崎の子って、ああいうとこ一回は連れてかれるもんなんだね」
「あの頃は広島以外に所に引っ越したくてたまんなかった」
「なんでそんなに行きたくなかったの?」
「まあ、いろんな事情があってね」

 こちらの夏は、広島ほど暑くない。中学三年生の夏休みを迎えた。
 八月に入ってすぐ、広島の祖母が倒れたと連絡が入った。栞の父も母も弟も、全ての予定をキャンセルして、広島へ向かった。もちろん栞も一緒だ。
「まだ気分悪い?」
 母の言葉に、黙ってうなずいた。広島行きの車の中だ。
「別に家で待っとっても良かったんよ? おばあちゃんも意外とぴんぴんしとるんかもしれんし……」
「いいの、ちょっとぐらい我慢するから」
「ちょっとじゃねーじゃん」
 栞と弟の弘はとっくに広島弁がとれたが、両親はずっと広島弁だ。両親の広島弁を聞くと、時々罪悪感を覚える。広島から県外へ引っ越したのは、栞が原因なのだ。

「おー、久しぶり。元気? じゃなさそうじゃな、栞」
 広島ICを降りて、直接市内の病院へ向かった。玄関では、従兄弟の信隆が出迎えてくれた。
「おばあちゃんは?」
「今は結構ぴんぴんしとる」
「倒れたとき大変じゃったってねえ」
「大騒ぎだったんよ。父さんと母さんがすごい慌てて、俺とばあちゃんの方がよっぽど冷静で……」
 三人の会話と足音が遠のいていく。栞は、少し気分が良くなるまで、ロビーで待つことにした。歩いているより多少は楽だった。
「姉ちゃん、ジュース」
「ありがと」
 付き添いで残った弘も、栞の隣に腰掛けた。渡された紙コップの中身は、甘酸っぱいアイスレモネードだった。
「なあ、こんなんで気分良くなんの?」
「あんまり、ならない」
「だよなあ」
 乗り物酔いしたわけではない。原因は、この広島という土地にあった。
「見えてんの、今でも」
「ちょっとだけね」
 時折、見えるはずのない人影が、視界を通り過ぎることがある。自分でそうだと分かるまで、霊感など信じたことはなかった。
「拝んどこ」
 栞の目線の先に、弘が手を合わせた。

 結局その日は病室へ上がらず、信隆とその家族が住む家へ向かった。元々は、栞達も一緒に住んでいた家だ。
「調子が良くなったら、また明日おいでって。おばあちゃんが言っとったよ」
 エレベーターから出てきた母に、そう伝えられた。祖母に会えなかったのは、栞にとっても残念だった。栞は病室まで上がろうとしたのだが、下手に元気のない顔を見せるのも良くないと止められ、祖母からも伝言で、無理しないように言われた。
「おばあちゃんもちょっと気にしとるんかねえ」
「そんなの、もういいのに」
「ほうよ! どっちも気にせんといたらええんよね、そんなん。二人とも悪くないんじゃけえ。なあ」
「そうじゃそうじゃ」
 栞の父と伯父の正二は、既に酒盛りを始めている。
「今日の晩御飯はカレーよ」
 台所からの伯母の声に、弘が身を乗り出した。
「カレー? 俺、おばちゃんのカレーめっちゃ好きなんじゃ!」
 病院を出てからずっと信隆としゃべっていた弘は、広島弁が戻りつつあった。栞も、自分も口を開けば自然と広島弁が出てきそうだな、と思った。
「栞ちゃん、まだ気分悪い?」
「だいぶ良くなってきた」
 信隆の姉の、真由美が隣に腰掛けた。縁側には、夕方の気持ちのいい風が吹いている。
「大変じゃねえ。信隆なんか、栞ちゃんたちが広島来るって聞いてから、ずっと心配しとったんよ。栞ちゃん大丈夫かねえって」
「へえ……」
「おばあちゃんが倒れたときにも生まれて初めて部活休んだけえね。栞ちゃんが来るんだったら余計心配でどこも行けんってね」
 真由美がくすくす笑う。繊細で、儚げという形容がよく似合う人だ。
「さてと、台所で呼んどるみたいじゃけえ、行ってくるね。栞ちゃんも、具合良かったら食べんさい」
「うん」
 庭の垣根の向こうに、一瞬人影が見えた。夕闇に溶け込むような黒い影に小さな黙祷をして、台所へ向かった。

 次の日、また病院へ向かった。祖母の病室は七階にあった。
「気分どう?」
「治ってはないけど、慣れた」
 両親は別の用事で出かけ、信隆は高校の部活。弘は広島の友達と遊びに行った。大学のサークルが休みで、たまたま時間があった真由美が一緒に来てくれた。
「おばあちゃん、喜ぶわあ。栞ちゃんが来るの楽しみにしとったけえ」
「うん、あたしも楽しみ」
 『野口加代』のネームプレートを確認にし、病室の扉を開けた。
「真由美、栞! いらっしゃい、わざわざありがとうね。栞も遠いのにねえ」
 祖母の明るい声が出迎えてくれた。明るさだけではなくて優しさのある声。真由美とそっくりだ。
「気にせんで、おばあちゃん。あとこれ、昨日も父さんたちが持ってきたと思うけど、お土産。あ、お見舞いかな?」
「あらあら、そんな持ってきてもらって悪いねえ。でもこのお菓子おいしいんよね。ありがとねえ」
 思っていたより元気な様子の祖母に安心した。真由美は花びんの水を替えに、病室の外へ出て行った。
「栞ちゃん、調子悪いことない?」
「それ、広島来てから何回言われたかわかんないよ。もう大丈夫。だいぶ慣れてきたから」
「ほうねえ……やっぱり、まだ見えるん?」
「ちょっとだけね。霊感が弱くなったっていうより、数が少なくなってるのかも」
「あれから五年になるもんね。五年も経ったら違うんじゃねえ」
「そうだね」
 五年前。栞が社会見学を休んだ年だ。小学四年生だった。
作品名:彼岸花 作家名:百千