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珈琲日和 その6

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「縁切りで有名な喫茶店ってここですか?」
凍てつく空気を溶かすような力強い冬晴れのある午後。
 元気に腕を振りながら大学生らしい風貌の若い男性が訪れました。チェックの赤いシャツをコートの下に重ね、首にぐるぐる巻いたマフラーも鮮やかな赤でした。その方は勢いよくカウンターの真ん中に座ると、開口一番、少し早口目に聞いてきました。
「はい?」
 あまりの唐突さに僕は思わずそんな事を返してしまいました。
「だから、縁切りで有名な喫茶店はここですか?」
「はぁ どうでしょうね。そうなんですか?」
「だから聞いてるんですけど」
「さぁ。聞いた事ないですけど・・・・・・」
 その男性は憮然として、ミルクティーを注文して飲み終わると何も言わずに帰って行きました。


 僕がその話をすると、案の定シゲさんと渡部さんは大笑いをしました。まったく。
「傑作だなぁ。ここはそんな喫茶店だったのか。じゃあ、あんまり峰子と来るのはよそうかな」
 優しい雨の日のような潤色のカーディガンを羽織った渡部さんが柔らかく無精髭を動かしました。その肩を軽く叩いて、少し寝癖のついた髪をしたシゲさんが真顔でからかいます。
「いんや。俺ぁ前々からどーもそうじゃねーかと思っていたんだよぉ。やっぱりかぁー」
「違います。大体そんな言われる程、誰かが別れたりしてないじゃないですか」
 僕は全く憤慨していました。まったく何処のどいつがそんなデマを振りまいたんでしょう? 営業妨害も良いとこです。
「この間なんて、ここで告白して付き合い始めた人達だっているんですよ。僕、感動して思わず拍手してしまいましたよ。それに、茜ちゃんだって最近作った彼氏を連れてきてくれます」
「んだけど、少し前なぁ、こっからそう遠くない何とかってぇ会社の前で、雷が直撃して、人が死んだじゃないの。その人、ここのお客だったんだろ?」
 ミックスサンドイッチ派のシゲさんが珍しく注文したナポリタンを食べながら聞いてきました。
「横井さんです。本当にお気の毒でした。この前、奥様に駅でお会いしたんです。英会話の講師で働き出されたんだと笑いながらおっしゃってました。元気になられたようで良かったです」
「ほらな。それに、あのえらく綺麗なお姉ちゃんどうした?」
「よく雨上がりにお一人で寄っていらっしゃっていたエスプレッソ濃いめの方ですか? そう言えば最近お見えになりませんね」
「ほらな。きっと他の旦那のとこ行ったんだよ。あのお姉ちゃんは囲われている雰囲気があったからな」
「へーぇ。そんな綺麗な人が来てたんだ。俺も見てみたかったな」
 なんて、渡部さんまで言っています。
「そうかもしれませんね。でもそれと縁切りと何の関係が・・・・・あ」
「な? そう言う意味では縁切りだろが」
 トマトソースがついた先っちょの赤いフォークをタクトのように振ってシゲさんが言いました。
「確かにな」
 渡部さんが成る程という感じに意味深に呟きました。すると、噂をすれば何とやら、当の本人茜ちゃんと実君が手袋をはめた手を繋ぎながら仲良く入ってきました。
「こんにちはマスター!」
「こんにちは。いらっしゃいませ。2人共新しい仕事には慣れましたか?」
「ええ。おかげさまで。毎日とっても楽しいわ」
「マスター、マスター!聞いて!俺、今度、主役任されたんだよ!」
 劇団員の実君が子どものようにはしゃいで得意そうに報告してきました。鮮やかな蒲公英色のダウンが目に滲みるようです。春ももうすぐですね。
「それは凄い!」
「でしょー!俺、オリジナルブレンドー」
「茜ちゃんはどうしますか?」
 茜ちゃんと実君は、シゲさん達と反対側のカウンターの端っこに陣取った。
「私はカフェマキアートがいいな」
 女の子らしく若々しい躑蠋色のハイネックセーターを着た茜ちゃんが唇に指をやって言いました。
「かしこまりました」
「ところでマスター、この喫茶店が縁結びで有名になってるって、知ってる?」
 さっきの話とは全く正反対の茜ちゃんの問いに、またもやシゲさんと渡部さんが爆笑しました。
「縁切りの次は縁結びですか。まったく。ここはあくまで喫茶店であって神社とかじゃないんですよ」
「ですよね。私の出版社の中にある違う部署の編集者がここらの有名どころを載せる特集を組んだみたいで、その雑誌にここの事が書いてあるそうなんですよ。縁切りだか縁結びだかで有名な喫茶店って」
 そういえば、この間いきなり来たあの男の子は手に何か色とりどりの華やかな雑誌のようなものを丸めて持っていた気がしました。成る程。雑誌の影響か。はた迷惑もいいとこだ。
「そうなんですか。特に取材みたいな事はなかったんですけどね」
 僕は2人の豆を配合しながら答えました。
「どうせ、でっち上げだろ」
 渡部さんがカフェモカを啜りながら呟くように言いました。
「そーだそうだ。ちげーねぇーよ。第一、根拠がねーじゃないのよ」
 シゲさんも口を尖らせました。
「ですよね」
 何故か責められた形になってしまい、茜ちゃんが少し困ったように同意しました。
「その雑誌って、これ?」
 隣に座っていた実君が不意にA4版のカラフルな雑誌を取り出しました。
「さっき茜を待ってる間に暇だったから立ち読みしてたんだけど、面白そうだから買ってみたんだ。でも、書いてあるのでっち上げなのかぁー」
「見せて!」
 皆で一斉に覗き込みました。成る程。ここら一体の有名スポットとお店の案内の様な散策地図が載っていました。裏路地もしっかり載っています。やれやれ。
「ほーーここらはこーんなたっくさん有名どこがあったんかぁー長年住んどって全っ然知らんかったわ」
 感心しているのかバカにしているのか定かではないニヤニヤ笑いをしながら無造作に片鼻の穴に指を入れているシゲさんの横から、珍しく渡部さんも興味津々で見ています。
「俺の所は・・・あったあった。何々、腕のいい親切な先生と迅速な対応で有名な頼れる小児科医。子どもに何かあったらとりあえずすぐに駆け込むべき。何だか駆け込み寺みたいな宣伝文句だな。お、ミレットも載ってる。美人ママがいるミュージックバー、誰でも楽器持ち込みセッション可、ママの料理が絶品、大人のデートに使いたい、か。そうだな。あながち嘘でもないじゃないか」
 僕はくねくねした裏路地の散策地図を目を凝らして見つめていました。路地裏の奥まった所に小さく僕の喫茶店がありました。
『老舗の喫茶店、マスターは気さくで近所住民の溜まり場的な場所、2人で行くと別れやすくなり、独り者で行くと縁結びに利くという噂もあるらしい』なんじゃこりゃ。
「誰が言い始めた事かは知らんが、くだらん事だ。気にしない方がいい。では、俺はそろそろ戻るので」
 渡部さんは立ち上がって、お勘定を払い、颯爽と病院に戻っていきました。
「まったく先生の言う通りだ」
 シゲさんはそう言って、新聞を広げて眺めながら、残っていたナポリタンを一気にかっ込みました。
「何だか、ごめんなさい・・・」
 茜ちゃんが責任を感じてしまい、泣きそうな顔をして小さな声で謝ってきました。隣の実君までバツの悪そうな顔で口をもごもごさせて俯いています。
作品名:珈琲日和 その6 作家名:ぬゑ