小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

真冬の向日葵

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
12月下旬のある日。
 今季の冬は今までに経験したことの無い様な大雪が降り、一歩でも外に出ようものならば膝の辺りまで雪に埋もれてしまう程だ。当然、寒さも尋常ではない。
 だと言うのに、俺たちは部屋の窓を全開にして、冷えた冬の空気を家の中に取り込もうとしていた。
「……さっぶ」
 余りの寒さに思わず身震いすると、隣から柔らかな笑い声が聞こえてきた。
「大丈夫? 夏月」
「ん。平気」
 視線を壁から声の主の方へと移せば、真冬が小さく小首を傾げて俺を見ていた。
 彼女の右手には一本の絵筆。その筆先は鮮やかな黄色に染まっている。
「真冬こそ、平気?」
 俺よりなんかよりもよっぽど儚く見える真冬を気遣って言えば、彼女はうん? と首を傾げ、それからからからと笑った。
「だいじょーぶだよ。おねーさん、これでも結構身体強いんだからね」
 そう言いながら真冬は、実年齢よりも随分と幼く見える笑みを浮かべる。それから壁に向き直ると、慣れた手つきで、絵筆を壁に滑らせた。筆先を鮮やかに染めていた黄色は、白い壁をも彩ってゆく。そこから季節が生まれていく、そんな魔法を連想させた。
「……。よっし、出来た」
 満足そうに頷く真冬の眼前には、大輪の向日葵があった。勿論それは本物ではない。彼女が壁に描いた絵だ。
 それは思わず見惚れてしまうような出来栄えで、俺の口からは自然と感嘆の言葉が漏れていた。
「やっぱ真冬は巧いよなぁ……」
「そりゃ、夏月とはやってる年数が違うからね。でも、君も随分上達したじゃない」
「……そうかな」
 俺が描く向日葵は、真冬の描いたそれと比べるとよっぽど稚拙な出来だと思う。色むらが目立つし、俺はまだ真冬ほど写実的に描くことは出来ない。

 幼馴染で、俺より三つ年上の真冬は、二年前に交通事故で両親を亡くしたのをきっかけに、通っていた美大を中退した。それでも昔からの夢だという個展を開くため、今も仕事をしながら、独学で絵の勉強をしている。真冬は学校でも期待をされていた人材だったから、きっとそれも、叶わない夢ではないだろうと、俺は思っている。
 俺は幼いころからそんな真冬に影響されて、芸術に興味を持ち、彼女に教えて貰いながら絵を描くようになった。彼女は俺に取って絵の師匠だ。
 そんな俺たちが共同で描いているのは、部屋の壁一面に広がる向日葵畑だ。
 一年程前、真冬がこの部屋いっぱいに絵を書きたいと言ったのが始まりで、俺はそれに全面的に賛成した。
 正直、俺は絵を描く前のこの部屋が、少しだけ苦手だった。何しろ、真冬の部屋は壁も白ければ調度品も白く、陽が当たれば眩しいほどだったのだ。
 白は、真冬が好きな色だ。
 白と、向日葵の黄色、空の青が好きなのだと、真冬は俺がまだ小さいころに笑いながら語ってくれた。それこそ、向日葵にも負けないくらいの輝かしい笑顔で。
 だから多分、真冬の部屋が真っ白だったのは、純粋に彼女がその色を好きだから、なのだろう。初めてこの部屋に入った俺がそのあまりの白さに絶句した時にも、「綺麗でしょ?」なんて笑って見せたくらいなのだから。
 それでも俺がこの部屋を好きになれなかったのは、きらきらと陽光に輝くような純白が、冬に大地を覆って時を凍らせる、雪のように見えたから。真冬が天涯孤独の身になってからは、尚更。
 彼女が、彼女だけが――冷たく滞った世界の中に置き去りにされているように、見えてしまったからだ。

