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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
novelistID. 12248
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天上万華鏡 ~地獄編~

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「白い空
 きっとあの空は、
 あの方に続いているわ
 私の想うあの方は、
 きっと笑顔でいるはずよ
 だって毎日祈っていたから
 その気持ちはきっと届くよね

 何もないこの世界
 でもきっとどこかにつながっているはずよ
 だって私はここにいる
 私が消えない限り
 この世界は終わらない
 だから私は諦めない
 いつか私は羽ばたいて
 あの方のもとへ行ってみせる」

 少女の呟く言葉は次第に旋律を帯び、歌へと転化していった。初めは暗かった曲調も、少女の感情が乗るごとに明るくなってきた。歌詞となる言葉も歌を歌うことで少女の心が浄化されたのか、前向きなものになっていった。
 少女は生前、バイオリンを弾いていた。それによって自分を慰めるだけでなく、人に聴いてもらうことで自分の存在理由を再確認していた。
 そんな記憶は完全に消されたはずなのに、音楽と少女の関わりは切れていなかったのである。魂に奥深く刻まれていたのだろうか。またしても音楽は彼女を救おうとしていた。
 少女は、いつの間にか立ち上がって熱唱していた。十年ぶりに立ち上がった少女は、確かな足取りで前を見据え凛とした表情で歌っていた。
 歌い狂うという言葉を彷彿とさせる程に彼女の歌声は止まらなかった。即興で作った歌詞であり曲であるにもかかわらず、その歌は数百年前からあるような存在感を示していた。

「あなたは私に笑いかけた
 それだけで私は生きていける
 ずっと会えなくなったとしても
 あなたの瞳を覚えているから
 いつでもあなたはここにいるわ
 私はあなたを忘れない
 だから私は生きていける
 ありがとう
 ありがとう
 あなたがいるだけで私は幸せです」

 地獄の底辺にいながら少女は「幸せです」と言い切った。たとえそれが単なる歌であっても、その言葉はこの世界では存在しないものであった。
 少女は地獄の底辺で愛を歌った。絶え間なく続く激痛に耐えながら。そんな奇妙な現象が現れた頃、何もない白い世界に異変が起こった。
 白以外のものが現れたのである。
 少女の前の上空に光の六芒星が現れた。それが
――――キュイーン
 という音を立てながら回転し、降りていった。天使が登場する前兆である。
 少女は、天使の登場に驚き、歌うのをやめ、どんな天使が降りてくるのか見守った。降りてきた天使は、女性で、羽根が六枚あり、全身白い服に身を包んでいた。これまでの天使のような軍服ではなく、ドレスのような服である。顔は陶器のように白く、髪はウエーブがかかった桃色で肩まであった。瞳は青く人形のように透き通っていた。
 そして何より驚愕すべきことは、顔が少女と瓜二つであったことである。しかし、少女自身は自分の顔すらも記憶にないため自分と顔が似ていることに気付かなかった。
 少女は天使が何の用で来たのか気になった。
「天使様?」
 少女の語りかけに天使は何か言いたそうであったが、何も言わなかった。
「私の歌を聴いていただけますか?」
 折角だから自分の歌を聴いて欲しいと思った少女だが、天使に向かって気軽に声をかけたことに恐縮し、俯いてしまった。
 天使は言葉を発さずに必死にジェスチャーをした。
「喋ることができない………?」
 少女は恐る恐る口を開くと、それを聞いた天使は、小さく頷いた。その後、天使は何もない空間から、一瞬にしてバイオリンを出現させた。そして少女を前にしてそれを構えた。天使は、歌うようにジェスチャーで促すと少女は満面の笑みを浮かべながら大きく頷いた。
 天使はにっこり微笑むと静かに演奏を始めた。その曲にのって少女が歌う。
 天使は少女のことをまるで昔から知っているかのように、少女と息の合った演奏をした。少女は、気持ちよく歌いながらも、この天使は何者だろうかという疑問で頭をよぎった。
 しかし、そんなことよりも、気持ちよく歌っていることの方が少女にとって大切なことだった。孤独に苦しむことしかできなかったこの場で、自分のためにバイオリンを演奏してくれる。それに合わせて歌うこともできるのである。
 少女は歓喜にその身を震わせながらも、一段と気持ちを歌声に乗せていった。少女の澄んだ歌声は、彼女の精神性を表すものだった。この世界は地獄だが霊的な世界には変わらない。姿や声などその存在を指し示すもの全ては、その精神の有り様に左右される。少女の人柄や感情が如実に歌声となって表出されるのである。
 少女は、地獄のどん底で地べたを這いつくばりながらも、必死で立ち上がろうとしていた。泣け叫びながらも、前を向こうと震える足を押さえながら歩こうとしているのである。
 少女の弱々しく崩れそうになりながらも、ぎりぎりのところで踏ん張っている様が歌声となって溢れ出しているのである。
 観客は一人もいない。少女は一緒に音楽を楽しんでくれる天使のために、そしてぼろぼろになりながらも変わらずに存在する自分のために歌った。
 三時間ほど休みなく歌い続けた後、少女は天使をにっこりとしながら見つめ、歌うのをやめた。天使もそれを察してか微笑み返し、バイオリンの構えを解いた。
「天使様……ありがとうございました」
 少女は深々とお辞儀をすると、天使はそっと右手を差し出し、握手を促すジェスチャーをした。しかし、少女は天使に対して軽々しく握手なんかできないと思い、躊躇した。
 天使は、握手しようとした手で天使自身を指した。その後、少女を指した。少女はそのジェスチャーの意味を理解しようとした。
「……天使様は……私?」
 天使はニッコリするとゆっくり頷いた。そして、言葉は出ないが、口を動かし何か話そうとした。何度も同じ言葉を繰り返した。三文字の言葉を。
「な……か……ま?」
 天使は、少女と自分は一心同体であり、仲間であると言いたいのであろうか。しかし少女にとってにわかに信じがたい言葉だった。
「私なんかと……天使様が……駄目です……」
 伏し目がちに話す少女の手を天使はギュッと握った。そして再び三文字の言葉を繰り返した。それを見た少女は溢れ出す涙を止めることができなかった。
 地獄に来て自分のことを傷つけることしかできなかった。その自分を天使が肯定したのである。少女は立つことができなくなり、その場に座り込んでしまった。天使と手をつないだまま座り込んだ少女を、天使は優しく包んでいった。
 天使は、ゆっくりとつないでいた手を離すと、バイオリンを構えた。嗚咽して動けなくなっている少女を見つめながら、ゆったりとしたバラードを演奏し始めた。少女は、バイオリンの音色に導かれて天使を見上げた。少女と目が合った天使は、アイコンタクトで歌うように促した。

「私は塵
 きれいなものに紛れて汚しちゃう
 私はいつも嫌われるわ
 私はいつも消されるわ

 私は生まれちゃいけなかったの?
 私は世界の邪魔者なの?

 でも私を必要としてくれる人がいるかもしれない
 そう思っていいよね?
 生き続けてもいいよね?

 私を仲間と言ってくれる人がいる
 私の手を握ってくれる人がいる
 私はここにいていいんだよね?
 私頑張るから
 私諦めないから
 私をずっと見ていてね」