ハロウィンの夜の魔法
途中、馬車と何度かすれ違い、時に優しい御者のおじさんに、こんな山道をお嬢ちゃんひとりの歩き旅じゃあ何かと不便だろう、お代は負けてやるから乗っていきな、と誘われたが、リゼルはそれらの誘いを丁重に断って歩き続けることを選んだ。馬車に乗ったら、リゼルにオークストンの町のことを教えてくれたカラフルな羽根の女性の言葉を違えることになってしまう。そうすると、オークストンには永遠に辿り着けないような気がしたのだ。
たぶんそれは、あの女性自体が魔女のようだったからだと思う。
お針子の母をいつも近くで見ていたから、裕福な人たちが身につける奇抜なドレスは大抵見てきたけれど、あんなにカラフルな、鳥の羽根をかき集めたようなマントは初めて見た。世界中の鳥という鳥から一枚ずつ羽根を採取して縫いつけたようなマントは、浮世離れしているはずなのに、女性の雰囲気に妙に似合っていたものだ。だから、リゼルはあの女性はきっとオークストンにいるという魔女の仲間だったのではないかと思っている。
そんなことを考えながら辿り着いたオークストンの町は、しかしそれまでリゼルがいた町と目に見えて違う箇所は見当たらなかった。
街路樹がこの時期特有の黄色や橙に染まり、地面を埋め尽くすさまは、他の町同様とても美しかったし、リゼルが越えてきた丘の楓は、もったりした曇天を背景に紅々と燃え盛っている。しかしそれは、別の場所でも見てきた景色だ。魔女が住む町というから、ここには普段とはぜんぜん違う光景が広がっていると思っていたのに、オークストンの町はリゼルの期待を裏切って悲しいほどによくみる光景ばかりだった。
ハロウィンの子供の仮装だってそうだ。
魔女の住む町というから、どんな呪術的な装いが見れるのかと思ったら―――まるで、普通ではないか。
本当にこの町には魔女が住んでいて、魔法界への扉が開かれるのだろうか。
リゼルは何度目になるかしれない溜め息を洩らす。
と、うわの空で歩いていたからだろう。リゼルは誰かとぶつかった。
「……っと! ごめんなさい!」
角から飛び出してきたのは、癖のある橙色の髪を三角帽から垂らした少女だった。年の頃は、リゼルと同じくらい。全身鴉のように黒づくめなので吃驚したが、そういえば今日はハロウィンだったことを思い出せば、少女の格好は別に珍しくもなんともない。
「い、いえ……あたしこそごめんなさい、ぼうっとしてて」
慌てて頭を下げるリゼルを覗き込み、少女は、ふむ、と頤に手をあてた。
「この町では見かけない顔ね、旅の方?」
少女はやけに馴れ馴れしかった。人の領域にずかずかと踏み込んでくる人間は苦手だ。だから、母を亡くしてからのリゼルは人とあまり関わらなくてよい、下働きの仕事ばかりしてきた。
リゼルは母のように、客の注文を聞いてドレスを仕立てるようなお針子の仕事はできそうにない。裁縫の腕は確かに母親譲りだったけれど、母の底抜けに明るい性格はどうやら受け継がなかったようだ。
いや、幼い頃はそれなりに無垢だったかもしれないが……。
(でも、世間は楽しいばかりじゃないって知ってしまったから)
母親を早くに失った子供は、この世には絶望がそこかしこに満ちていることを他の子供より早く知ってしまう。
それに、母のようにお人好しでは子供のリゼルでは世間の荒波を生き抜くことなど到底不可能だっただろう。リゼルの他人を拒絶する性格は、彼女自身が世の中を生きていくための術でもあるのだ。
三角帽の少女はなおもリゼルにたたみ掛ける。
「ねえ、あなた、旅の方? 名前は?」
「リゼル」
あんまり関わると鬱陶しそうなので、リゼルは適当に答える。適当に会話を切り上げて、この場を立ち去ろう。
この町は、オークストンは魔女の住む町といっても他の町と変わらない。ということは、この三角帽を被って仮装した少女だって、絶望を知らない、ハロウィンのお菓子を貰える側の子供なのだ。
そんな子に、あたしの苦労がわかってたまるものか。
それでも、無理やり会話を切り上げるほどの勇気は実際のリゼルには無いのだけど。心のなかではいくら勇んでも、現実にはびくびくしている女の子。それが、リゼルだった。
少女は口のなかで小さく、リゼル、と呟くと、にっこり笑う。
「わたしはアリアっていうの」
「そう」
「ねえリゼル。これから時間ある? これも何かの縁だから、もしよかったらわたしたちの家に招待したいのだけど」
「わたし“たち”……?」
訝しげに顔をあげるリゼルに、アリアと名乗った少女は、あ、と口許に手をあてた。
「そっか、旅の人だったら知らないよね。この町では結構有名なんだけど、わたし、実は双子なの」
「双子?」
珍しいと思った。双子は普通、忌み嫌われるものとして生まれた直後に竈に入れて殺されるものなのに。
リゼルも裕福な商家に住み込みで仕えていた頃、一度そこの奥方が産み落とした双子を竈に入れるための装束を作らされたことがある。
「珍しい?」
訊ねられて、リゼルは頬を赤らめた。考えていることが、ばれてしまっていただろうか。
「ご、ごめんなさい」
身を竦めるリゼルに対し、アリアと名乗った少女はからからと笑い声を立てた。
「謝ることないよ。双子が珍しいのは知ってるから。でもね、母さまはわたしたちを殺そうとはしなかったの。その代わり育てようともしなかったけどね」
育てようとはしなかった……?
その言葉に興味を惹かれ、ついリゼルは自分から訊ねてしまう。
「どういうこと?」
しかし、少女はくすりと口の端を吊り上げると、三角帽のつばを引いて目許に陰を作る。
「……ま、ここで話すのもなんだからさ。おいでよ、わたしたちの家。家っていうか、正確には店だけど。でも客も滅多に来ないし、まあ存分にくつろげることだけは保証するよ。それに、マリアにも紹介したいしね、リゼルのこと」
「マリア……って、双子の片割れの?」
早速歩き始めたアリアの後を、リゼルは急いで追いかける。なんだかすっかりアリアのペースに巻き込まれている気がする。けれど、不思議と不快には思わなかった。
彼女には、人を心地よくさせる何かがあった。
歩きながらアリアは喋る。アリアの歩く速度は思いのほか速く、リゼルは少し頑張らないとあっという間に置いていかれそうだ。
歩く速度を速めると、息が切れ、体中に血潮が巡るようで指の先まで温かくなる。
「うん。あっちが姉で、わたしが妹。マリア、きっと喜ぶと思うよ」
「でもあたし、手持ちは無いの」
だから、せっかく喜んでもらっても、何も買うことはできない。
するとアリアはけらけらと笑った。そうすると三角帽から垂れる癖のある橙の髪が背中で揺れて、まるで曇天に光が散ったように美しい。
「あはは、そういう意味じゃないって。ただ単に、お友達ができて嬉しいってこと」
「え? なに? 今なんて?」
「だからさ、」
そこで前を進んでいたアリアはくるりと振り返ると、にぃっと口端を吊り上げる。
「トモダチ。だって、あなたわたしたちと同類でしょ?」
「同類?」
どういうことだろうか。
作品名:ハロウィンの夜の魔法 作家名:夜凪