「夏月ー、ちょっと一休みしよっか」
「え……」
 真冬の声に、深い思考に沈んでいた意識が引き戻される。横を見れば、真冬の黒く丸い瞳が俺を見上げてきていた。
「どしたの?」
「あー……いや、何でも、無い」
「そ?」
 真冬は深く言及しようとしては来ず、服が汚れるのを防ぐためにかけていたエプロンを取ってその場に座り込んだ。
「取り敢えず、夏月も休憩しようよ。ずっと立ちっぱなしで辛いでしょ」
「あぁ……うん」
 真冬に倣って俺もその場に座り込む。絵具が床を汚してしまわないようにとカーペットの上に青のビニールシートを敷いてあるから、ちょっと冷たく感じた。
 真冬はふぅと短い溜息を吐いて、ところで、と話を切り出した。
「夏月、大学の準備は進んでるの?」
 その問いかけに、俺は一瞬、動きを止めた。そうして、顔を伏せるようにして一つ、頷く。
「……うん」
「ふぅん、そっか。……寂しくなるなぁー」
 真冬は、俺の短い答えにいつもの調子でそう返してくる。対する俺は、一度伏せてしまった顔をなかなか上げられずにいた。
 俺は高校を卒業したら、県外の美大に通う事になっている。
 真冬はそれを応援してくれて、つい先日推薦入試で合格したという報告をしたときは、それこそ自分の事のように喜んでくれた。
「それにしても、県外だもんねぇ。……遠いなぁ」
「……うん」
「寂しくなるなー」
 全く変わらない調子で呟く真冬を横目で見れば、確かにその表情には、少しだけ寂しそうな色が見えた。けれどもそれは、俺をここに引き留めたいと言う気持ちの表れではないのだろう。真冬はそんな我が侭を、言わない。
「まぁ、夏月が頑張りたいって言うんなら、私は応援するけどねっ」
 苦笑しながら俺を見る真冬。少し――ほんの少し、だけ、そこには無理をしているような色が、見え隠れしていたけれど。
「……ありがと」
 俺はそれに気付かない振りをした。
 そうすれば真冬もいつも通りに返してくれる。
「お礼なんて良いよ。可愛い弟分の助けをするのは、おねーさんの役目ですから」
 おどけたように言いながら、真冬は俺の頭をよしよしと撫でた。何だか子供扱いされているような気分になるけれど、決して嫌ではない。寧ろ、真冬の手は優しくて、暖かくて、好きだ。
 真冬は優しく微笑んで、諭すようにゆっくりと語る。
「君が頑張ってくれれば、それで良いの。君がやりたい事をやれるのが、嬉しいの。でもね。自分で決めた道なら――やりたいって思った事なら、途中で諦めちゃ、だめ」
「そのくらい、分かってるよ」
「うん。それでこそ夏月だ」
 にっこりと一際深い笑みを浮かべて、俺の頭をぽんと軽く叩いてから、真冬は立ち上がってエプロンをかけ直した。
「さて、休憩はお終い。描き始めよっか」
「うん」

 そんな風にして、俺たちは順調に真冬の部屋に向日葵を咲かせていった。年を越し、俺が自由登校になってからは、真冬が仕事に行っている間も俺だけで作業を進めていた。
 そうして、向日葵に囲まれた部屋が出来上がったのは――俺がこの街を出ていく、前日の事だった。
 その部屋は……真っ白く、滞った冬から、鮮やかな夏へと、姿を変えていた。
「出来たね」
「……うん……」
 絵筆を持ったまま、俺が呟いた言葉に真冬が頷く。その瞳は最後に描き終えた向日葵を見詰めたままだ。
「――やっと、出来た。私の向日葵畑」
 真冬は満足そうな表情で、本当に嬉しそうに呟いた。思わずといった風に浮かぶ笑みと涙に釣られて、俺も笑ってしまう。涙腺まで緩んでしまって、慌てて服の袖で目許を拭った。
「満開だね」
「うん。ありがとう、夏月。手伝ってくれて。君のお陰だよ」
「どういたしまして」
作品名:真冬の向日葵 作家名:三月