パラドックス
――私が狂っているのか それとも あなたが狂っているのか
灼熱。激しい渇き。喉に手をあてて、乱暴に皮膚をひっかきたくなる衝動にかられる。快晴ともいえる空を憎しみをもって一瞥すると、ペペがにゃあと鳴いたのにガメ子のうるさい声が耳にこだまする。
「ダーリン、家、家」
家? なにもない荒野という表現がぴったりのこの世界にそんなものがあるのか。そう思いながら体を起き上がらせるとやはり砂しかない。なにもない世界に愛想をつかして、地面にごろりと横になると、ばたばたと砂をわけて傍に寄ってくるガメ子は耳元で叫ぶ。
「いーえー」
「うるさいぞ」
生臭いガメ子の鉤鼻――といえばいいのか。この亀の顔は。そんなことを考えると、ますますエネルギーを消費する。仕方なく体を起こしてガメ子が叫ぶほうをみる。
高熱にさらされたための目の錯覚か、はたまた実際に存在するのか、家があった。
「にゃん」
ペペが腕に擦り寄ってくる。
猫型ロボットタイプのペペまで反応しているということは、嘘ではないのかもしれない。――だが、どれが真実だというのか
「人がいるかしら」
緑ガメがやたらめったら成長した出来損ないともいえるガメ子がうきうきとしたように、つぶらな、本当につぶらな目をきらきらとさせている。
「どうだろうな」
ペペがにゃあと鳴く。もしかしたら人がいるのかもしれない。起き上がり、喉の渇きにねばっこい唾液を舌の中で転がしながら歩く。
なんでもいいから、水が飲みたかった。
まず、はじめは光だった。
閃光が発した瞬間、世界は消えた。人間もビルも、文明というものは全てが消えうせた。それでもしぶとくも存在するのが生き物の本質なのだろう。
自分は生き延びた。からからの喉の渇きと、怠惰的な睡眠をもって。そして、黒猫の猫型ロボットのペペと緑ガメが成長してしまったガメ子という人語話す生き物と一緒にいる。人間は、どのような状況でもなれるというが、本当だ。私は、この二匹(一体と一匹?)との、あてもなくさまよう人生になれてしまっていた。
あの光によって全てがなくなったというのに、私だけが何故生きているのか。何故、この世界はまだあるのか。私の目は、この世界を確認し、何故存在を固定するのか。
これは、私の夢なのかもしれない。
私が狂っているのかもしれない。
実は頭のいかれた人間の悪夢で、正気にかえったとき世界は文明というものを発達させ、平和なのかもしれない。――どちらにしろ、いまの私にはわからないことだ。
白い建物の前にくると、それが防御システムによって保護されたものだとわかる。わざわざ目隠しシステム(遠目幻影システム)までつけられているようだ。もしガメ子とペペがいなければ、ずっとこの荒野を彷徨わなくてはならなかったかもしれない。――私は、いつから、この荒野を彷徨っていただろうか? 頭にちりりっとした痛みに私は舌打ちした。耳の中に砂がはいって、私の電子回路の調子を狂わせている。
「ダーリン?」
白い建物――というよりは、金属の塊と向き合っているのにガメ子が声をかけてきた。
「なんだ」
「あれは?」
ガメ子の言葉にそちらへと視線をむける。このいかれてしまった目よりはずっとお前たちの目のほうが信用に値する
荒野に女がたっていた。
「あら、驚いた。人間だわ」
「こっちも驚いた」
女がいた。
「あなたも生き残ったの?」
親しげに話かけてくる女に、私は黙って頷いた。
「私は、冷凍睡眠していたから、カプセルごと助かったのよ。けど、どういうことになっているのかわからなくて」
「まて、冷凍睡眠だと?」
「ええ。地下のよ」
なんのことはないようにいいながら笑う女は、まだ仲間がいるという風だった。
冷凍睡眠とは、十年前に開発された人工寿命調節器だ。言葉のまま、長く生きたい人間が長く生きるために睡眠を使用して肉体の細胞全てを仮死までいたらしめて五十年くらいかわらない姿で眠ったりするためのものだ。
「この防衛システムを作ったのは?」
「ああ。なんかあったら恐いだろう? この世界では、なにがあるかわからない。この先にはちゃんとした民家があるから、あなたもきたらいい」
「……伺います」
女の歩いていくのについていくと、確かに民家はあった。そこには文明と呼ばれるものがあったのだ。地面に横倒しになったビルに質素ながらも並ぶ家々とともに、そこに住む人々が素朴に生きている。誰もが汗をかいて、その日一日の苦労をわかちあい、喧嘩もなく、繰り返す。――繰り返す。
滅びたくないというこの世界の妄想か。はたまた私の妄想か。
