アホ毛シリーズ:勧誘
にやりと笑われた。チリ、と何かを焦がすような僅かな苛立ちが一つまた募り男を睨み付ける姿は警戒する猫のようで、近付こうとはせずにその場に立ちつくし男と微妙な距離を取ったまま睨み付けていればズボンの後ろのポケットに入れていた携帯が震えるのを感じて取り出す。厚目の黒の色をした携帯の画面に親指を当て上にスライドすると間抜けな明るい音が鳴り白のフィルムを貼った画面が明るくなったがフィルムは画面と同色なせいもあるのか画面が薄くなり文字が読み辛い。片手で画面の上の黒ぶちに手をあて光を遮ると明るすぎた画面は調節されるように文字がくっきりと浮かび上がりやがて黒猫の待ち受けが設定された画面にメール一件とポップアップが出ているのがわかり真ん中の決定のボタンを押すとメールボックスに画面は移りボタンを押し進め受信箱にまで移動すると月神とアドレスに登録された名前が書かれたメールが一件。思い切り不機嫌そうに眉を寄せそれを開いた。
送信先:月神
題名:ごっめーん、!
本文:いまおかいものちゅ!もうすぐしたら帰るから待っててー!
いつものように頭の軽い文面、なんとなく無意味にイラ、とくるそれを終話ボタンを連打する事で視界から抹消した。携帯をポケットに突っ込み、大きくため息をついた。その様子を楽しげに男が見てくるのを感じ舌打ちをすると、大層嫌そうな表情を浮かべて軽く睨んだ。
「おーい小僧、どーすんだよ」
若干子供っぽい口調で言ってくる男を見ながら無表情で考える。少しくらいならば立ったまま、もしくは門の外で待っているのでもいいだろうか。このままこの男の言う通り家に上がって待つのはなんとなく癪である。しばし男と見つめあうと短く呟いた
「あっちで待つからお構い無くー」
先程より警戒がなくなった声色は若干延びていてまた門までの砂利道を歩き出すと次第に足取りは早まり、門の横の塀の前で砂利を蹴り飛び上がった。更に塀を蹴りもう一段と飛び上がり手を伸ばし塀の上に手をかけると、右手から手にかけ力を集中させる。そして塀の上に上がり腰を下ろして座ると足を開き足の間に両手を置いて放り出した足をぶらつかせた。
そんな姿を見やれば男は低く笑いながら塀へと歩み寄る。少し脇辺りに背を凭れさせながら袷に手を突っ込んで煙管を取りだし、古風にも小さな火打石で火ををつけた。煙が風に流され消えていく。何を喋るでもなくただ煙を吸い込み吐き出す、塀の上にいる彼に目を向ける事なくそれを繰り返しながら目を細めた。
「小僧、名前は?」
不意に問いかけた。いきなりの問い掛けに訝しげな表情を浮かべ煙を燻らせる男を見下ろしつつ、はァ?と思わず声に出してしまった。このタイミングで問い掛けてくる男の意図を汲み取れなかったせいでもある。だが無視をするわけにも行かずに呟いた
「橘藤二」
藤の花が二つと書いて藤二、と自分の漢字を空中で見えない透明な字で書き示しながらも足は相変わらずゆらゆらと揺れて、顔は空を見上げ太陽の日差しを眩しそうに瞳を細めて見上げていた。互いに顔を合わせずの会話でそのまま続けるように尋ねた。
「オッサンの名前をはなんてェの?」
そこでようやく顔を空から地に下げて目線を男に向けた。視線が向けられた事に気付くものの敢えてそこは気付かないフリを貫き通すつもりらしく、男は顔を上げない。ふー、と大きく煙を吐き首に手を当てて二、三度コキコキと鳴らして煙管の中の煙草を地に落とした。
「月神雅人だ、覚えとけ」
至極手短に述べれば新しい煙草を取り出し煙管に詰める。どうやら吸うスピードは結構早いらしく、入れた矢先から火をつけ煙を味わっている。ぷかりと煙が浮かんでは消え、時折塀の上まで届く。普通の煙とは少し違うようなその匂いに、無意識のうちに眉を寄せつつ塀にがんがんとぶらつかせた足をぶつけた。時折消えずに塀の上まで届く煙を手で払うようにしてかき消すと沈黙に耐えきれず頭に手をやりがしりと掻くと俺あんたの娘と仲良いから、それに恋人もいるからと呟いた。その言葉はきっとヤクザになるか否かの質問に対しての言葉なのだろう、澄んだ瞳に迷いはなく真っ直ぐに男を見つめるがすぐに目線は上げられて門外の道路へと向けられた。そこに見慣れた友人の姿を視界に捉え、足の間に置いていた手を足の外側に置いて手に力をぐっといれ体を押すと塀から飛び降り彼は友人の方へと走り出した。
娘、その言葉に一瞬男の動きが止まる。塀から飛び降り駆けていくその姿を見ながら、男は煙ともため息ともつかない息を吐き出した。駆けていく彼が向かう先には娘の姿があり、苦笑する。振られたなァ、などと嘯きながら髪の毛をかき回し空を見上げると太陽が強烈な程の暑さで日光を注いでいた。眩しいそれに目を細めれば少し長い髪の毛をかき揚げて片手で風を送る。然程涼しくはないものの気分的にはまだマシだ。彼のように若い訳ではないのだからあんなふうに駆けるような真似事は出来ない、と少し羨ましく思いながら男は自然と口角がつり上がるのを感じていた。
門を一歩出て娘と、合流した彼へと声をかける。
「お前ら中入れ、クーラー効いてンぞ」
その言葉に娘もまた
「中に入ろうよーう、で、チロル食べよ」
と彼を誘うように声をかけて。当然肌をじりじりと焼くような暑さから逃れたかった彼は一言、おう、と相槌をうつとまた門の方へと足先向けて歩を進める。娘は父親に向けて笑みを浮かべてただいま!と声弾ませて走りだし目の前にまで行くと一言二言言葉を交わし互いに笑み浮かべさせ、その笑みは彼に向けられ彼はその笑みに、なのか本当に単に太陽の日差しが眩しいのか目を細めて目の前の二人に向かいゆっくりと歩きだすのか―。
作品名:アホ毛シリーズ:勧誘 作家名:里海いなみ