幻惑ラプンツェル
ノリスは西へ向かって歩いている。
旅の途中の町で出会った男の話を確かめるためだ。
「ラプンツェルの伝説って知ってるか?」
酒も進んだ頃、その男はそう口にした。
「あの、駄目な母親の代わりに娘を魔女に奉げたって話か」
「そうだ。だが、そうじゃない」
奇妙な言い方に、ノリスは興味をそそられた。
「どういうことだ?」
「実はな……」
そこで教えられた、男の村に伝わるという儀式の話。
魔女に奉げられるラプンツェル。
もはや男たちを受け止めるためだけに存在する、美しい女の話。
「ラプンツェルはな、年を取らないんだ」
三百年、そのままの姿で生き続けるのだという。
ありえない。
一蹴するノリスに男は一瞥をくれる。
――ありえないと思うか?
その眸があんまりにも真実味を帯びていたから、ノリスの背を冷や汗が伝う。
「だって……ありえないだろ。この文明の発達した社会に、そんな魔女とか、不老不死とか」
「不老不死ってわけじゃないさ」
「三百年なんて通常じゃ考えられない。それこそ、人類の英知を凝縮したって……」
男は言った。
信じる信じないは自由さ、と。
夜の闇を纏った汽笛が、おぼろげに響く。
「……なぜ、そんな話を俺に?」
男はグラスの中のワインを一気に飲み干し、なんでだろうな、と自嘲気味に笑った。
「村の大切なしきたりなんだろう。その、それが真実だとしたらの話だが」
村全体で女性一人を虐げているようなものだ。この国の現行法では、もちろん重罪に値する。いくら昔からのしきたりだとはいえ、許されるものではないだろう。
給仕に新しいワインを持ってこさせ、杯を重ねる。
やがて、その奇妙な村からやってきたという男はぽつりと口にした。
なぜか、話したくなったんだ、と。
その後、その男とは町の出口で別れた。
男は東へ。
ノリスは西へ。
ざくざくと舗装の甘い道を歩きながらノリスは思う。
あの男は、きっと故郷の村を変えたかったのだろう。
深い森の異常な村。そんなところでは異常はもはや異常ではなく、通常となる。
男は村を出て、おそらくそのことを知った。
走る汽車を知った。
電話の存在を知った。
そして、この国を統べる国王の厳格さを知ったに違いない。
全てはノリスの憶測だ。でも、それで構わない。
男は言っていた。信じる信じないは自由だ、と。
ならば信じようとノリスは思う。
たかが旅の行きずりの相手には違いない。一晩酒を飲み交わしただけの間柄だ。
けれど、旅をする者として彼の話に惹かれてしまったのだ。
塔の上に閉じ込められた、世間を知らないラプンツェルに。
自分が行ったところで、結局何も変わらないかもしれない。
もしかしたら、ラプンツェルに期待を抱かせてしまうだけかもしれない。
そもそもラプンツェルは、あの塔で暮らすことに慣れてしまい、外へ出ることを怖がるかもしれない。
でも、それならそれでいいと思った。
ただ、彼女に会ってみたい。ノリスはその思いに駆られ、西へ急いだ。
辿りついた森は薄暗く、まさに魔法やら不老不死やらといった怪しげなものが蔓延っていそうな様相であった。
森の奥の、更に奥。要塞がごとき村に護られるようにそびえ立つ高い石の塔。
動物の気配がする。
この森は、生きている。
都会に生きすぎたノリスにとって、その感覚は不穏だった。
塔の裏手、尾根伝いに歩いた先に、湧き水がある。
それが、ラプンツェルを三百年生きさせる聖水なのだという。
「なぜ、三百年なんだ?」
あの晩、訊ねたノリスに男は諦観した風に微笑んだ。
「腐るんだ」
淡々と男は告げた。
「三百年たったら、美しいラプンツェルはいきなり腐り始める」
衝撃的なことを口にしているはずなのに、男は天気のことでも話すように言った。
「そ、それで?」
ごくり、と唾を飲んだノリスに、男はやはり淡々と告げた。
「それだけさ。腐って、崩れて、灰になる」
おしまい。
それが真実だとするなら――塔の裏手の湧き水に辿りつき、ノリスは嗤う。
「これは、聖水ではなく毒薬だ」
折りしも、この国レヒストテレスは隣国アルデハイドと衝突間際のことであった。
旅の途中の町で出会った男の話を確かめるためだ。
「ラプンツェルの伝説って知ってるか?」
酒も進んだ頃、その男はそう口にした。
「あの、駄目な母親の代わりに娘を魔女に奉げたって話か」
「そうだ。だが、そうじゃない」
奇妙な言い方に、ノリスは興味をそそられた。
「どういうことだ?」
「実はな……」
そこで教えられた、男の村に伝わるという儀式の話。
魔女に奉げられるラプンツェル。
もはや男たちを受け止めるためだけに存在する、美しい女の話。
「ラプンツェルはな、年を取らないんだ」
三百年、そのままの姿で生き続けるのだという。
ありえない。
一蹴するノリスに男は一瞥をくれる。
――ありえないと思うか?