それとも、これはお前の妄想なのか。
「とってもいいところだろう」
女がひととおり、見せ回ってくれた結果を聞きたがったのに軽く頷いて応じておく。
「ええ。とても」
ガメ子が足元できゅきゅと威嚇の声を発する。かがみこみ、そのつるんとした頭をなでながら言葉を捜す。
「一つお伺いしていいですか」
「ん?」
「ここの住人は全て冷凍睡眠して生き残った?」
「ああ。そうだよ」
「子供は?」
ここにいたのは全て成人した人間だけだった。
「ああ。私たちは、みんなできないんだよ。お前さんも知ってるだろう?」
頷いておく。
二十世紀を過ぎた数世紀になって、男も女も性欲というものがまったくなくなった。正確にいえば、セックスできても、子供はできない。男の精液が全ていかれてしまたのか、女の子宮が全ていかれてしまったのか。それとも人類の機能で、一番いらないものを欠落させてしまったのか。
肉体は正直で、生きる事に不要なものは全てなくなっていく。だが、クローンにはオリジナルが存在する。
「では、ここもいずれは滅ぶんですね」
「いや、そんな心配はないクローンがある」
「クローン」
オリジナル以上のことはできない。それが遺伝子にくみこまれたレール。――私たちは、ただそのレールの――遺伝子にかかれたとおりにしかいきられない。
プログラムされている。
ならば、この世界のありようは、何度繰り返したのだろうか。―― 一度目か、それとも五回めか。数百回目か。
「ああ。その施設もある」
苛々してきた。この抑揚のない会話は、やはり、そうなのだろうか。だが、この女は誰かに似ている。私の知っている誰かに。
「クローンの施設はどこですか?」
「それは口外できないね。お前は私たちとは違うだろう。ここの者になれば教えてもいいぞ」
「……思い出した」
この女が誰に似ているのか。
「私だ」
お前は、私に似せた女を作ったのか。悪趣味なやつだったが、本当にどこまでも悪趣味だ。
「なんのことだ?」
「 」
私が口に出す名に女が一瞬、表情を失った。女は私に似ている。彼がそのように作ったのだろう。それをぶち壊してしまいたい衝動にかられた。
これは、お前の妄想だ。そして、私は、それを終らせるためにきたんだ
「この世界が滅んだとき、二人しか生き残らなかった」
女は黙っている
灼熱。激しい渇き。喉に手をあてて、乱暴に皮膚をひっかきたくなる衝動にかられる。快晴ともいえる空を憎しみをもって一瞥すると、ペペがにゃあと鳴いたのにガメ子のうるさい声が耳にこだまする。
「ダーリン、家、家」
家? なにもない荒野という表現がぴったりのこの世界にそんなものがあるのか。そう思いながら体を起き上がらせるとやはり砂しかない。なにもない世界に愛想をつかして、地面にごろりと横になると、ばたばたと砂をわけて傍に寄ってくるガメ子は耳元で叫ぶ。
「いーえー」
「うるさいぞ」
生臭いガメ子の鉤鼻――といえばいいのか。この亀の顔は。そんなことを考えると、ますますエネルギーを消費する。仕方なく体を起こしてガメ子が叫ぶほうをみる。
高熱にさらされたための目の錯覚か、はたまた実際に存在するのか、家があった。
「にゃん」
ペペが腕に擦り寄ってくる。
猫型ロボットタイプのペペまで反応しているということは、嘘ではないのかもしれない。――だが、どれが真実だというのか
「人がいるかしら」
緑ガメがやたらめったら成長した出来損ないともいえるガメ子がうきうきとしたように、つぶらな、本当につぶらな目をきらきらとさせている。
「どうだろうな」
ペペがにゃあと鳴く。もしかしたら人がいるのかもしれない。起き上がり、喉の渇きにねばっこい唾液を舌の中で転がしながら歩く。
なんでもいいから、水が飲みたかった。
まず、はじめは光だった。
閃光が発した瞬間、世界は消えた。人間もビルも、文明というものは全てが消えうせた。それでもしぶとくも存在するのが生き物の本質なのだろう。
自分は生き延びた。からからの喉の渇きと、怠惰的な睡眠をもって。そして、黒猫の猫型ロボットのペペと緑ガメが成長してしまったガメ子という人語話す生き物と一緒にいる。人間は、どのような状況でもなれるというが、本当だ。私は、この二匹(一体と一匹?)との、あてもなくさまよう人生になれてしまっていた。
あの光によって全てがなくなったというのに、私だけが何故生きているのか。何故、この世界はまだあるのか。私の目は、この世界を確認し、何故存在を固定するのか。
これは、私の夢なのかもしれない。
私が狂っているのかもしれない。
