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ハロウィンの夜の魔法

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ハロウィンの夜の魔法



 オークストンの町並みは、日に日に秋の装いを深めていた。
 街路の銀杏が黄色く染まり、落ちた葉はまるで絨毯のように路を黄に埋め尽くす。
 今年も、ハロウィンの時期がやってきたのだ。
 リゼルは灰色の雲が重く立ち込める空を見上げた。見つめ続けていると、真っ白な空間に吸い込まれそうだ。
 ハロウィンの夜、子供たちは一夜だけ魔法使いになれる。
 トリック・オア・トリートの呪文は、普段は閉ざされた魔法界への扉を開くまじないなのだ。
 十六の誕生日とともに消えてしまう魔法の力は、子供だけの特権だった。
 リゼルは今年、十六になる。
 今年のハロウィンの夜は、最後のチャンスだった。
 ―――あの扉の先に、きっと母さまがいる。
 暮れゆく町並みを眺めながら、リゼルは口のなかで唱える。あの扉の先に、母さまが。母さまが、母さまが、いる。
 リゼルは貧しいお針子の母と二人暮らし、これまで生きてきた。その日のパンさえ買えない日も散々過ごしてきた。そんなときは、ちびた蝋燭の灯りに手を翳して暖を取りながら、リゼルは決まって母親の織り成す物語に耳を澄ましたものだ。
 母の語る物語は、それはそれは夢と希望に溢れていた。あるときは砂漠の国の美しい姫君の物語、あるときはシルクハットの怪盗の物語、またあるときはふさふさの尻尾が自慢な子猫の冒険の物語―――……。
 母のかさかさの口から紡ぎだされる物語は、どれも言葉となり溢れた瞬間瑞々しく花開き、リゼルの眼前でまるで現実に起こったことように鮮やかな絵巻の極彩色を映し出したものだ。
 それは、母だけが使える不思議な魔法だった。
 母さんの物語は、世界一素敵な魔法ね。
 そう言って笑うと、母は微笑みをひとつ落とし、優しく頭を撫でてくれた。
 あるとき、母はリゼルにひとつの話を聞かせてくれた。
 ―――ハロウィンの夜にはね、子供たちは魔法使いになれるの。
 魔法使いの物語は、母の幾多の物語のなかでもとりわけリゼルの大好きな話だった。幼かったリゼルは、目を爛々と輝かせて母親の話に引き込まれる。
 蝋燭はすっかり小さくなり、先刻最後の炎が消えてしまった。マッチはしけて使い物にならないから、今夜はこのままなんとか凌ぐしかない。母親は温もりを分けるように膝の上のリゼルを抱き締めながら、物語を紡ぐ。
 ―――でもそれは、魔法を信じる子供だけ。魔法を信じる子供だけに、魔法使いは魔法界と人間界の扉を繋ぐ鍵を、授けてくれるのよ。
 ―――じゃあ、あたしは大丈夫だわ。だって、あたしは母さんがとびきりの魔法使いだって知ってるもの。魔法は、本当にあるのよ。
 リゼルの言葉に、母親は一瞬泣きそうな顔になった。けれどすぐに微笑を浮かべると、きゅっとリゼルを抱え込む。
 ―――そうね。だからリゼル、困ったときはハロウィンの夜にこう唱えなさい。きっと、魔法使いが魔法界につれていって、願い事を叶えてくれるから。
 すっかり痩せこけた母の腕に抱かれながら、耳許で囁かれたその言葉。
 その呪文は確か………。
「トリック・オア・トリート!」
 そのとき、オークストンの子供たちが元気にはしゃぎながらリゼルの横を駆け抜けていった。子供たちは風を纏いながら、魔女や精霊の仮装をして、夜に沈みつつある町を走ってゆく。
 そうそう、その呪文は確か、トリック・オア・トリート。
 お菓子くれなきゃ、いたずらするよ。
 家の軒先にやってきた子供たちがその言葉を唱えると、大人たちは家の中からお菓子を山ほど抱えて子供たちに渡す、ハロウィンの風習。
 母の物語では、魔法を信じる子供のお菓子には、町の魔女がこっそり鍵を忍ばせておくのだという。その鍵を枕元にしのばせて眠りにつけば、ハロウィンの夜、夢が魔法界の扉に繋がれるのだ。扉の先では、どんな願い事も叶うらしい。
 けれどリゼルは今まで魔法界に行ったことなどなかった。十歳のときに母親が死に、それから各地を転々としてきたが、魔女の住む町はなかなか見つからなかったのだ。だから、母が口にしていた鍵ももちろん目にしたことがない。
 そもそも、母を失ってからというもの、庇護を失ったリゼルは孤児(みなしご)で、ハロウィンの夜に家々を訪ねても門前払いされるのがオチだった。だから、トリック・オア・トリートの呪文なんて、唱えたことさえ無かったのだ。
 そんなことよりも、日々をどうやって生きるかのほうが孤児となったリゼルには大切だった。
 ともすると擦り切れそうになる心を繋ぎとめたのが、母から譲り受けた裁縫の才能だった。
 貧しくて稼いだ微々たる給料はすべて食べ物に回さなければ明日を生きることも難しい状態だったリゼルは、時折仕立て屋のごみ捨て場から端切れを拾ってきては、それらを繋ぎ合わせて衣服を作っていた。糸を買う金さえ勿体ないから、端切れをほどいて作った糸を、母の形見の銀の針に通して布と布を縫い合わせていった。銀の針は売ればそれなりの値になるだろうことがわかるほどちっとも錆びない上等な品だったが、これだけはどうしても手放すわけにはいかなかった。
 裁縫の腕は一品だったけれどお人好しな母は、給料を契約よりも安く払われることなどしばしばだった。それでも明るく笑っていた母は心底お人好しだと思うが、そんな母だからこそ、女手ひとりでリゼルを育てることができたのだろう。
 リゼルは母の形見の銀の針を手に持ち、端切れを組み合わせている時間だけは、まるで母の腕(かいな)に抱かれているようなぬくもりを感じることができたのだった。
 けれど、年端も行かぬ孤児の少女に、社会は厳しい。
 ハロウィンの夜の魔法のことは、日々に忙殺され、しばらくリゼルの頭から抜け落ちていた。
 それを今年になって思い出したのは、母の命日に見た夢が原因だろう。
 夢のなかで、リゼルは不思議な声を聞いた。
『願い事が、あるのだろう』
 願い事。そんなもの、無いわ。あたしは日々を生きるので忙しいのよ。願い事なんて、言うだけ無駄。
 心のなかでそう答えるリゼルを、声の主は笑ったようだった。
『願い事を叶える方法を、きみは既に知っているはずだ』
 そんな方法、あったらとっくに試してるわ。
『いや、忘れてるだけだ。けれど、記憶は失われることなく常にきみのなかにある……』
 そして、起きて、思い出したのだ。
 母が昔、語って聞かせてくれたハロウィンの夜に起こる魔法の話を。
 それからリゼルは愕然とした。彼女はそのとき、既に十五の誕生日を終えていたのだ。
 もう後が無い。
 にわかに焦っていたリゼルをこの町に導いたのは、カラフルな鳥の羽根のマントを羽織った不思議な女性だった。
「東に見える丘を越えて、谷を下り、運河にそって三日歩いた先にオークストンという町がある。あたしの聞いた話じゃ、そこの町には魔女がいるって噂だよ」
 そこでリゼルは、言われたとおり東の丘を越え、谷を下り、運河にそって三日間歩き続けた。
作品名:ハロウィンの夜の魔法 作家名:夜凪