生誕ラプンツェル
王国レヒストテレスはいまや斜陽の危機に直面していた。
度重なる戦。不意をついたように国を襲う飢饉。農民たちの反乱。ままならない税収。
すべてが悪い方向へと収斂し、国王をはじめ城の大臣たちはもうどうすればよいのかわからなかった。まさに八方塞とはこのことだ。
そんな折のことであった。いつものように重苦しい御前会議のさなか、唐突に王妃が言った。
「聖水を売りましょう」
美しい王妃の言葉に、廷臣たちは顔をあげる。
これまでも何かと困ったとき、この王妃はさり気なく助言をして何度も国の窮地を助けてきた。それは王妃の中に蓄積された魔女の知識のおかげなのだが、それを知る者はこの中にはいない。
今度もまた助言を授けた王妃に、廷臣たちは心が少し軽くなったように思えた。しかし、軽くなっただけで、今回ばかりは王妃の提案にはいささか不安が残る。
というのも。
「王妃様。聖水とは……いったい、いかようなものなのです?」
大臣の疑問はもっともなものだった。野菜や穀物と違い、聖水とは曖昧すぎる。そんなものが果たして、国の傾いた財政を立て直せるほどの力を持っているのか。大臣はそう言いたいのだろう。
しかしそんな問いかけはあらかじめ予想していたように王妃は澱みなく答える。
「わたくしと陛下が出会った森に湧き出る清水のことですわ。この森は少々不思議な森でして……わたくしがうっかり迷い込んでしまったように、陛下もまた迷い込まれてしまったのです。そのときに我らを導いた清水。それこそが聖水ですわ」
「となると、王妃様はご自分の恋の思い出をお売りになるということですか?」
尋ねたのは、日ごろ何かと王妃に反目している臣下だ。彼は、自分の娘が王太子の婚約者に選ばれなかったことを根に持ち、それ以来何かと王妃に嫌味を言ってくるのだ。
王妃は、そうではありません、とぴしゃりとその言葉を遮る。若い頃は美しいだけだった王妃には、いまや泰然とした余裕さえ生まれていた。
「あなたはわたくしの話を聞いていなかったのですか? その森には不思議な力が宿っているとたった今申し上げたでしょう」
指摘を受けて彼は日ごろから赤味を帯びたその顔を、羞恥からいっそう赤くした。王妃は彼に向けていた顔を見渡すようにして、会議室全体を眺めやる。
「同じようにその聖水にも神秘の力が宿っております。現に、陛下の両の目はその聖水によって光を取り戻しましたわ」
そうですわよね?、と尋ねられ、王は首肯する。
臣下たちからざわめきが漏れ始めた。
そんな喧騒を切るように、王妃は言葉を続ける。
「魔術は珍しいものですが、この城がそれに護られているように、この世には存在しえるものです。聖水にもやはり、いにしえより伝わる善の魔力が含まれているのでしょう。傷を癒す効力を持ったこの聖水は、きっと人々の間で重宝されますわ。―――ただし、」
とはいえ、やはりそんな効力を持った聖水があんまりにも世の中に出回りすぎるのもよくない。
あくまで人間は自らが生まれたときより神に授かりし自然治癒能力に頼るべきだ。それゆえ聖水は、できるだけ流通を押さえ、その分高値で取引するのが望ましい。
その意見に対する反論は出ることはなく、そうしてレヒストテレスの今後の方針はそのように決められたのだった。
その夜、旅支度をしていた王妃の元を王は訪ねた。
「本当に、あなたひとりで行かれるのか」
王の気遣わしげな表情に、王妃は柔和な笑みを返す。
「大丈夫ですわ、陛下。それにわたくしが行かずに誰が行くというのです」
帽子のなかに豊かな金髪を隠す。太陽と月の光を一身に浴びたような王妃の髪は眩しすぎて、衆目のあいだだと目立ちすぎてしまうのだ。
マントを羽織り、エメラルドのブローチでとめればあとは森へ向かうだけだ。
人払いを済ませ、王妃は改めて王と二人、向き合う。
「しかし何もあなた自身で行かれることはなかったのに」
なおも心配そうな王の様子も無理なかった。王妃ラプンツェルは、国のために自らがかつて閉じ込められていたあの塔へ、魔女に会うべく向かうのだ。あの恐ろしい魔女のところへ、自らの国政への不手際のために再び愛しい伴侶を向かわせなければならないかと思うと、王の心痛はひとしおだった。
そんな王を勇気付けるように王妃はやはり微笑む。
「陛下は本当に心配性であらせられますね。けれど大丈夫。わたくしは、必ず陛下の元へ戻ってきますわ。お約束いたしましょう」
「勝算はあるのか」
「ええ。わたくしは誰よりもあの魔女を存じております。それに」
窓の外の夜陰を見つめ、ラプンツェルは眦をきつく眇める。
