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赤い瞳で悪魔は笑う(仮題) ep2.姉妹

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「ええっと。ここ、かな」
――『かな』って。お前アクマだろ。土地勘ぐらいあるかと思ってたが。
「うん? いよかん?」
――帰国子女ぶるなっての。しかも面白くないし。
 などと。
 俺たちは早倉井医院の前に――中央玄関前に立ったまま、そんな会話を交わしていた。
「それじゃあ入ろうか」
――おう。
 せっかく来たんだし、入らない理由はない。……いや、入る理由もこれと言ってないんだけど。
 自動ドアを抜けてスリッパに履き替え、紅也と俺は受付のカウンターへ向かった。……しかし静かな所だな。老人患者が多いからか。
「初診ですね」
 受付の女性が、俺が差し出した保険証を受取りながら言い、それから紅也を見た。
「同伴の方ですか」
「ええ、弟です」
 満面の笑みで、紅也は言い放った。硬直した俺には構わず、紅也はそのまま勝手に受付を済ませ、俺の腕を引いた。
「じゃあ、向こうのベンチで待とうか、お兄ちゃん」
――…………。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
――お前な……、なんでそう勝手に設定するんだよ……。
「だって、ただのクラスメートが精神科の同伴なんておかしいだろう」
――…………。
 あー……こんな弟、いらねーよ。
 紅也は言葉を失った俺を差し置いて、さっさと空いていた席に座ってしまった。『弟』の癖に。他の椅子は昼から病院通いの老人達で埋まってしまっている。俺は仕方なく、紅也の隣に立つ。
 それにしても、大きな病院だ。俺が入院していたのもかなり大きい病院だったが、ここもそれに匹敵する面積を持っているようだ。蛍光灯の数よりも多い窓からは夏の日差しが柔らかく差し込んでいて、その下に座る老人達を暖めていた。待合室と言うよりは小ホールと言ったほうが良いだろうこのスペースには、観葉植物が多く見受けられ、受付の横に置いてある水槽の中には、金魚が涼しげに泳いでいる。
 静かだった。
 昼間の、住宅街の中の病院だから、このくらい当たり前なのかもしれないが。そういえば、入院していた時のことを抜かすと、こんな時間帯に病院の待合室にいるのは珍しいな。
 昔。相当に昔のこと。俺がまだ、乳歯を生やしていたくらい頃の昔に、母さんに連れられて小児科へ行ったことがあった。確か、丁度このくらいの時間だったはずだ。そのときは母さんに急な仕事が出来てしまって、まだ小さかった俺は一人で、だだっ広い待合室に残された。流行後れの風邪だったため、他に診察を待つ子供もいなかった。俺は、心細くて仕方なかったことを覚えている。
 こうやって、静まり返った待合室に立っていると、ふとそんなことを思い出す。
 思い出、か。
 俺は、あまり昔のことを思い出したりはしない方だ。それでも時々、こうやって何かの拍子にちょっとしたことを思い出したりする。それは昨日交わした会話だったり、昔訪れた場所の風景だったり、読みかけで終わった本の一節だったりする。不思議なことに、そうして思い出す記憶の方が、今ここで見聞きし体験していることよりも現実感を伴っていたりもするのだった。
 そこまで考えて、俺は思う。――紅也には、思い出というものが、あるのだろうか。
 紅也の話によれば、こいつは数えるのが嫌になるほどの間、次々と終末を迎えてはまた新たに誕生する『世界』を生き続けている。その中では、色々なことがあっただろう。それこそ本当に、数え切れないほどの、膨大な記憶。その、恐ろしくなるくらい……星の数ほどもあるその記憶の中に、果たしてこいつの、こいつにとっての『思い出』と呼べるものは、いくらあるのだろうか、と。
 柄にもなく、人のことを、考えてしまった。いや、人ではない、悪魔だ。
 でも。初めて、悪魔である、と明かされた時感じたのと同じように――……こいつが悪魔だとは、どうしても思えない。いや、それどころか、人間より人間らしい一面が、あるような気さえする。
 何故だろう。
 こいつは今まで、誰のことも救ってなどいないのに。……でも、決して無関心では、ない。自分の存在を賭けた動物だから、だろうか。人間はあくまである紅也のライフラインだ。なくてはならない存在だ。だから、人間に対して、必要以上に節介を焼くのだろうか……。
 違う。
 紅也が――こいつが人間を『演じる』のには、他にも何か、理由があるような気が……。
「何? 僕のこと考えてたでしょう?」
 紅也はちろりと俺を見上げる。
――いや。なんでもない。
「ふうん?」
 紅也は首をかしげたが、それ以上追求しようとはしてこなかった。大いに有難いことだ。
 そうこうするうち、『更衣紅也』と『更衣雨夜』の名前が呼ばれ、俺たちは診察室へと案内されたのだった。