我侭姫と下僕の騎士
【4章】花嫁教育・自主学習
翌日、朝食後に改めて繰り広げられた乳母による『花嫁教育』に、クレアは目を白黒とさせた。
これまでまったく触れられてこなかった性教育を、基本だけとはいえ半日で教えられ、戸惑い、混乱する。しかし、カーラが会話を結ぶ頃には、一度脳で反芻してから、クレアはゆっくりと理解した。
「……あ」
理解して、昨夜自分がイグニスに言った言葉の意味も、改めて理解した。
「あうぅぅぅぅ」
ぽっと朱色に染まった頬を冷ますように、クレアは両手で自分の頬を覆う。そうすると昨夜いつのまにか手にしていた耳飾りに指が触れた。――誰からの贈り物かは、確認せずともわかっている。
可愛らしくもペチペチと自分の頬を叩くクレアに、カーラとフィリーは正しく理解が得られたのだ、と心の奥底から安堵した。日ごろの己の言動を理解したのなら、二度と男性に秘するべき場所を洗え等とは言い出さないだろう。
十六歳の誕生日を目前に控え、ようやく基本的な性知識を教えられたクレアは、以後、立派な花嫁となるための教育を施される事となった。
教科書として乳母の用意していった恋愛小説を読みながら、クレアは欠伸を噛み殺す。
男女の違いと夫婦の夜の営みについてはカーラから授業を受けたが、他の事は本から学べと、大量の恋愛小説を用意されていた。
滅多に離宮の外へはでない生活をしていたため、読書自体は嫌いではないのだが――
「……あまり、面白くないですね」
遠慮がちに感想を述べたフィリーに、クレアは無言で応えた。
というのも、カーラの用意した本は、数は多いがどれも結末が同じような物ばかりだったからだ。
まず、出だしは『政略結婚で、貴族の娘が顔も見たこともない相手に嫁ぐ』で始まり、山場は『愛人を何人も囲う夫』『陰謀に巻き込まれて失脚させられる夫』等いくつかのパターンがあるが、要約してしまえば『最悪の夫』という同じものだ。そして、最後に『献身的に夫を支える妻』によって物語はハッピーエンドを迎える。
実にわかりやすい教科書だった。
クレアの読書に付き合い、自身もカーラの用意した恋愛小説を読むフィリーは、あまりのつまらなさに、自主的に自らの蔵書をクレアに献上した。
「……お姫様と騎士が駆け落ちなんてして、いいのかしら?」
かすかに疑問には思うのだが、クレアはフィリーの持ってきた恋愛小説を大いに気に入った。
こちらは乳母の用意したものとは真逆といって良い。
主人公は深窓の令嬢から街娘、男装の姫騎士など多岐に渡り、内容も愛する姫君を得るため、下級騎士が出世を目指す物であったり、身分違いの恋に悩んだパン屋の息子と令嬢が手に手をとって駆け落ちを決意したりと、必ずしも幸せな結末を迎える物ばかりではなかったが、色々な物語があった。
当然、読み物としてはこちらの方が面白い。
結果として、少女二人の読み物として乳母の用意した本が埃をかぶることになったとしても、それは仕方がないことだろう。
「……クロードも、何か本を持っているはずよね?」
「え? ええ、たぶん……」
小説から顔を上げないまま呟かれたクレアの思いつきに、フィリーは苦笑いを浮かべた。どうやら自分が仕える姫君は、他者の持っている本に関心を持ちはじめてしまったらしい。
「……こんな物ぐらいしか、ありませんよ?」
姫様が読んで面白いかはわかりませんが、と言いながらクロードが差し出した本を、クレアは神妙な面持ちで受け取る。
この頃になると、クレアにはすでに本の内容などどうでもよくなっていた。童話と寓話以外の本が、こんなにも面白いものだとは知らなかったのだ。
教本や童話集等は与えられていたが、自由恋愛を謳う恋愛小説など、後々面倒を引き起こす要素となりうる本は、カルバンによってことごとく排除されて育った。クレアはそういった娯楽本が世の中に存在することを伏せられて育ったのだ。クレアのこれまでの境遇を考えれば、何を読んでも面白いと思うのは無理もない。
クロードから借りた冒険活劇に瞳を輝かせ、クレアは頁を捲る。
それをはしたなくも横から覗き込んだフィリーは、いかにも少年少女が好みそうな正統派冒険活劇に、ひそかに肩を落とした。
「……? なに?」
「いいえ、その……クロード様も男性ですので……」
もう少し違う本を持ってくる事を期待していたのだが。
「イグニスも冒険活劇を持ってきたじゃない」
何が不満なの? とクレアは首を傾げる。男女の違いについて授業を受けたばかりだと言うのに、未だにそちらへと思考を飛ばさない清らかな姫君。そんなクレアに見つめられ、クロードに対して勝手な期待をしていたフィリーは恥じ入って頬を赤く染めた。
「いえ、その……もう少し違ったものを持ってくるかと……」
例えば、男性向けの恋愛小説などを期待していたのだが。
「……フィリーの期待するような物を僕が持っていたとして、それを姫様に持って来るわけないだろう」
自分が何を期待されていたのかを悟り、目を逸らしたクロードに、フィリーはますます頬を赤らめる。
頭上で繰り広げられる何か自分の知らない種類の本に対する話題に、クレアとしては面白くない。
「……なにを隠しているの?」
「なんでもありません」
なにか隠している事は確かなのだが、それが何なのかがわからない。残念なことに、致命的なまでにそういった知識のないクレアには、二人が隠している物の形すら想像できなかった。
納得ができないながらも、クレアは手にした冒険活劇へと視線を落とす。
今はまだ、この新しく手にした本で満足をしている――と、クレアの興味は一旦納まったのだが、フィリーがクロードを裏切る事となる。
「……」
クロードの留守を狙ってのお部屋訪問。
無理を押しての兵舎侵入の成果は大きかった。部屋に入って早々、フィリーはクロードの寝台を探り――クレアには寝台の下に物を隠すという発想すらなかった――見事一冊の本を見つけ出した。
「…………」
クロードの寝台に仲良く座って本を開いた二人の娘は、生まれて初めて見る艶本に言葉をなくし、食い入るように頁を捲る。普段はおしゃべりな少女達であったが、恋愛小説や冒険活劇とは種類の違いすぎる艶本の存在に、恥じらいながらも口を閉ざし、頁を捲る手を止められなかった。
「……僕の部屋で、何をしているんですか?」
いつの間にか戻ってきた部屋の主に、フィリーはぎくりと背筋を伸ばし、クレアは笑顔でクロードを迎えた。
「ねえ、クロード。これって腰が痛くならないのかしら?」
無垢な微笑みを浮かべながら、クレアは艶本に描かれた男女が睦みあう図――すでに曲芸に近い体勢の図だった――を指差す。
部屋を漁られたクロードの怒りが噴火する前に質問攻めにする作戦かとフィリーは考えたが、クレアは本心から疑問に思っているだけだった。
「この本しかないの? この本、絵がいっぱいで解りやすいわ。カーラも、教科書にするのならこっちの本を持ってきたらよかったのに。勃起した男根を女陰に挿入し……なんて難しい単語で説明されるより、図解してあるこの本の方が、解りやすいのよ。ああ、もしかして、カーラもこんな素敵な本があるって知らないのかしら? 隠してあったもの」