夜桜お蝶~艶劇乱舞~
驚く娘の眼前で、黒子は顔に掛かる布を捲くって、なんと素顔を見せたのだ。
娘は呆として口を開けた。その瞬間、黒子は口移して薬を娘の口に飲み込ませた。
唇を離しながら黒子は再び顔を隠した。
娘は呆としたまま、目を白黒させてしまっている。
この世ならぬモノを見たことは確からしいが、なにを見たのか娘はぼんやりとして思い出せない。
薬が効いたのか、それとも別の妖術か、しばらくして娘の熱は引いてきた。
先ほど粥を食べた娘だが、風邪がどこかに飛んでしまったためか、腹の虫がぐぅと鳴いた。
宿の者に大きな握り飯を三つ用意してもらったが、娘は相当に腹を空かせていたのか、あっという間にぺろりと平らげた。
口の端に付いた米粒を親指で取り、娘はその指を舐めた。
それを見ていたお蝶がにこりと笑うと、娘も人懐っこい笑みを浮かべた。
娘はふとんの上で正座をして、丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございました」
「よっぽど腹を空かせてたんだね」
笑いながらお蝶は言った。
娘も照れながら笑う。
「はい、このところ飯も咽喉に通りませんでした」
「なぜだい?」
「怖くて、お代官様に抱かれるのが怖くて……」
顔を曇らせ娘は眼を伏せた。
優しい顔をしてお蝶は娘の髪を撫でる。
「安心おし、あたいが守ってやるよ」
その方法は恐怖でしかない。けれど、それを操るお蝶と黒子に、なぜか娘は強烈に惹かれていた。魔性に属している二人に魅入られてしまったのだ。
お蝶は娘の頭を胸に抱き、優しく髪を撫で続けた。
娘の耳は激しい鼓動を聴いた。
安らかで、落ち着いているお蝶の鼓動が激しい。それはまるで激しい運動をしたように、脈々と躰の中を巡り巡っている。
娘はお蝶の鼓動の音に不気味さを感じ、ゆっくりと抱かれることをやめて躰を離した。
菩薩のような穏やかな眼差しをお蝶は娘に向けている。
「なぜお代官様が怖いのか話してくれるかい?」
「……はい」
娘は自分が知る限りの話をお蝶たちに聞かせた。
女郎屋から消える女郎たち。その影に潜む代官の悪い噂。そして、自分の身に起きたこと。
この娘は代官のいる座敷に何度か呼ばれ、数回にわたって代官に抱かれた。その時期、この娘以外にも代官の相手をしていた女郎がおり、その女郎の首には代官に付けられたらしい痣があった。
作品名:夜桜お蝶~艶劇乱舞~ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)