チェリーと詩人
次の日から、彼は、仕事の合間に昨ばんみんなでダンスをした公園へのら犬達にえさを持ってきました。のら犬達は昨ばんのように二本立ちもしゃべったりもせず、ただえさにたかっているだけでした。近所の子供達は、始め好き心いっぱいにその光けいを見ていましたが、母親達に、「あぶない人だから近付くのは止めなさい」と注意されたので、彼がいない時にのら犬達をいじめたり、彼がいる時は彼を変人あつかいして、小石を投げたりしました。チェリーも、あのすてきな夜いこう、二本立ちしませんでしたし、しゃべりもしませんでした。彼はやっぱりあれは夢だったのではないかと思いました。
ある日、けいさつ官が会社にやって来て、彼に、「さい近、あなたの配達のはんいで、〝チェリー〟という小犬が何者かにぬすまれたんだが、何か知らないかね?」と聞いてきたので、彼は思わずぎくりとして、「…さぁ、何も知りません…」とうそをつきました。とうとうけいさつの手がすぐそこまでのびて来たのです。
仕事が終わって部屋に帰っても、頭の中が真っ白でした。このままではせっとうのつみでたいほされてしまうと彼はぶるぶるふるえ出しました。自室では、にげ出さないように、いつものようにチェリーをダンボールの中に入れてガムテープでふたをしていました。チェリーはキャンキャンとほえています。牛にゅうが切れたので、買ってきて、あたためてあげても、一切受け付けませんでした。彼はとつぜんじぶんのしでかしたことにこわくなって、しばらく仕事を休んで、部屋に閉じこもるようになりました。チェリーはますますぐったりしてきてやがてほえなくなりました。彼はひどくおちこみ、やはりチェリーが死なないうちに、けいさつしょに出とうしようかと迷いましたが、けっきょくはきょうふで思いとどまりました。
その夜、恋人の声が夢の外から聞こえてきて、目を覚ますと本当にあの夜のように、二本立ちでチェリーは、
「一しょにこの世界から逃げ出しましょう!!」
と言いました。彼はまだねぼけていて何がなんだかさっぱり分かりませんでしたが、チェリーに連れられてかいだんを下り、まぶしい光がもれているげんかんのドアを開けると、そこは美しい花ばたけでしきつめられ、おいしそうな果物をつけた木々が数え切れないほどある楽園のような世界でした。空にはたくさんのにじがかかっていて、それらの間をピンク色の鳥が渡っていきました。
彼とチェリーは、そこで最高の時間をすごしました。そして、いつまでもこの幸せが続くと思っていました。
しかしとつぜんだれかに目を覚めさせられると、部屋にけいじらしき人と数人のけいさつかんが入ってきていて、けいさつかんがベッドの下からダンボールをひっぱり出すと、ガムテープをはがし、中からチェリーをだき上げて、キャンキャンほえながらあばれるのを必死におさえていました。われにかえった彼は、チェリーに手をのばそうとしましたが、けいじに止められて、たいほ状をポケットから取り出し、「けいさつしょまで来てもらう」と言って彼をたいほし、むりやり連れて行きました。
さい判で、チェリーの飼い主の方の弁ご士から、彼は、「彼は、動物ぎゃくたいの目的でぬすみを働いたのです。このチェリーの写真を見て下さい」と言って、さい判長に写真を見せました。彼にも写真が回ってきて、見てみると、前よりもさらに傷を負って、ぐったりしているチェリーが写っていました。彼は、「ごかいです! 決してそんなことはしておりません!!」とさけびました。全ては飼い主達のいんぼうだと思いました。しかし、さい判長から、「有ざい」の判けつが言いわたされると、彼は、「私はやっていません!! 信じて下さい!!」と身をのり出してうったえました。さい判長は目をふせたままです。彼はけいさつかんに取り押さえられて法ていを出て行く時に、ぼうちょう席を見てみますと、チェリーの飼い主達はニヤニヤ悪まのように笑っていて、彼の家族は泣きくずれていました。
刑む所では、しゅう人達に、彼が犬をぬすんだことでつかまったことが知れわたっていて、さんざんばかにされ、しまいにはいじめられる始まつでした。
彼は、どくぼうの中で、チェリーに対する想いのたくさんつまった詩を何編も書き、動物愛ご団体あてに送りました。他人の家の犬をかっ手にぬすんだのはじ実でしたが、そうすることによって、じぶんの無実とチェリーに対する愛を多くの人達に知ってもらいたかったのです。彼はねる間もおしんで書き続けました。しかし一こうに愛ご団体からの返事はありませんでした。そうして月日はあっとい間に過ぎていきました。
ホワイト・クリスマスの夜、とつぜん目が覚めると、なんと、彼の恋人がどくぼうのドアの前に立っていました。彼はびっくりして、思わずこしをぬかしましたが、亡くなる前の恋人の美しいすがたを見ると、自ぜんと思い出がよみがえり、目がうるんできました。かん守達のいびきが聞こえてきて、みな眠っているようです。
「今かぎを開けるから待ってて…」と彼女は言うと、がちゃり、と音がして、ドアを開けました。長くて黒いやわらかそうな髪と白いワンピースの彼女は、「ここから脱出しましょう」とうるんだひとみで手をのばすと、彼の手をにぎりました。
刑む所を脱ごくした彼は、もうふぶきの中、はだしのまま走る彼女と一しょに寒さにたえていました。
「…神様に、この命と引きかえに、今夜だけ生まれ変わる前の姿に戻してもらったの」と彼女は息を切らしながら言いました。
彼はさい初、何のことを言っているのかわけが分かりませんでした。そしてやっと気付いたのです。彼女はあの〝チェリー〟で、あの家から神様の力で逃げ出したことを。
彼は、ま横にふくふふぎの中、立ち止まり、彼女の手をはなして、ぼうぜんとしました。「…あなたにおん返しがしたかったの。あのままあの家にいても、いずれは死んでしまっていただろうし、それなら、今日だけでも、あなたとすごす方がいいと思って…」とひとみからしずくを流して言いました。よく見てみると、彼女の顔は青白く、具合もとても悪そうでした。全身にきずがたくさんありました。彼らは、こごえる体をたがいにあたためながら、ふぶきの中を歩いていきました。はっきりとしない意しきのまま、彼は、神様にお願いしました。
「…どうか私もこの命と引きかえに、彼女と天国に行きえい遠に一緒にすごさせて下さい…」
すると、目の前にぼんやりと教会が姿を現しました。彼らは教会に入り、明かりが点いたかと思うと、あの公園で一緒にダンスをおどったのら犬達が拍手で迎えてくれていました。犬達はみな、生まれ変わる前の人間の姿に戻って、笑顔でしゅくふくする中、気がつくと彼らはえんび服とウェディングドレスを着ていました。彼らはうでを組んで、神父のいるさいだんの前へ一歩一歩歩いてきました。 神父の前で、「あなたは彼女とえい遠に幸せになることをちかいますか?」と告げられると、彼は、「はい」と笑顔で答え、彼女が小犬の時につながれていた赤いひもをそれぞれの薬指にむすび、ひとつになったところで、「では、ちかいのキスを」
と神父は言い、彼は彼女のベールを上げ、静かにキスをしました。