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珈琲日和 その7

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 店の片隅は盛り上がった若者達が色とりどりのカクテルを片手に騒々しく活気づいています。Holly Coleの歌声に混じって、美和子さんの吸う煙管から流れる煙が穏やかな薄紫色に見えるのでした。


 頑固に残っていた裏路地の雪もすっかり解け、幾分和らいだ寒さの中徐々に春の気配を感じ始めた、ある日のお昼過ぎ。店はちょうど遅い昼休憩を取りにきていた渡部さんのお師匠さんがナポリタンを召し上がっていらっしゃいました。
「んーー 美味しいわねこれ。本当に美味しい」
「ありがとうございます。お褒め頂き光栄です」
「お昼は、よくSwallowでパン買って食べるの。あそこの胡桃スコーンとレーズンパンが好きで。美味しいもの作る人は良い仕事してるのね。んーー 美味しい」
「うちでサンドイッチに使っているパンがSwallowのですよ」
「あら、そうなの。なら、次はサンドイッチを食べなきゃね」
 お師匠様はほっぺを幸せそうに膨らませて、ニコニコニコニコ始終笑顔で召し上がっていられました。まるで蒲公英みたいな方だなぁと勝手に思ってしまいました。すると扉が開いて、制服の上から紺色のコートを着た彩子ちゃんが飛び込んできました。
「マスター!聞いて聞いて!あ、ごめんなさい・・・」
 お師匠様に気付いて慌てて謝る彩子ちゃん。しっかりした女の子です。
「いいの。あたしはもう食べ終わるの。気にしないで」
 蒲公英の笑顔でお師匠様は優しく言って、又ナポリタンに戻りました。彩子ちゃんは照れて林檎みたいに真っ赤になりながらお師匠様の1つ隣の席に座りました。
「あ、ありがとうございます。あの、マスターあたしにシナモンがたくさんかかったチャイ下さい」
「はい。かしこまりました」
 今日は確か大学の合格発表の日だったと気付いたのはチャイが出来上がってからでした。
「マスターには本当にご心配をおかけしました。あたし、無事に受かりました」
「そうですか。おめでとございます!」
 横で聞いていたお師匠様も嬉しそうに彩子ちゃんの方を振り返りました。
「あらあら!おめでとう!何処の大学に行くの?」
「国立大です。あたし学校の先生になりたいから」
「素晴しいわ!頑張ってね!じゃ、あたしはこれで。ご馳走様でした。素晴しい昼食をありがとう!」
 お師匠様は春のような余韻を残して病院に戻って行きました。
「あのね、マスター・・・あの後、ママと話したの」
 僕が片付け物をしていると、彩子ちゃんが口に手を添えて小声で話してきました。
「それは良かった。和解しましたか?」
「うーーん・・・多分ね。ママはあたしに店を引き継がせるつもりだったらしいの。今は不況の時代だから店を持っていた方が何かと強いって考えてたみたいで。ママ、元々雇われ店長だったけど、今年になってあそこの店を正式に買い取ったの」
「成る程。美和子さんの言う事も一理ありますね」
「うん。でもあたしは学校の先生になりたいからって言ったの。そしたらママ、あっさり良いんじゃないって言ったの。だけど今度から話はちゃんとするようにしてって言ってた。そうよね。親子なんだし。あたしがママの事理解出来てなかったように、ママもあたしをわからなかったのよ」
「存在が近過ぎると、気付きにくい事や自分勝手になってしまう事がよくありますから」
「うん。そう」
 彩子ちゃんはチャイをシナモンスティックでかき混ぜて、ゆっくり啜りました。温かい春の日差しが路地裏にも差し込んできているらしくて窓から光のすじが入ってきていました。そのすじの中で埃がキラキラ舞っていました。彩子ちゃんがぽつりと言いました。
「あたし、ママの事、ちょっとだけ誇らしく思ったんだ・・・」
 その言葉を聞けただけで充分。僕は彩子ちゃんの大好きなビターチョコレートを静かに置きました。ではまた。
作品名:珈琲日和 その7 作家名:ぬゑ