地球の眠り
族から聞いて僕を連れてきてくれたのだった。
「そうみたいですね」僕は『苗木』を両手に添えてそう答えた。僕はカメラが
回っていることに意識が傾き、緊張したが、膝を曲げて、『苗木』を墓石に置
いて、蝋燭に火を付けると、線香に移し、両手を合わし目を閉じた。カメラマ
ンは墓石に彫られた君の名前を映さないよう、横側から僕を撮っているのが、
地面に敷き詰められた、砂利を踏みしめる音で分かった。僕は暫しの間、君と
の懐かしき思い出の数々を、思い出し、瞼を開けた。
「その苗木はどうするつもりですか?」とディレクターが訊くと、
「できればこの墓地を囲んでいる、森の中に植えたいんですけど、きっと駄目
ですよね。なので、何処か彼女との思い出が見渡せる場所に、許可をもらって
植えるつもりです。…此処にはもう二度と来ないと思います。僕はもう新たな
.来へ歩き始めているんですから。この風景を脳裏に焼き付けて、思い出のア
ルバムの中に飾っておこうと思います。いつまでも、いつまでも…、色褪せる
ことがないように…」
僕達は墓地を出ると、「地球の眠り」に書かれた大学の図書館に行って、実
際に君と座って文学作品等の話をした椅子に座り、ディレクターに質問を受け
たりした。空が暗くなり雨が降ってきて館内の照明が映える中、僕は素直に答
え、鮮明に蘇るあの頃の懐かしき日々を風景とだふらせた。
「…作品のあとがきにも書かれていましたが、これからはもう、私的な物語は
お書きにならないつもりですか」
「えぇ。あの物語では、どうしても個人的なことを書く必要があったんです。
それは、物語にも、僕にも十分に心得ていたことでした。僕の心の中にあった
傷に、きちんとけじめをつける為に。そうして作品が出来上がると、それの代
わりに、希望という名の『未来』の明確なビジョンが広がっていたんです。『.
来』は、僕の心を反映させたように、そっくりそのまま、世界から姿を現して
いました。僕が見落としていた事物そのものが、『未来』の断片だったんです。
僕がこれから書く物語…いえ、使命は、生涯をかけてこの世界の中からそれら
を探し出し、繋ぎ合わせて創っていくことだと思っています。既に持っている
君という『.来の幼木』と共鳴する断片を集めて、現実で誰もが僕の物語を読
むことで『明日』を生きる活力になればいいなと思います。決して天狗になっ
て言っているわけではありません。作家になれたのも、全て僕の記憶の中の人々
のお陰で悲しみを克服できたからです。実際にまだ生きているのは、僕の同級
生一人だけですが、いつか彼と会って、できれば再会を喜び合いたいですね。
もし彼が僕の物語を読んでくれていたら、君をモデルにしたんだよ、と正直に
告白するつもりです。彼はなんと答えるか想像がつきませんが、どうしても現
実できちんと彼に謝りたいんです。そして、末心の、彼と仲良くしたいという
気持ちも、伝えたい。彼とは幼い頃からの幼馴染みだから、きっと僕と真面目
に話したら、理解してくれるでしょう。僕達は末当は、親密な関係になり得た
かもしれないということを。この長い人生の中で、彼と会って親しくなること
は僕の心のしこりを取り除くことになるんです。亡くなった人々を哀れむとい
う気持ちは悪いことでは無いですけれど、でも結局、現実逃避していることに
なると思うんですよね。真実を受け止めることができない、亡くなった女性を
いつまでも想い続けている、そして世界から隔絶してしまう。…僕は昔の僕に
戻りたくない。彼女は僕に物語の中で、『乗り越える力を持って』と僕に言い
ました。そして僕は幾多の試練を乗り越えて、彼女の願いを叶えました。同時
に、僕の願いも叶いました。しかし物語を通して、僕が人々に全てを伝えきる
ことは現段階では不可能なので、少しずつを物語に織り込んでいけたらいいな
と思っています」
一ヶ月後、TVで僕のドキュメンタリー番組が放映された。更に作家として
の僕の存在を人々に知られるようになったのだ。読者からの手紙は、毎日のよ
うに届き、一つ一つ丁寧に熟読している。僕は今、新しい物語を執筆している
が、たまに「地球の眠り」の決して消えることの無いだろう、幾つもの記憶を
呼び戻しながら、キーボードの上の指が止まって、感慨に耽ることがある。今
の僕には『悲しみ』という感覚は殆ど無い。あるのはみんなからもらった輝か
しい希望だけだ。全身に漲る希望で『未来』に向かって一歩一歩踏みしめなが
ら歩いていき、地面の感触を確かめながら果てしない野を越え険しい山を越え、
太陽の光の射す方向へ邁進しているのだ。
数々の思い出が一望できる山に、所有者から承諾を得て、幼木に成長した『苗
木』を植えた。それから週一回は其処に赴き、水をかけたり葉や枝を優しく撫
でたりしている。僕がいつかこの世界から姿を消しても、『苗木』は子孫を残
し、子孫は繁栄しても、「地球の眠り」のように、森で埋め尽くされ、隔絶し
た世界ができることはもう決して二度とないだろう。僕の人生はまだ始まった
ばかりで、これからは人に求められる人間になりたいと思っている。君へ。安
らかな眠りを。そしていつまでも幸せに。僕は、『未来』で君と再会できるこ
とを、心から楽しみにしている。
了 2008年 夏