花月水都 そのいち
勉強がどうとかいうのでも、交友範囲が広がったというのでもないところが、浪速の変わったところだと、俺は思っていた。
夏休み明けに、顔を合わせたら、不思議そうにされた。だが、気にせずにいたら、元に戻った。よそよそしいのは、いつものことだが、無口に輪をかけていたのだ。
「おまえ、そんなんで、バイトは、うまいこといってるんか? 」
「・・・まあ、おおむねは・・・人と喋ることはない仕事やから・・・」
湯気のあがるコーヒーに、そろそろ寒いと、俺は気付いた。
「しかし、寒なってきたな? 」
授業も後期になると、冬になる。学内のベンチで、缶コーヒーを飲むのは、辛くなってきたな、と、俺は思った。喫茶店でも入ろうか、と、誘ったら、「もったいない。」 と、つっぱねられた。
「でも、寒いやんけ。」
「なら、やめようか? 俺は、これが朝飯やから、付き合おうとったけど、別に、おまえと一緒することはあらへんしな。」
「え? 」
授業は午後一番で、終わるのは二時だ。その時間に朝飯と言われて、びっくりした。よくよく尋ねたら、朝は食べずに、朝昼兼用なのだという。しかし、たかだか、350mlの缶コーヒーだけが、それというのは、恐ろしい。
「晩飯は? 」
「コンビニかスーパーの半額の弁当やけど? まあ、最近の弁当は、カロリーが高いから一回食べたら、一日分のカロリーは摂れるんで便利や。」
「はあ? 」
バイトは、別に時間制限がないのだそうで、夕方から深夜まで六時間とかいうことでも可能らしい。日曜以外に、毎日、どういう時間でも六時間働けば、ちゃんとした給料がもらえているというのだ。時間給ではあるが、それは最低賃金で、そこに出来高が上乗せになるらしい。
「ほんだら、これから? 」
「おう、これから、夕方出て、深夜まで。」
「めしは? 」
「途中で、弁当を買う。深夜までやってると、夜食代もくれる。」
「どんな仕事やねんっっ、それっっ。」
「別に、事務仕事。資格が無いから安いけど、そこは経験年数で、カバーしてる。」
なんてことはないように言って、そいつは席を立った。コーヒーを飲み終えたのだ。変わったやつだと思ったが、ちょっと尊敬もしていた。親におんぶに抱っこの俺は、バイト代は、全部がこづかいになった。それに比べて、浪速は、それで全部を賄っていたからだ。
「ほんだら、晩飯食おうやないか? 」
「え? 今からか? 」
「おう、俺がおごる。」
「・・・・おごってもらう意味がわからん。だいたい、来年には、縁が切れるような人間と親しくなって、おまえに、なんの得があるねん? 」
バカにしたように、浪速は、それだけ言うと、スタスタと歩き出した。俺は、浪速の言った意味がわからなくて、腹を立てた。たまたま知り合ったのだから、付き合いが続けばいい、と、俺は思っていた。だが、あいつにとっては、たまたま一年、授業を一緒に受けるだけの人間だと思われていたのだというのが悲しかった。
・・・・あー、あん時、いきなり、喧嘩とかしなくてよかった・・・えらいぞ、若い俺・・・
ぼんやりと、過去の思い出に浸っていると、退屈はしなかった。下半身のほうから、カチャカチャと機械音が聞こえている。切られている感覚というのは、あまりない。ただ、内部に何かが入っているというような、あやふやな感覚があった。下半身が分離しているというような感覚で、体験談として、嫁に聞かせてやれないのが残念だ。
確かに、浪速と顔を合わせるのは、その授業の時だけだった。学部が違うので、どうしても同じ授業というものにはならない。一週間に一度しか会わない相手だし、来年には、会えなくなる確率は高い。
「あれ? 寒いから、やめるんちゃうかったっけ? 」
「いいや、やめへん。先週のあれは、ちょっとムカついたけどな。俺は、出来た縁は大切にしたいと思うほうや。せやから、メルアドとか携帯ナンバーとか交換しておかへんか? 」
「あらへんで、そんなもん。」
金がかかるものはない、という。貧乏人が持つものではないとばかりに笑われた。電話もないで、と、ご丁寧に付け足された。
「なんかあったら、どうすんねん? 」
「なんか、って? 」
「せやから、急に具合悪なって、ヘルプ頼みたいとか、あるやろ?」
「そのままくたばってたら、治るやろう。それで治らんかったら、俺は仕舞いってことでええんちゃうか? 」
「なんじゃっっ、それはっっ。」
「なんじゃって、だいたい、生き物っていうのは、自己治癒能力っちゅー有難いもんがあるんや。ほとんどは、それで治る。クスリは、それを促進させるもんであって、あったら便利っちゅーグッズやないか。」
「おまえは弥生人か? 」
「うーん、それよりはマシやろうな。ほな、帰るわ。」
人間は千差万別だと、浪速から教わった。そんな考え方の人間がいるとは思いもしなかった俺は、正直、頭を殴られた気分で見送った。俺は、丈夫過ぎるほど丈夫なので、そういう目に遭ったことはないが、普通は、そういうことを考えるだろう。だのに、あれは考えていなかった。
・・・・おまえ・・それってことはやな・・・・・
・・・・誰とも親しないって、暴露したようなもんやぞ・・・・・・
連絡する必要が無い。連絡する手段も無い。それは、連絡する相手がいないことを物語っている。
次の週も、ふたりして狭い教室で顔を合わせた。開始の時間になっても、肝心の教授が来ない。
「休講通知は出てなかったよな? 」
「なかったな。」
一時間半の授業時間のうち、開始から一時間が経過すれば、勝手に休講とみなされる。それまでは待っているしかない。
「おまえ、下宿はどこやねん? 」
「駅の向こう側。」
「俺もそうやねん。近所なんかな? 」
「・・・さあ?・・・」
だらだらと喋って、一時間が経過した。やはり、その日は休講で、いつもより半時間早く身体が空いた。いつものように、自販機に向かう浪速の肩に手を置いた。
「待て。」
「なんや? 」
「メシ食おう。」
「いや、せやから、俺は、これを。」
「奢らせろ。」
「レポートでもやらせるつもりか? 」
「おまえの下宿探訪の旅としゃれ込もうやないか? 連絡する方法がないねんから、連絡場所ぐらい把握させてもらおう。」
下宿先がわかれば、そこへメモを貼っておくという連絡手段だって使える。いろいろと考えて、確実に、浪速を掴まえられる方法を考えた。
「えーっと、俺の下宿を知って、何かメリットがあるんやろうか? 」
・・・・・・めっさあるっちゅーんじゃゃ、ぼけがっっ・・・・・
のんびりと、思い出に浸っていたら、「麻酔のかかり加減がわからなくなるので、寝ないでくださいね。」 と、揺すり起こされた。眠っているのではないのだが、目を閉じていたらしい。機械音が、カタカタと聞こえているだけの単調な時間は、とても退屈で、「終りました。もう、眠ってもいいですよ。」 と、声をかけられて、俺は、ほっと目を閉じた。
浪速の下宿は、とんでもなく古いアパートで、辛うじて風呂とトイレが一体になったユニットバスだけはあったが、それ以外は、三畳ばかりの空間があるだけの部屋だった。
「狭いなあ。」