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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
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天上万華鏡 ~地獄編~

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第7章「獄卒長の帰還」



 マユのカードにより、バベルの塔を駆け上がり始め、その快進撃に皆が注目している頃、天国にある法務省矯正局では、にわかに動きが慌ただしくなってきた。
「帰還するのは、第五獄卒長のジャッジ・ケイ様だというのは本当か?」
「ああ、現世では何でも鬼の将官だったとか……」
「おーこわ、生まれ変わっても軍人ってどうよ?」
「それよりも、獄卒長になってまで生まれ変わるか? 普通」
「そうだよね。生まれ変わるのは、下級天使の修行の一環……エリートがわざわざ生まれ変わるとは……もし自殺でもしたら天界への帰還権剥奪。そんなリスクを負ってまでやる必要があるのかね?」
「噂によると、貯めに貯めた年次休暇を消化してまで生まれ変わったらしい。単なる道楽か、何か特命を与えられたのか……」
「どっちにしても、俺等にとっては、怖い上司がいなくなって楽できていたのに……もっと遅くに帰還すると思ったのにな……」
「軍人やっていたということは、戦死したんじゃね? それ分かっていて軍人の人間に生まれ変わったのかもしれないしな」
「いや、今、現世ではどこもかしこも戦争ばっかりだそうじゃないか。今の時代を狙って生まれ変わったら誰でも早く帰還できる仕組みかもな」
 こそこそと会話していたのは、第五獄卒長のジャッジ・ケイを迎えるために派遣された刑務官だった。矯正局の局舎の入り口には、この二人以外にも多くの刑務官がジャッジの帰還を待っていた。すると、
――――キュイーーン
 という天使が登場するときに鳴るあの音が辺りに響いた。数メートル上空に六芒星が描かれるとゆっくりと降りてきた。ジャッジの登場である。
 ジャッジはきめ細やかな黒い髪をしていて、瞳もまた黒色。純粋なアジア系の顔つきだが、大きな目をしており、どこか幼い顔つきだった。身長もまた一六〇センチほどで天使にしては低い。それが幼い雰囲気を更に際立たせた。
 獄卒長という肩書きをもちながら、それに似合わない風貌だった。
「敬礼!」
 ジャッジを出迎えた刑務官の一人が叫ぶと、皆一斉に敬礼をした。
 出迎えた刑務官達を冷たい瞳で見つめたジャッジは、何も言葉を交わすことなく、局舎の中に入っていった。
 地獄は監獄である。この監獄を所轄するのは法務省矯正局である。刑務官として職務を全うするのは地獄だが、事務機能は天国の局舎にある。この局舎は天国の栄華、そして天使の華々しい身分を象徴するかのような格調のある内装になっていた。
 大理石の床に朱の絨毯が敷き詰められている。壁は同じく大理石でできており、極限まで磨かれているため鏡のように光を反射した。そして至る所に法務省を象徴する天秤の紋章が刻印されていた。
 ジャッジは、廊下の脇で敬礼をして立ち止まっている天使達全てく無視し、突き当たりの部屋まで颯爽と歩いていった。
 部屋の手前まで来ると、ドアの前でジャッジを待っている天使が口を開いた。
「ジャッジ様、転生大変お疲れ様でした。カロル様がお待ちです」
 そう言いながら天使はドアを開け、入室を促した。ジャッジは相変わらず、何も声をかけずに部屋に入っていった。
 部屋の中には、閻魔天、カロル・ジンガが応接椅子に座っていた。
「ジャッジ君。帰還を急かして悪かったね」
「いいえ、カロル様から直々に帰還命令が下ったということは、何か特命があるということでしょ?」
「察しがいいな……まあ立ち話もなんだ。かけ給え」
 カロルは、自分の対面に位置する応接椅子に座るように促すと、ジャッジはそれに応じ、すっと腰を下ろした。
「さて、お互い多忙の身、早速本題に入ろう。こいつのことだ」
 カロルは胸元にA4型程度の大きさで、タブレッド型携帯端末のような機械を出現させた。カロルはタッチパネルで罪人目録のアプリを起動させると、お目当ての罪人を検索し始めた。
 この機械は、「エンジェルビジョン」といい、全天使に配布されている備品である。このエンジェルビジョンに公務に必要な情報が様々な場所から転送される。
 このエンジェルビジョンを見たジャッジはカロルの行動の意味が理解できたのか、自分のエンジェルビジョンを出現させ、カロルの行為を待った。その間、カロルは無表情でエンジェルビジョンを操作している。検索が終了すると、画面いっぱいにある罪人の情報が映し出された。
 ハルであった。ハルの情報は、生前の生い立ちや罪の履歴、地獄に墜ちてからの動き、刑罰の内容など詳細にわたっていた。
「ジャッジ君。データを受信し給え」
 カロルの言葉を契機に、ジャッジは自分のエンジェルビジョンを操作し始めた。データの転送が終わったのを確認したカロルは、説明を始めた。
「この女は自殺した。その上、神仙鏡を盗難した」
「それは極めて重罪。勿論相応の罰を?」
「虚無地獄……私が判決を下した」
「なるほど。別段おかしいところはないように見受けられますが……」
「ここからが問題だ。この女は、夫を救うために自殺をし、憐れな霊を救うために神仙鏡を奪った……人を救うために罪を犯したのだから後悔していないと悪びれる様子もない」
「自らの罪を正当化するための方便ではありませんか? そんな滅私の精神で行動できる人間なんているはずもありません」
「それが現に存在するから問題なんだよ。メモリーディスクを直接見た私が言うのだから間違いない。自分が地獄に墜ちてもいいから人を救おうとする。一見慈悲深い行動だ。天使もかくあるべしとイエス・キリスト様が言いそうな事例だ。しかし、それだと、人のためだったら法を犯してもよいことになる。地獄に墜ちたという犠牲がより人を救おうとした精神に華を添えるだろ? 法を犯すことが美徳になる。法の遵守者である天使がそれを見逃すわけにはいかん!」
「いいではないですか。地獄でたっぷり痛めつけて、他人のために地獄に墜ちたことを後悔させてやれば」
「ジャッジ君……面白いことを教えてやろう。今、この女はどこにいると思うかね?」
「虚無地獄でしょ? 十数年で脱出できる程、生やさしい地獄ではないですからね」
「……バベルの塔だ」
「何ですと!」
 驚きの声をあげるジャッジ。それもそのはずである。ハルが十年で通過した虚無地獄は、途方もなく長い時間苦しみ続けることが特徴であった。数百年留まることもざらにある。十年で通過するのは極めてまれであった。
「本来、人間は、自己中心的な性質を帯びるはずなのに、地獄に墜ちてまで人を救おうとした奴だ。半端な精神ではないんだよ。それに、偽りの美徳に毒され奴を協力しようとしている天使も存在している。毒は伝染するんだよ」
「そんな天使……処分すればよろしいでしょ?」
「本来地獄は罪人の矯正のために存在する。矯正の一環であると弁明されれば何も言えない。そもそもその点においては法を犯していないからな。上司の命令に従う義務を怠ったことを引き合いに出したとしても、追放するには甘い根拠だ」
 ジャッジはカロルが何を自分に求めているのか分かり、ニヤリとした。
「じゃあ私が矯正の一環で、より厳しい責め苦を……」
「その通り。そのために君を呼んだ。更に、獄卒長の裁量権の及ぶ範囲で適切に人事を行い給え」
「不穏分子を適材適所にということですね?」