秋に見かけた空き地が
そろそろ教えてくれよ、さっきのことを
>2次元に欲望の対象を据えられる・そしてランキングに弱いのは日本人の社会性として固有の稀有なものとして語られるべきであろうが、そういった実際の女に対する軽蔑感が生み出すものであることも少しは理解しておいた方がよいのではないだろうか?さて、このようなことを述べる理由は後で述べることにする
以上のことは確かに第一トピックで述べたことだ。しかもその理由を書きそびれている、…というより書くタイミングがなかった。そのトピックの話題にそぐわないことだったからだ。ここですこし、それについて述べるうえで重要な最近の時事ネタを書かせてほしい。
ポケットモンスターというゲームの最新作『ブラック・ホワイト』がわずか1ヶ月という驚くべき短期間で計400万のヒットを出したのは記憶に新しい。ポケモン=交換という公式を思い浮かべる人も多くいるだろう。ポケモンは他のゲームと違い、とにかく交換が重要になっている(だからこそ他のゲームでは絶対にやらない複数バージョン発売をやっているわけである)。子供たちのコミュニケーションの構築に役立つと、かつてはもてはやされた交換。
いまでは見知らぬ人ともWi-fiを使えば簡易に交換ができる。そこにはコミュニケーションはないが、しかし時代はそれを要請した。別にそれを断罪するつもりはない。むしろポケモンは評価に堪える良作品ではあった。そんなことを述べたいのではない。
結局コミュニケーションを面と向かってするのは人間にとって苦手になってきているのだ。だから欲しいものも、目の前の友人より見知らぬ者から受け取ることを選択する。電話などかけられないから、全ての連絡はメールで済ます。この語り部とあろうものもまたそんな『電話のかけられない』人間である。
だから思うようにならないもの(=実際の女)を『リアル』として認めたくない。
信じたくないものは信用できないものにすり替わる。それは現実が『フェイク』に落としこまれる瞬間だ。
2次元の存在は彼らの思うようになるのだ。
実在でないことと、『リアル』でないことはまったく同値ではない。
虚構でないことと、『フェイク』でないことはまったく同値ではない。
そしてテレビに映る女はすべてよい面しか映らない。だから妄想が発展する余地がある。そして純化されたイメージは思うように動く『リアル』になる。それが現実との齟齬をきたす時(たとえば自分の「信仰」していたアイドルがAVにでてきたときなど)にパニックを起こす。そしてまた同じことだ。思うようにならないもの(=実際の女)を『リアル』として認めたくない。信じたくないものは信用できないものにすり替わる。
そして、『リアル』は現実を見ない方向で構成するようになる。ここで、『リアル』は、と書いたのが可笑しかっただろうか?「を」、という女子は実はそぐわない・「は」であってこそしかるべきだ。何故ならもう意志は擦り切れて、自分が生んだものに支配されていくのだから。
だから気づかない。怪奇現象が今まさに登下校の道で起きている現実も、現実だから『リアル』の興味の範囲でなく、したがって関心の埒外である。歩きながらメールを携帯電話でやり取りすることで、『リアル』がしたいことはそれだけ。『リアル』にとって、世界・地球・宇宙はすべてないものなのだ。
作品名:秋に見かけた空き地が 作家名:フレンドボーイ42