ぐらん・ぎにょーる
何に対して満を持しているのかは聞かないで欲しい。少年を花嫁姿にして誘拐をしたり、名前の一部に薔薇を使っているだけあって、どうやら彼は男色の趣味を持ったお人らしい。それにしても、彼は見物客もいないのに何故にああいう演出多寡の攫い方をしたのだろうか。ただの趣味なのかもしれない。それにしても、反対に玲達が通りかかった事で少しはシチュエーションが生きたような気がしないでもない。
「何か変なのが釣れちゃったなぁ。少し早まったかな」
玲は手に持った扇で顔を半分隠しながら溜息をつく。まさか、こんな予想外の事が起きるとは全く露ほど思っていなかったらしい。折角、怪奇な始まりであったのに、全てぶち壊すような黒薔薇男爵の登場の仕方であった。非常に残念である。
「挑戦状と同時に来る怪人って何か間違ってないか」
篁のあきれ果てた声。確かに普通は『挑戦状』の送付と同時に怪人は登場しないだろう。何かが間違っているのは言うまでもない。
「結果的に横取りになりましたので、慌ていらっしゃったのではと存じます。よろしければ、始末いたしましょうか」
巽が人のよさそうな笑みを浮かべながら言う。しかし、言っている内容は物騒である。今日は妙に血の気の多い巽であった。それにしても、黒薔薇男爵はこんなに早く行動できるとはどこかで隠れて蹂躙光景を見ていたのだろうか。それならば、その際に登場した方が良かったような気もしないでもない。それとも実は恐れをなしていたのだろうか。
「いや、今はいい。そもそも、そこの方に同意を取っているんですか?」
「当たり前だ。いやもいやも好きの内と言うように、彼と私は愛しあっているのだ」
玲の問いに黒薔薇男爵は右手の拳を振り上げこれでもかと言う位に力説した。しかしながら、その台詞は何か間違っているような気は否めない。使い方が間違っているような気がする。
「なるほど、同意の上ではないのですね」
玲は手を打つとあっさりと断定した。見事なまでの言い切り方だった。しかも、にこにこと楽しそうに笑っている。何か悪い事を考えているに違いない。そもそも少なくとも同意の上であれば、あやしげな術や薬を使ってわざわざ誘拐なぞしないのではなかろうか。そう、するわけがない。
「それじゃあ、何をされても文句は言えないですよね」
「え゛??」
玲の楽しげな言葉に黒薔薇男爵が理解不能と言いたげな顔をした。彼の予定では自分の登場によって恐れをなした彼らが柩と少年を差し出す事になっていたのである。しかし、これでは差し出すどころか、黒薔薇男爵自体が何か酷い目に会いそうである。ここはひとまず逃げて、再度準備をした上で挑戦しようと黒薔薇男爵は考えたが時すでに遅し、非常に残念な事に黒薔薇男爵は逃げる事ができなかったのである。
その後、清廉潔白探偵事務所で何が起こったのか詳細は伝わっていない。後に聞くところによると、黒薔薇男爵は何とか逃げ出したが暫く再起できなかった位に悲惨な出来事が彼を襲ったそうである。ま、命あっての物種なので、始末されなかっただけマシかもしれない。
黒薔薇男爵の筆舌に尽くしがたい情けない退場の後、玲の書斎は蓋だび落ち着きを取り戻していた。夜のお茶の用意をしていた巽がふと気がついたように言う。
「それにしても、柩の中の方はどこのどちら様だったのでしょうか」
「さぁね。確かに、どこのどなたなのだろうね」
玲はお茶を受け取りながら、そういえばと言う顔をする。どうやら少年はすっかり放置されていたらしい。
「……他人事のように言っているんじゃないわよ、この主従。彼が起きてから確認するしかないでしょうが」
主従ののんびりした会話に篁が頭を抱えたくなったのは言うまでもない。その後、少年が無事目覚めたのか、家に帰れたのかはまた別の話である。ご都合主義とは、こういう事を言うに違いない。
作品名:ぐらん・ぎにょーる 作家名:ツカノアラシ@万恒河沙