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赤い瞳で悪魔は笑う(仮題) ep2.姉妹

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5


――ああ。
 また、やってしまった。
 それが割れた瞬間、私が思ったことは、たったそれだけ。青く、淵に模様が入った、飾り皿。美しい花模様が母のお気に入りだった。美しい皿、壊してはならないもの。
 決して、壊してはいけなかったもの。
 それは今、私の目の前で、ぱん、と軽く大きな音を立てて、砕け散った。美しかった花模様。かつて、皿の形をしていたモノ。かつて、母のお気に入りだった、皿。
 決して、壊すべきではなかった、モノ。
 ばた、ばた。
 母が駆けてくる。黒髪を後ろで束ね、きちっとした着物を着て。その美しいカオに、ただただ怒気をはらんで。
「また、割ったのね。……もう良いわ、危ないから、向こうへ行ってなさい」
 それでも、母は私を怒りはしなかった。怒っていることは、誰の目にも明らかなのに。怒られても仕方ないようなことを、私はしてしまったというのに。
 私は小さく返事をして、振り返らないで廊下を行く。廊下の、暗いほうへ。

 私の家は、なにやら昔に政治に関わっていたこともあるらしい旧家で、随分と古めかしい、木造の一軒家だった。母はその直系だったようで、いつも和装をした、礼儀を重んじる、美しい女性だった。父は幾分現代的なヒトで、母の母――つまり私の祖母の、厳格さが気に入らない様子ではあった。しかし、仲の良い夫婦だった、と思う。
 私の思い出の中で、父と母はいつでも笑っていた。怒っていても、私を怒鳴りつけることなど、なかった。
 ……でも。
 いつからだろう。
 いつからか、何かが噛み合わなくなった。
 いつからか、何かが取り戻せなくなった。
 いつからか、何かが思い出せなくなった。
 少しずつ失われていった、かつての日常。
 少しずつ損なわれていった、かつての自分。
 やがて何かが、私を浸食していることを、私は知る。そしてその正体が、私自身の記憶だということも。
「これから長い間、君と色々話をしていくことになった、サクライラクサです。よろしくね、ハイラちゃん」
 サクライ先生。
 彼は、私の記憶を丹念に辿るため、私との対話のために、家に呼ばれた医者だった。
――……でも、精神科医なんて。ハイラの将来のためにも、止めたほうが良い。
――……何を仰るんです。将来のために、今、治療が必要なんじゃありませんか。
 父と母の、会話。私を目の前にして、私のことを、私抜きで私のために。
 私はただ、黙っていればよかった。口を出すことではない。
 それがたとえ、自分自身に関する話であっても。
 父と母の気分を、機嫌を損ねるようなコトは、したくなかった。
 だから、
 黙り続けた。
「ハイラちゃん?」
 サクライ先生は、若い男の先生だった。茶色っぽい髪の毛は所々はねていて、厳格なしつけをされていた私や、私の家族とは対照的な容姿をしていた。いつも笑顔を絶やさない、暖かい人だった。
「ハイラちゃん、それじゃあお話をしようか。じゃあ、好きな食べ物について、教えて欲しいな」
「え……好きな食べ物、ですか」
 尋問されるのではと思って身構えていた私は、その一言で拍子抜けすると同時に、ほっとした。実のところ、自分でも良く覚えていないことについて一から十まで説明しなくてはいけないというのは、それまで相当なプレッシャーとなっていたのだ。
「そう、好きな食べ物。先生は――そうだな、ショートケーキ、それも、苺とクリームたっぷりのが好きだな」
「…………」
 ショートケーキ。
 その単語を聞いて、私は。
 足元をすくわれたような気がした。
 この人は、違う。父とも、母とも――私とも。
 住んでいる世界が、生きている世界が、違う。しつけの厳しい母は、甘いものは虫歯になる、と私に菓子を与えなかった。人の気持ちを汲んだことのない父は、家族にケーキを買ってきたことはなかった。そんな環境に育てられた私は、ショートケーキなど、食したことがなかった。そんな単語が、思いつきのように口に出る、この人は。
 ――そこで、私の記憶は途切れる。次に記憶が繋がるのは、翌日の朝。自宅の蒲団の中だった。