その眸があんまりにも真実味を帯びていたから、ノリスの背を冷や汗が伝う。
「だって……ありえないだろ。この文明の発達した社会に、そんな魔女とか、不老不死とか」
「不老不死ってわけじゃないさ」
「三百年なんて通常じゃ考えられない。それこそ、人類の英知を凝縮したって……」
男は言った。
信じる信じないは自由さ、と。
夜の闇を纏った汽笛が、おぼろげに響く。
「……なぜ、そんな話を俺に?」
男はグラスの中のワインを一気に飲み干し、なんでだろうな、と自嘲気味に笑った。
「村の大切なしきたりなんだろう。その、それが真実だとしたらの話だが」
村全体で女性一人を虐げているようなものだ。この国の現行法では、もちろん重罪に値する。いくら昔からのしきたりだとはいえ、許されるものではないだろう。
給仕に新しいワインを持ってこさせ、杯を重ねる。
やがて、その奇妙な村からやってきたという男はぽつりと口にした。
なぜか、話したくなったんだ、と。
その後、その男とは町の出口で別れた。
男は東へ。
ノリスは西へ。
ざくざくと舗装の甘い道を歩きながらノリスは思う。
あの男は、きっと故郷の村を変えたかったのだろう。
深い森の異常な村。そんなところでは異常はもはや異常ではなく、通常となる。
男は村を出て、おそらくそのことを知った。
走る汽車を知った。
電話の存在を知った。
そして、この国を統べる国王の厳格さを知ったに違いない。
全てはノリスの憶測だ。でも、それで構わない。
男は言っていた。信じる信じないは自由だ、と。
ならば信じようとノリスは思う。
たかが旅の行きずりの相手には違いない。一晩酒を飲み交わしただけの間柄だ。
けれど、旅をする者として彼の話に惹かれてしまったのだ。
塔の上に閉じ込められた、世間を知らないラプンツェルに。
自分が行ったところで、結局何も変わらないかもしれない。
もしかしたら、ラプンツェルに期待を抱かせてしまうだけかもしれない。
そもそもラプンツェルは、あの塔で暮らすことに慣れてしまい、外へ出ることを怖がるかもしれない。
でも、それならそれでいいと思った。
ただ、彼女に会ってみたい。ノリスはその思いに駆られ、西へ急いだ。
辿りついた森は薄暗く、まさに魔法やら不老不死やらといった怪しげなものが蔓延っていそうな様相であった。
森の奥の、更に奥。要塞がごとき村に護られるようにそびえ立つ高い石の塔。
動物の気配がする。
この森は、生きている。
都会に生きすぎたノリスにとって、その感覚は不穏だった。
塔の裏手、尾根伝いに歩いた先に、湧き水がある。
それが、ラプンツェルを三百年生きさせる聖水なのだという。
「なぜ、三百年なんだ?」
あの晩、訊ねたノリスに男は諦観した風に微笑んだ。
「腐るんだ」
淡々と男は告げた。
「三百年たったら、美しいラプンツェルはいきなり腐り始める」
衝撃的なことを口にしているはずなのに、男は天気のことでも話すように言った。
「そ、それで?」
ごくり、と唾を飲んだノリスに、男はやはり淡々と告げた。
「それだけさ。腐って、崩れて、灰になる」
おしまい。
それが真実だとするなら――塔の裏手の湧き水に辿りつき、ノリスは嗤う。
「これは、聖水ではなく毒薬だ」
折りしも、この国レヒストテレスは隣国アルデハイドと衝突間際のことであった。