天上万華鏡 ~地獄編~
「あたしはね、こう見えてもスチュアート朝、コロンビアート男爵の娘なんだよ〜」
「え? マユちゃんって貴族なの?」
衝撃的な告白をさらっと言ってしまうマユだった。ハルは、そんな豪快なマユの言葉にも衝撃を覚えた。
「うん? まあね。まあそんなことどうでもいいことなんだけど……」
「え? どうでもよくないよ!」
貴族を目の前にして萎縮してしまっているハルに対してマユはあっけらかんとしている。
「ん〜私が話したいのはその次!」
「あ……うん。分かった」
ハルはマユの気迫に圧されて黙ってしまった。
「貴族ってねぇ、肩凝るんだよね。だから、みんなストレス溜まっちゃうのよ」
「そうなんだ……貴族も大変なんだね……」
「私もストレス溜まっちゃったんだけど、妄想して発散していたんだ〜」
「妄想? どういうこと?」
ハルは、妄想してストレスを発散するという意味が分からなかった。
「だからね〜いろんなウフフなことを想像するのよ」
ハルはますます分からなくなった。
「ウフフ?」
眉間にしわを寄せながら聞き返す。
「だから〜殿方同士が裸で熱く悶える姿を想像するの」
「え〜〜〜!!!」
春江は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「し! 声が大きいよ。というか、そこまで露骨に言わせないでよ」
マユは慌ててハルの口を塞いだ。
「だって……マユちゃんが変なことを言うから……」
「だから言ったでしょ? 貴族はストレスたまるって。みんな変な趣味もっているんだよ。生首をコレクションにしている人とか、人間の血を吸うのが趣味だとか……そういうのに比べればまだましだと思うな。だって妄想するだけだから害ないじゃん」
そう言われれば、生首をコレクションにしたり、生き血をすすったりするよりかはましだと思えてきた。でもこれはマユの屁理屈である。その屁理屈をハルは生来の素直な性格で自然と受け入れた。
「うーん。そうだね」
「でしょ? それに誰にもその妄想趣味のことを言わなかったんだけど……ばれちゃったんだよね」
「え? どうして?」
いつの間にかハルはマユの話を集中して聞いていた。
「王子様の結婚式があってね、あたしも参加したんだ。その時さ、司祭様が婚姻の誓いを問う儀式があったんだけどね、その時、司祭様と王子様が秘め事をしている場面も妄想しちゃったんだよね」
ハルは赤面しながらも話の続きを聞いていた。
「…………」
「その時、かなりトリップしてたらしく、あたしのにやけた顔をみんなに見られたんだよ!」
「でもそれだけでは、ばれないんじゃ……」
ハルは真面目に考え、真面目に答えた。
「いや……それが……妄想した内容を、無意識に呟いていて……」
いよいよ、マユの話が盛り上がったところで、それを邪魔するかのように、アナウンスが響いた。
「圧縮をスタートする。激痛に耐え、解放される時を待て」
同時に、四方の壁が互いに近寄ってきた。そして天井も下がってきた。つまり、部屋そのものが次第に狭くなってきているのである。
壁が動き始めたと当時に、皆の絶叫が激しさを増した。
「ハルは痛いの我慢できるほう?」
マユは唐突に聞いた。
「痛いのは嫌だけど……でも、我慢する」
「そっか! じゃあお話の続きは、痛いの我慢した後だね。頑張ろうね!」
そう言うと、マユはハルの手をギュッと握った。ハルはびっくりしたが、マユの手の温もりに胸を熱くした。
ハルは、地獄に来てからずっと存在を否定され、冷たい目にあわされ続けた。自分を励まし、包み込んでくれるマユの存在はハルにとって唯一の救いだといえるかもしれない。
ハルは、マユの手の温もりを感じながら、その目には涙を流していた。
「え? どうして泣いているの! ねぇ!」
マユは慌ててハルを問いただすが、ハル自身もどうして涙が出たのか理解できなかった。だから、首を横に振るのみで何も言えなかった。
そうこうしているうちに、壁が更に近付いてきた。五十人程いる罪人達は、ぎゅうぎゅう詰めになり、息苦しくなってきた。
しかし、壁は更に近付いてくる。罪人同士の体で押し合い、次第に体中が痛くなった。
「ぎゃぁぁぁぁ!!」
「いてぇよぉぉぉ!」
皆、激痛のあまり、叫び声も悲痛なものになってきた。
――――ボキボキ……ボチョ……ビュチュァァァァ
圧縮は更に熾烈を極め、罪人達の骨を粉砕していった。そして、皮膚は破れ血が噴き出し、鼻や目、耳などの穴という穴から体液が流れ出した。
それでも、まだ圧縮は終わらない。罪人達の声帯が皆、砕けたため、叫び声は聞こえなくなったが、意識は明瞭にあるため、生々しい痛みとして罪人を襲い続ける。
生前であれば、物理法則により圧縮にも限度があった。しかしここは地獄、物理法則が通用しない世界である。それ故に、常識を遙かに超えた圧縮を可能にした。
圧縮し始めて三十分たった。圧縮地獄二五七号室は、サイコロ大の大きさにまで圧縮された。五十余人の罪人が、手のひらに収まる程の大きさになったのである。これが圧縮地獄の真相であった。声にならない罪人達の叫び声が籠もった呪われた空間は静寂に包まれた。
「圧縮が完了した。これより一年、圧縮を維持する。そこで再度汝等に問う。汝はこの激痛に耐えるに足る存在か。この激痛を耐えてまで存在する価値があるのか。一年かけて汝自身に問え」
無機質なアナウンスが、罪人達の胸に突き刺さる。自らの存在価値を一年かけて自問自答することになるのである。
しかし、激痛の最中にありながら、ハルはマユの温もりが、跡形もなくなっているはずの手のひらに、まだ残っていた。存在を問うなんてことは全く必要なかった。早くこの圧縮から解放されて、もっとマユと話がしたい。そんな思いでいっぱいだった。
極限にまで圧縮され、その痛みは筆舌に尽くしがたいものだった。体の全ての組織が原型を留めないほど破壊され、それが全て生々しい痛みとして自分に返ってくる。
痛みに耐える以外何もできない時間が始まった。痛み以外の全ての知覚が奪われ、孤独に追い込まれた。しかし、以前までいた虚無地獄とは違うことがあった。それは、一年後には圧縮から解放されるということである。
激痛と孤独が同時に襲ってきたとしても、それは期限付きなのである。ハルは、マユとの会話を想起しながら、どんな話を聞こうかと思いを巡らせた。未来に向けて予定を立てることが、痛みや孤独に耐えることのできる特効薬だということをハルは無意識に気付いたのである。
しかしながら、精神を崩壊させる程の激痛であることには変わらない。ハルは一年間、この痛みにひたすら耐えた。
そしてようやく、待ち望んでいた時がやってきた。
「圧縮を終了する。粉砕した汝等の体が再生するまで約三十分、激痛と共に復活せよ」
サイコロ大からようやく元の部屋の広さにまでになった。部屋の中央には、五十人余りの罪人の肉片や血が積み上がっていた。ペースト状なった罪人の体は、四方に、
――――ピチャ……ピチャ……
と音をたてながら流れていった。
暫くすると、ペースト状になっていた、罪人達の体は、次第に固体になっていった。それぞれが結合しているのである。
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