実は頭のいかれた人間の悪夢で、正気にかえったとき世界は文明というものを発達させ、平和なのかもしれない。――どちらにしろ、いまの私にはわからないことだ。
白い建物の前にくると、それが防御システムによって保護されたものだとわかる。わざわざ目隠しシステム(遠目幻影システム)までつけられているようだ。もしガメ子とペペがいなければ、ずっとこの荒野を彷徨わなくてはならなかったかもしれない。――私は、いつから、この荒野を彷徨っていただろうか? 頭にちりりっとした痛みに私は舌打ちした。耳の中に砂がはいって、私の電子回路の調子を狂わせている。
「ダーリン?」
白い建物――というよりは、金属の塊と向き合っているのにガメ子が声をかけてきた。
「なんだ」
「あれは?」
ガメ子の言葉にそちらへと視線をむける。このいかれてしまった目よりはずっとお前たちの目のほうが信用に値する
荒野に女がたっていた。
「あら、驚いた。人間だわ」
「こっちも驚いた」
女がいた。
「あなたも生き残ったの?」
親しげに話かけてくる女に、私は黙って頷いた。
「私は、冷凍睡眠していたから、カプセルごと助かったのよ。けど、どういうことになっているのかわからなくて」
「まて、冷凍睡眠だと?」
「ええ。地下のよ」
なんのことはないようにいいながら笑う女は、まだ仲間がいるという風だった。
冷凍睡眠とは、十年前に開発された人工寿命調節器だ。言葉のまま、長く生きたい人間が長く生きるために睡眠を使用して肉体の細胞全てを仮死までいたらしめて五十年くらいかわらない姿で眠ったりするためのものだ。
「この防衛システムを作ったのは?」
「ああ。なんかあったら恐いだろう? この世界では、なにがあるかわからない。この先にはちゃんとした民家があるから、あなたもきたらいい」
「……伺います」
女の歩いていくのについていくと、確かに民家はあった。そこには文明と呼ばれるものがあったのだ。地面に横倒しになったビルに質素ながらも並ぶ家々とともに、そこに住む人々が素朴に生きている。誰もが汗をかいて、その日一日の苦労をわかちあい、喧嘩もなく、繰り返す。――繰り返す。
滅びたくないというこの世界の妄想か。はたまた私の妄想か。
それとも、これはお前の妄想なのか。
「とってもいいところだろう」
女がひととおり、見せ回ってくれた結果を聞きたがったのに軽く頷いて応じておく。
「ええ。とても」
ガメ子が足元できゅきゅと威嚇の声を発する。かがみこみ、そのつるんとした頭をなでながら言葉を捜す。
「一つお伺いしていいですか」
「ん?」
「ここの住人は全て冷凍睡眠して生き残った?」
「ああ。そうだよ」
「子供は?」
ここにいたのは全て成人した人間だけだった。
「ああ。私たちは、みんなできないんだよ。お前さんも知ってるだろう?」
頷いておく。
二十世紀を過ぎた数世紀になって、男も女も性欲というものがまったくなくなった。正確にいえば、セックスできても、子供はできない。男の精液が全ていかれてしまたのか、女の子宮が全ていかれてしまったのか。それとも人類の機能で、一番いらないものを欠落させてしまったのか。
肉体は正直で、生きる事に不要なものは全てなくなっていく。だが、クローンにはオリジナルが存在する。
「では、ここもいずれは滅ぶんですね」
「いや、そんな心配はないクローンがある」
「クローン」
オリジナル以上のことはできない。それが遺伝子にくみこまれたレール。――私たちは、ただそのレールの――遺伝子にかかれたとおりにしかいきられない。
プログラムされている。
ならば、この世界のありようは、何度繰り返したのだろうか。―― 一度目か、それとも五回めか。数百回目か。
「ああ。その施設もある」
苛々してきた。この抑揚のない会話は、やはり、そうなのだろうか。だが、この女は誰かに似ている。私の知っている誰かに。
「クローンの施設はどこですか?」
「それは口外できないね。お前は私たちとは違うだろう。ここの者になれば教えてもいいぞ」
「……思い出した」
この女が誰に似ているのか。
「私だ」
お前は、私に似せた女を作ったのか。悪趣味なやつだったが、本当にどこまでも悪趣味だ。
「なんのことだ?」
「 」
私が口に出す名に女が一瞬、表情を失った。女は私に似ている。彼がそのように作ったのだろう。それをぶち壊してしまいたい衝動にかられた。
これは、お前の妄想だ。そして、私は、それを終らせるためにきたんだ
「この世界が滅んだとき、二人しか生き残らなかった」
女は黙っている