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定義

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音楽の定義



 その建築はどこか役所のような正義風を吹かしている。それでいながらその建築は、人が、その全体を意識の最も深い谷にまでひっかけ、その細部を感情の織りなす水にからめとるとき、その均衡と博愛とを顕わにし、聡明な女性の容姿のような芸術的造形を示す。その建築の厚い壁、ひとりの死にゆく人間の振り返る人生程に厚みのある壁を抜けて、音楽の緊張した一条一条が石畳の広い庭園へと散らばってゆく。その建築のホールで、交響楽団の一人一人が、椅子の硬さを気にかけたり、観に来た恋人への愛情に浅く浸かったり、ホールの高い天井との距離にすがすがしさを感じたりしながら指揮棒が振られるのを待っている。先ほど散らばっていった音楽は、指揮者の鋭利で孤独な頭脳の中で予告され反復されあらかじめ愛された音楽だ。いまだに曲は始まらない。

 恋人との思い出を反芻し、自らに亡き恋人の姿を重ねながら、彼は狂おしく傷ついた感情で海へと向かった。沿岸の道路に車を停め、ガードレールをまたいで複雑に凹凸のある火山岩の岩場を足元に注意しながら歩く。君の眼は、君が愛や怒りや希望で燃えているときは太陽のように、君が悲しみや不機嫌や疲れで凪いでいるときは月のように、僕の眼と光や明晰さや曇りを交換し合ったね。今朝君が死んだとき僕も死んだんだ。僕の華々しく予言された未来も、孤独と絶望が君によって中和された過去も、はるかかなたへと滑り落ちていく現在も、みな死んだ。二人で植えたあの桜の木がこんなにも呪わしいとは! 彼は座るのに適した平らな個所を見つけて腰を下ろした。波は規則的に岩を洗い、そのたびに彼の悲しみを圧迫し、彼と彼女との距離を少しずつ遠ざけていった。午後三時、太陽は少しだけ陰り、海はきらびやかだ。ふと、彼はつぶやいた。「音楽だ、音楽なんだ。」彼は確かめるように、もう一度つぶやいた。「音楽なんだ。」彼と彼女とその他すべてのものと、そして今のこの太陽と岩と波と、それらが混然と彼を悩ます中で、なぜか調和し進行する和音とメロディーが彼の狭い真空に宿った。その音楽が今、彼にとってはすべてだった。

作品名:定義 作家名:Beamte