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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
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天上万華鏡 ~地獄編~

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 何故道からはみ出ずにまっすく歩かない罪人が多いのか疑問に思いながらも、春江は、天使からの鞭に倒れ動けなくなった罪人の元に駆け寄っては励まし続けた。しかし皆春江の励ましを拒否した。地獄へ来るほどの荒んだ霊達である。春江の慈悲は通じないのかもしれない。
 そんなことをしているうちに、ようやくコロポックルの水までたどり着いた。
 これまでの単なる一本道とは違い、大きく窪んだ穴に透明な水が満たされていた。その中を罪人達が進んでいく。胸ほどまである水は、一点の濁りもなく、澄み渡っていた。地獄の荒んだ光景とは似つかわしくない美しさがあった。
 春江は、この水にどんな仕掛けがあるのか、浸かることによってどんな変化があるのか不安に思ったが、立ち止まることができないため、仕方なく片足を突っ込んだ。すると、次第に体が透けてきた。春江は自分の手を観ながら透明になっていく様子を驚きの眼で見つめた。
 しかし完全に透明になるわけではなく、体や服の輪郭ははっきりと残っていた。つまり、体は透けるが、誰がどこにいるかということについては容易に分かるという恰好だった。
 春江は、自分の体の変化に驚きつつも、他の罪人も同じ変化が起きているのか木になり、周りを見渡した。他の罪人も同じように、次第に体が透けていった。中には、自分の体が透けていくことに恐れおののき、人とは言えぬような雄叫びをあげながら、その場に倒れ込む者もいた。当然、そういう者の前に天使が現れ、責め苦を与え続けていた。
 体が透明になった春江は、自分の体に模様のような黒い線が浮き出てくるのに気付いた。その模様は次第に文字になり、読めるようになってきた。
 他の罪人の体には「肉欲」「殺人」「詐欺」「強姦」「欺瞞」などその罪人の犯した罪や生前の様子を指し示す言葉が次々と現れた。
 罪人達の精神が具体的な言葉で表れることによって、よりその罪深さが際立つことになる。コロボックルの水の果たす役割はまさにそこにあった。
 これらの言葉は、刺青のように体の表面に張り付いている訳ではなく、体の中を泳いでいるかのように、ぷかぷかと漂っていた。
 これらの言葉を見て、天使達は判決を下す材料にするのである。偽りなく魂の有様を映し出すコロボックルの水は天使にとって罪人を管理するのにうってつけであった。浮かぶ言葉を見て、それを機械的に記録し、公判の材料にしていく。生前の世界にある裁判のように、罪人からの供述を得なくても、真実を得ることができるのである。
 当然、罪人の体に浮き出ている言葉を観察する天使が存在した。それらの天使は、コロボックルの水のすぐ横の丘の上にある事務所の中にいた。この事務所は、コロボックルの水に面している壁は全てガラス張りで、コロボックルの水に入る罪人がはっきり見えるようになっていた。しかし逆に罪人からは、そのガラスはおろか、事務所すらも見えないような仕組みになっていた。それ故に罪人は自分たちが見られていることに全く気付かないのである。
 事務所の中は、パソコンのような機械で溢れており、天使達は、コロポックルの水を通過する罪人を見ては、その体に浮き出る文字をそのパソコンに記録した。その職務にあたる天使の一人である、四等検察事務官トロン・バッキンは、ある罪人を見て、驚きのあまり手を止めた。
「課長! 見てください! この者の体に罪状が表れません!」
 事務所の奥から、課長らしき天使がトロンの元に歩み寄った。
「よく見給え。「窃盗」「自殺」とあるではないか。速やかに記録せよ」
「しかし、同時に「慈悲」「愛情」「自己犠牲」「救済」……おかしいです! 窃盗と自殺を差し引いても明らかに天国に行くべき人物です」
「君は、この職務に就いてまだ日が浅いな。こういうこともあるのだよ。天国に行く程の徳を積んでいても、ほんの些細な気の緩みから重大な罪を犯すケースがな」
「そんな……」
「いや、厳密に言えば、本当に徳が高ければ、仮に気が緩んだとしても絶対に罪を犯さない。いずれにしても罪を犯すということは、魂のどこかが穢れていたんだよ。だから君がこの罪人の境遇を同情することではない。むしろ必然なのだよ」
「しかし……あの者がまとっている威光……あれは、魂の高まりを示すもの……穢れある罪人がまとえるものでは……」
「トロン君……疑いをもつな。我々はただ、罪人の体に浮かぶ文字をそのまま記録し、裁判官に送ればいいのだ。それ以上のことをしても全く意味がない。それより、君が記録すべき罪人は他にも沢山いる。余計なことを考えていると職務が滞るぞ」
 トロンの中で何かが弾けた。おかしい。何かがおかしい。トロンはそう思わずにはいられなかった。トロンは自らの正義を貫き通したい。そういう思いから天使になった。ところが現実はどうだろう。面倒なことが起きようとすると、それを覆い隠そうとする。事なかれ主義でとにかく穏便に事が運ぶことを最善とする。結果どうだろう。結局ばちを被るのは全て罪人である。しかし罪人達は抗うどころか天使に疑問をもつことすら許されない。
 トロンが眺めた罪人とは、当然のことながら春江のことだった。春江の存在は地獄にありながら誰が見ても異質なものだった。しかしダニーやトロンなどを除いてはそれに気付く天使は皆無だった。いや気付いたとしても気付かないふりをしているのかもしれない。
「分かりました。「慈悲」や「愛情」など高い精神性を示す言葉も記録してよろしいですよね?」
 トロンは精一杯の反抗をしようと試みた。
「いや、それは削除したまえ。いろいろややこしいことになる。裁判官達が判決を下すのに邪魔になることは一切書かないことだ。覚えておきたまえ」
「…………」
 やはり予想通りの返答だった。トロンは課長が自分の側から離れたのを確認すると、ニヤリと笑みを浮かべ、「慈悲」「愛情」「自己犠牲」など肯定的な言葉を書き連ね、送信ボタンをクリックした。
 トロンのとった行動は、公判に全く影響を及ぼさない。しかし、トロンの心に僅かなから変化を及ぼしたのは確かである。この変化が春江にどんな影響を与えるのか、それはまだ先になってみないと分からないことである。
 一方春江は、コロポックルの水を越え、再び一本道を歩いていた。疲労はないが、自分の体が透け、様々な文字が泳いでいることに動揺していた。自分の体ではないと思ってしまう程の違和感を感じていたからである。
 文字を眺めた春江だったが、真っ先に「自殺」と「窃盗」を見つけてしまった。自分がこの地獄に来た原因になった二つの罪。これらがなければ自分は多分ここにいないだろう。だからこそ、これさえなければ……と普通は思うだろう。しかし、春江は違っていた。自分の信念に従って振る舞った結果である。地獄へも自分から進んで歩み出た。
 他の罪人からすると罪状が体に浮き出ることは屈辱以外の何ものでもないものだが、春江にとってはむしろ誇るべきものだった。体の中を泳ぐ文字を見つめながら春江は気持ちを新たにした。
 暫くすると、大きな建物にたどり着いた。この建物は、石を積み上げて作られたもので、古代ギリシャの宮殿のような風格があったが、所々朽ちており、陰気な雰囲気を醸し出していた。