「―――いずれ、決着をつけねばならぬと思っていたところなのです」
度重なる戦。不意をついたように国を襲う飢饉。農民たちの反乱。ままならない税収。
すべてが悪い方向へと収斂し、国王をはじめ城の大臣たちはもうどうすればよいのかわからなかった。まさに八方塞とはこのことだ。
そんな折のことであった。いつものように重苦しい御前会議のさなか、唐突に王妃が言った。
「聖水を売りましょう」
美しい王妃の言葉に、廷臣たちは顔をあげる。
これまでも何かと困ったとき、この王妃はさり気なく助言をして何度も国の窮地を助けてきた。それは王妃の中に蓄積された魔女の知識のおかげなのだが、それを知る者はこの中にはいない。
今度もまた助言を授けた王妃に、廷臣たちは心が少し軽くなったように思えた。しかし、軽くなっただけで、今回ばかりは王妃の提案にはいささか不安が残る。
というのも。
「王妃様。聖水とは……いったい、いかようなものなのです?」
大臣の疑問はもっともなものだった。野菜や穀物と違い、聖水とは曖昧すぎる。そんなものが果たして、国の傾いた財政を立て直せるほどの力を持っているのか。大臣はそう言いたいのだろう。
しかしそんな問いかけはあらかじめ予想していたように王妃は澱みなく答える。
「わたくしと陛下が出会った森に湧き出る清水のことですわ。この森は少々不思議な森でして……わたくしがうっかり迷い込んでしまったように、陛下もまた迷い込まれてしまったのです。そのときに我らを導いた清水。それこそが聖水ですわ」
「となると、王妃様はご自分の恋の思い出をお売りになるということですか?」
尋ねたのは、日ごろ何かと王妃に反目している臣下だ。彼は、自分の娘が王太子の婚約者に選ばれなかったことを根に持ち、それ以来何かと王妃に嫌味を言ってくるのだ。
王妃は、そうではありません、とぴしゃりとその言葉を遮る。若い頃は美しいだけだった王妃には、いまや泰然とした余裕さえ生まれていた。
「あなたはわたくしの話を聞いていなかったのですか? その森には不思議な力が宿っているとたった今申し上げたでしょう」
指摘を受けて彼は日ごろから赤味を帯びたその顔を、羞恥からいっそう赤くした。王妃は彼に向けていた顔を見渡すようにして、会議室全体を眺めやる。
「同じようにその聖水にも神秘の力が宿っております。現に、陛下の両の目はその聖水によって光を取り戻しましたわ」
そうですわよね?、と尋ねられ、王は首肯する。
臣下たちからざわめきが漏れ始めた。
そんな喧騒を切るように、王妃は言葉を続ける。
「魔術は珍しいものですが、この城がそれに護られているように、この世には存在しえるものです。聖水にもやはり、いにしえより伝わる善の魔力が含まれているのでしょう。傷を癒す効力を持ったこの聖水は、きっと人々の間で重宝されますわ。―――ただし、」
とはいえ、やはりそんな効力を持った聖水があんまりにも世の中に出回りすぎるのもよくない。
あくまで人間は自らが生まれたときより神に授かりし自然治癒能力に頼るべきだ。それゆえ聖水は、できるだけ流通を押さえ、その分高値で取引するのが望ましい。
その意見に対する反論は出ることはなく、そうしてレヒストテレスの今後の方針はそのように決められたのだった。
その夜、旅支度をしていた王妃の元を王は訪ねた。
「本当に、あなたひとりで行かれるのか」
王の気遣わしげな表情に、王妃は柔和な笑みを返す。
「大丈夫ですわ、陛下。それにわたくしが行かずに誰が行くというのです」
帽子のなかに豊かな金髪を隠す。太陽と月の光を一身に浴びたような王妃の髪は眩しすぎて、衆目のあいだだと目立ちすぎてしまうのだ。
マントを羽織り、エメラルドのブローチでとめればあとは森へ向かうだけだ。
人払いを済ませ、王妃は改めて王と二人、向き合う。
「しかし何もあなた自身で行かれることはなかったのに」
なおも心配そうな王の様子も無理なかった。王妃ラプンツェルは、国のために自らがかつて閉じ込められていたあの塔へ、魔女に会うべく向かうのだ。あの恐ろしい魔女のところへ、自らの国政への不手際のために再び愛しい伴侶を向かわせなければならないかと思うと、王の心痛はひとしおだった。
そんな王を勇気付けるように王妃はやはり微笑む。
「陛下は本当に心配性であらせられますね。けれど大丈夫。わたくしは、必ず陛下の元へ戻ってきますわ。お約束いたしましょう」
「勝算はあるのか」
「ええ。わたくしは誰よりもあの魔女を存じております。それに」
窓の外の夜陰を見つめ、ラプンツェルは眦をきつく眇める。
「―――いずれ、決着をつけねばならぬと思っていたところなのです」