真実が消えた戦争
同じだ。あのときは僕が、今回はアリアが慰められた。人ってそういう生き物なんだろうな。僕らもずっとこうして支えあって生きていこうよ。今の言葉、声に出して言うべきだったかも。
そんなことを考えながら、僕たちはお互いの温もりを感じて、このときがずっと続けばいいなんて思いながら抱きしめ合っていたのである。
しばらくしてから、僕らは空を眺めていた。
「空が綺麗だ」
甘かったのかもしれない。
「でしょ? 夕日はもっと綺麗なんだよ」
今僕がここにいることを知っているのは――。
「今でこれだけ綺麗なんだから、よっぽど綺麗なんだろうね」
もっと冷静になっていたらわかっていたかもしれない。
「また来たいな……今度は幸せな気持ちで」
でも、これが運命だったと思うしかないか。
「うん。また来ようか」
そんな口約束をした直後だった。背後から何人かが走ってくる音が聞こえてきた。嫌な予感がした。
「アリア!」
この声、先程の少女だ。もしかしたら何かを伝えに来たのかもしれない。しかし、彼女が次に発するセリフは、僕たち二人には到底予想できないものであった。
「離れて! 早く!」
「……え?」
アリアが呟く方が先か後か、一発の銃声が響き渡る。
「ウィル!」
「――!」
風が止む。波が止まる。近くの木に止まっていた鳥が皆一斉に羽ばたいたせいで木の葉がたくさん落ちた。
僕は胸の異変に気付くのに時間がかかった。胸元に手を当てると絶え間無く溢れ出す自身の血が、手を原色の赤色に染め上げる。
途端、激痛が走る。近づく赤色に染まった地面。違う、地面が僕に近づいているんじゃない。僕が地面に近づいているのだ。崩れていく体。膝をついて体が完全に崩れるのを堪えてみたが、体が動かない。隣で叫ぶアリアの声さえ遠い場所での誰かの呟きに聞こえる。
「ウィル! しっかりしてウィル!」
「危ないよ! 離れて、アリア!」
また響き渡る先程の少女の声。ああ、そうか。その少女が兵隊と近所の大人を何人か呼んできたのだ。アリアを異国の兵隊の服を着た僕から助けようとして……。
言わなきゃ。僕は敵じゃない。
生きなきゃ。アリアが泣き出さないように――。
足が悲鳴を上げる。だけどそんなことは気にしていられない。視界も薄暗くて、方向感覚さえ失われているらしい。ふらつきながらも立ち上がって、まっすぐ前を見た。
「こいつ、まだ生きていやがる!」
でも彼らからすれば僕は本当に敵かもしれない。僕自身がこの国の戦争を請け負う者。彼らの判断は結果的に正しいだろう。
「アリアちゃん、早くこっちに!」
あれは近所の人たちだ。アリアのことを心配しているらしい。
――もう、僕がいなくても寂しくないかな。
再び銃声が鳴り響く。今度はより心臓に近い場所を銃弾が突き抜ける。もう痛みは無くなっていた。体が傾いて、狭い視界に広がるのは太陽の光とのグラデーションを彩る空。
崖から体が離れてしまうまであと三秒。
僕は撃たれた反動で倒れた。後ろに倒れてしまったから、その先に陸がない。今まさに落ちようとしている。やけにスローモーション。そうか、今から死んじゃうんだね、僕。目の前に差し出されているこれは手だ。アリアの小さな手。今ここでアリアの手を掴んだらどうなるだろう。アリアまで一緒に落ちるかもしれない。僕は落ちても落ちなくても死ぬだろうから、ここでアリアの手を引くのは駄目だね。じゃあ、せめて触れようか。――ああ、温かい。僕はもう冷たくなっているから余計に温かいのかもしれないね。
ああ、何でこんなときってこんなに頭がよく働くんだろう。頭に映し出されるこれはアリアと出会った日。アリアは初めて会う僕に対してあまり恐怖心を示さなかった。人形がいきなり人になるという現実味のない出来事が起こったのに。そしてこれはアリアが転んで泣いた日。膝を真っ赤にして泣いていて、家にはもちろん治療できるようなものはなかったから焦ったよ。僕の服をちぎってみたよね。それでも泣き止まないからとりあえず頭をなでたら先程までの涙が嘘のように笑顔になったね。そういえば、その次の日には落とした食べ物を持ち主に渡したら褒められたんだったね。ああ、アリアはいい子だ。思い出が尽きないよ。アリアは、アリアは今……
――泣かないで、アリア。アリアが泣くと僕も泣いちゃうじゃない。君はきっとこれからあの少女と友達になるだろう。きっと仲良くなれる。喧嘩したらまた仲直りするんだよ、出来るよね。だからたくさんの人に出会って幸せになってよ。僕、ずっと見ているからさ。今まで、本当にありがとう。
アリアが小さくなってゆく。空が遠くなってゆく。思い出さえも僕の頭から離れていくんだ。誰も僕を追ってこない。
……あ、水。これはアリアの涙かな。そうか、アリアの涙だけ僕を追って来たんだね。アリア、アリア――
近づく波の音。もうアリアの顔の表情まではわからない。僕は苦しみにまみれた人を飲み込む海に吸い込まれてゆくだろう。その前に、最後の力を振り絞って僕は言った。仲間を誘うようにうねる波の音に掻き消されないように――
「君を好きになれてよかった――」
海にとって、こんなに幸せな人を飲み込むのは初めてだろうな。ふと笑い、僕は涙のような味がする海に飲み込まれていったのであった。
~エピローグ~
あれから十年。私、アリアは年齢上大人となった。
あのときの戦争のことを記憶しているものは私以外誰もいない。その理由はなんとなくわかっている。
あの日、ウィルが海の中へ消えてからすぐに、私の体は動かなくなった。私だけじゃない。私の近くにいた人から順に皆気絶してその場に倒れてしまった。空が突然明るくなって、私は事の事態を察した。きっと、今ウィルが言っていたこの国を戦争へと導いた魔術から開放されたのだと。
私はあれから色んな人に支えてもらい、今日ここまでやってこられた。死にたくなったときもあったけれど、親友が私を支えてくれた。私は本当に幸せ者だと思う。
私はこれから東の国へ行くところである。最近建設された航空の待合室でぼうとあるものを眺めていた。
ウィルによく似た兵隊人形。
ウィルが消えていった海の岸辺で見つけた人形。ずっと肌身離さず持っている。これを持っていると傍にウィルがいるような気がして頼もしい。また会えるような気がして。そんな私を人は『人形離れしない子供』という風に言ってくることがある。そのせいか、私は自分が大人になったという自覚が全くないのである。
ウィルがいなくなったあの日から、私はずっとあのときの戦争について調べている。今日もそのために飛び立つわけだが。何か新しいことがわかればこのウィル人形に報告しないと。
ギュッと力強く、それでいて優しく人形を握り締めた。
そうだ、私が今まで色々調べてきて思ったことを最後に言おうと思う。
この戦争は、本当に奥深いものである。
すでにこの戦争について全てわかったような気になっている人がいれば言っておきたい。
真実は
まだほんの少ししか
語られていない
真実が消えた戦争