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珈琲日和 その5

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 あの女性はシゲさんが話していたおばちゃん先生だろうか・・・?


「マスター、カフェモカ頼む。とびきり甘くな」
 渡部さんが再びいらっしゃったのは、年も暮れに近付いた雪でも降ってきそうな寒い日のちょうど3時を過ぎた時でした。
「いらっしゃいませ。久しぶりですね」
 渡部さんは分厚い黒いコートを脱いで、相変らずのぼさぼさ頭を掻きながら、カウンターの右から2番目の指定席に座った。
「ま、そうなるかな。しばらく色々と開業準備に慌ただしかったからな」
「いよいよですか。場所はどの辺なんですか?」
「この辺だ」
「おや。田舎に行く計画はどうなったんですか?」
「田舎? おお、そう言えばそんな事を言っていた時もあったな。いや。行かないぞ。ここから歩いて30分位の小さな建物で小児専門病院を開業する事になったからな」
「そうなんですか!それは良かった!」
「元の病院で働いてた医師や看護婦に声をかけて、こじんまりとではあるが来年から動き出せる。なもんだから、まだここにも通う事になる。また宜しく頼む」
「いいえ。こちらこそ。つかぬ事をお伺いしますが、一緒にやっていく先生の中におばちゃん先生はいらっしゃいますか?」
「何で知ってんだ? いるよ。あの人は俺の師匠なんだ。もう前線から退いて隠居でもするわなんて弱気な事を言ってたもんだから、俺が引っ張ってきたんだ。あんたはそんな玉じゃねーよってな」
「そうですか。それはそれは」
 僕は心底嬉しくなってホクホクした気持ちで精魂込めた熱々のカフェモカをお出ししました。とは言ってもいつも精魂込めて煎れるので普通なんですけど。それからNara Leaoをかけました。
「向こうに移動した先輩や同僚に話をつけていつでも担ぎ込めるように手はずはつけてあるから、万が一こっちで対応しきれなくなっても大丈夫だ」
「そうですか。本当に良かった」
「実はな、いよいよ病院が残り3日に迫ってきた時、俺は寝ている時に妙な夢をみたんだ」
「夢、ですか・・」
「ああ。たくさんのちっこいガキ共が出てくる夢でな。そのガキ共は色んな格好をしていた。幼児からはいはいしている赤ん坊まで、果ては胎児みたいなのまでいた。恐らくあの病院で救い切れなくて死んでしまったガキ共なんだろうなって、俺は何となく思ったんだ。そいつらは笑いながら俺の手を引っ張っていくんだ。引っ張っていかれた先は、たくさんのベッドが並んだ病室で、そこに苦しそうな表情をして泣いているガキ共が寝てた。そいつらは俺に向かって助けて助けてって訴えるんだ。後ろにいるガキ共も助けてあげてって俺を押すんだ。そこで目が覚めた」
「生きたくても生きられなかった子ども達の優しい思いだったんでしょうね」
「ああ。そうだと思う。だから、俺にあのガキ共を救ってやれる何が出来るだろうと思って考えたんだ。だが、1人じゃなかなか浮かばない。そこで、その夢の話を師匠にして相談してみたら、なんと師匠も似たような夢をみていたんだ。これはなにかしなきゃいけないって事になって今に至ってる」
「そうですか。そんな事が」
「ああ。だが、これで良かった。高額な医療器具に頼れない俺達が出来る事はほんの僅かかもしれないが、塵も積もればだ。ま、出来る所から地道にやっていくさ」
 渡部さんは前向きな満足そうな笑みを浮かべて美味しそうにカフェモカを啜りました。その顔にもう迷いは見受けられませんでした。Nara Leaoがその心地よい声を伸ばしてゆっくりと響いていきます。
「美味い。いくら糖尿だの血糖だの言われてもこれだけは辞められん。俺の脳の栄養だからな」
「ときに、美猫さんはお元気ですか?」
「峰子? 美猫? どっちの事だ?」
「おやおや? 僕が聞いて美猫さんは確か赤い鈴をつけた三毛猫さんの方でしたが」
「美猫か? 元気だ。丸々太ってるよ」
「峰子さんとは?」
「峰子は師匠の娘だ。師匠に紹介されてお付き合いしているんだ。恐らく結婚するだろうな。素敵な女性だよ。師匠共々、そのうちここにも連れてこよう」
 渡部さんはぶっきらぼうに言って、嬉しそうに耳まで真っ赤になりながら照れて頭を掻きました。後ろの窓から、小さな子ども達がたくさん笑いながら走って行ったように見えました。が、そこにはただ差し込んできたばかりの冬の光が力強く踊っているばかりでした。
作品名:珈琲日和 その5 作家名:ぬゑ