生誕ラプンツェル
かくして、王妃は魔女との取引に成功し、聖水を王家直轄で売買する権利を手に入れた。
王妃が聖水を得るかわりに何を魔女と取引したのか、知る者はいない。訊ねても王妃は大したことはございませんと微笑むばかりで、具体的なことは何ひとつ言わなかったのだ。
ただ、城へ帰ってきた王妃のあの豊かな金髪が肩のところで切りそろえられていたことから、人々は「王妃様は御自分の髪を国のために手放す決意をなされたのだ」と噂するようになり、そしていつしかそれが真のことであるかのように伝わっていった。そのことは、結果として王妃の国に対する深い慈悲を強調する結果となったのだった。
さて、真意のほどは。
王妃の去った塔の上には、近場の村から連れてきたという娘が閉じ込められていた。昨日まで両親の温かい愛情に包まれて、決して贅沢ではないけれど慎ましやかながら日々を暮らしていた娘である。娘はまた、村一番の美少女とも言われていた。
娘は昨夜、とびきり美しい女性に誘拐されたのである。甘いお菓子をあげるからいらっしゃい、と、村では見かけない綺麗な服に身を包んだ女性からカナリアのさえずるような声音で言われ、気づけばふらふらと森の奥地まで着いていってしまっていた。そうして、気づいたときには塔の上にいたのである。
女性は娘に自らの髪で編んだロープを渡した。ちょうど部屋の窓から垂らせば、地面につくくらいの長さの金のロープだった。
「寂しくなったら歌を唄って、これを垂らすのです」
とろんと意識を朦朧とさせる少女に、女性は歌うように言い聞かせる。
「さすれば、あなたを慰めてくれる人たちがこのロープを上ってきてくれるでしょう」
大丈夫。何も心配することはありません。あなたは一生、苦労を感じることはないのですよ。
そう言って、優しく、そして恐ろしく冷たい手が少女の頭を撫でる。やがて少女は眠りについた。
「―――大魔女さま。これでよいかしら」
「ふん。充分さ。聖水は持っておゆき」
「ありがとう。感謝します」
髪の短くなったラプンツェルは、目も合わせずそう言うと窓辺へ歩み寄る。
寂しくなった彼女の背中に、魔女は告げる。
「この娘が死んだらまた新たな娘をわたしは手に入れるよ。ずっとだ。これは永遠に続く儀式。ラプンツェルを国母にした国は、永遠にこの連鎖から逃れられないだろう」
くつくつと愉しげに嗤う魔女の言葉は、魔力を帯びてたちまちこの国中を縛りつける呪いとなる。
ラプンツェルがそれを防ぐことはなかった。
「構わないわ。誰が犠牲になろうと」
「おや、慈悲深い王妃様が案外冷たいもんだね」
「わたくしだって自分が大切だもの。それに、ちっぽけな小娘の命とこの国全体を天秤にかけたら、どちらが大切かはあなたにだってわかるはずです」
「そういうもんかね」
「ええ。わたくしがそういう人間だというのは、大魔女さまだってご存知のはずよ」
だって、ラプンツェルの生みの母親は自らの命大切さに娘を手放したのだ。
その血を受け継ぐラプンツェルもまた、血の連鎖からは逃れられない。そして彼女を王妃にいただき、血を繋いでゆくこの国は永遠にラプンツェルの呪いからは逃れられないのだ。
聖水という魔女の持ち物に手を出してしまったこの国は、もはやラプンツェルと呼ばれる娘たちをこの塔に閉じ込め続けることでのみ、国家の安寧を築いてゆける。
「さようなら、大魔女さま」
新しいラプンツェルをよろしく。
聖水の売買は、国庫が安定した頃ゆるやかに中止の道を辿っていった。
そうして残されたのは、森の奥の村に課せられたラプンツェルの慣習。
今宵も哀しい歌声を響かせるラプンツェルは、男たちにその身を捧げることでひそやかにこの国を護り続ける。