彼女と私の縁
私と彼女の縁
私の人生、どこで間違ったのだろう。
街の隅っこ、所詮スラムと呼ばれる場所で私は丸くなっている。きつい北風を耐え切るには頼りないダンボールや新聞紙を被るしか暖を取る術は無い。
目の前には光り輝く高層ビル。そこが、かつて私の親友だった人が総責任者を勤める企業の本社だ。
私と彼女は、高校で出逢った。
某県某市に建つ県立N高校。そこは、一応名門と呼ばれている専門校唯一女子が通えるところだった。
私と彼女は、同じ学科だった。
私は高橋、彼女は山城。出席番号からして離れていた私たちは、偶然彼女が話しかけてきたことで縁が繋がった。
「あの、少し……聞いても、いい?」
それが、彼女の声を始めて聴いた瞬間だった。それに私は何と答えただろう? よくは思い出せないが、それを機に、私と彼女の仲はクラス一まであがった。
一年。
「麻美~、お願い! 宿題手伝って!」
彼女と私は、よく勉強の教え合いをした。
「麻美、この部に入ろうよ」
部も同じものを選び、二人でタッグを組んで作品を作ることもしばしばあり、入賞は当たり前、大賞を取ることもあった。そのせいで私たちはいつも二人一セットと覚えられ、どちらかが一人で行動していたら「相棒はどうした?」と聞かれるようになった。それに私たちは揃って、
「別行動中で~す」
と、笑顔で答えたものだ。
それは二年に進級してからも変わらなかった。
同じ学科は、そのまま三年間クラス替えなど無く、離れることの無い学校だった。
とても、充実した毎日だった。
私も彼女も笑顔が絶えず、楽しかった。恋の悩みもし合ったし、同じ話題で盛り上がりもした。
三年など、長いようであっという間に流れてしまった。
――三月。
私たちは涙々に卒業して、別れ、それぞれの道を歩んだ。
私は目指していた洋服のデザイナーとしての道を歩むため、プロのデザイナーである先生の元に就いた。
彼女は彼女で、和服のデザイナーの先生の元に就いて、互いに修行の毎日を送り始めた。
始めはこまめに連絡を取り合っていた私たちだったが、日々の忙しさにおわれ、一年、二年、三年と月日を重ねていく度に連絡もおざなりになりついには稀に新聞に載るお互いを見るだけになった。
そうして、高校を卒業して六年が経った。
私はついに、デザイナーとして独立し、自分のブランドを持つことに成功した。
マスコミに追われる日々。
仕事におわれる日々。
そんな忙しさが、私を変えてしまった。
「ねぇ、麻美? 麻美よね?」
マスコミのフラッシュをあびる私に伸ばしてくる手。
それは、彼女だった。
「ねぇ、私よ? 覚えてる?」
涙を浮かべる彼女。
もちろん、私は覚えていた……。でも、
「……どなた、だったかしら?」
その時の彼女の身なりが、親友と認めることを拒絶させた。
高校時代、輝いていた彼女。
しかし、今の彼女は所々破れたみずほらしい衣服を身につけていた。
――これから私は、夢見ていたデザイナーの道を行くの。
――それなのに、こんな親友がいるなんて知られたら……
――邪魔はさせない!
「では、急ぎますので……」
「まって、待ってよ! 麻美ぃっ!!」
こうして、私は世間体を取り、彼女を捨てた。
後ろで彼女が私を呼ぶ声が聞こえたが、それさえも私の足を止めることは出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇
「……もう、何度言ったら分かるの!? ココはレースを、こうして……っ!」
注文されているウエディングドレスのデザインを仕上げる際、私の怒声が仕事場に広がる。
私はデザインだけして、作製にはノータッチなんてことはしたくなかった。だからこそ、私は熱を入れた。
新人の子は何度も泣き、辞めていった子も多かった。それでも、私のデザインを見て、私の元につきたいと考える子は絶えず、指導にも熱を入れた。
……何年経っただろう。
波に乗っていた私のブランドも、何故だろう、苦情が増えてきた。
『ちょっと! 頼んでいたドレスの裾に綻びができてるわ』
『もう、このウエディングドレスの胸元、頼んでたデザインと違うわよ?』
『ちょっと~、この布、色違うんじゃない? それに、なんだか薄いわ』
そんなお客様の声が飛び交うようになった。
――うるさい
――うるさいっ
――うるさいっ!
私のストレスは、日に日に増していき、仕事に支障をきたしはじめた。
「もう、あなたこの仕事して何年になるの!? どうしてこんな初歩的なミスを繰り返してしまうの?」
「え、でも……それは、こうした方がいいって、先生ご自身が……」
「私がそんなこと言うわけ無いでしょう!?」
その子は、私がブランドを立ち上げてからずっとついてきてくれた子だった。
その数日後、彼女は涙ながらに辞表を差し出してきた。
「……昔の先生が、好きでした。もう、ついていけません」
「そう? なら、もうついてこなくていいわ。さようなら」
「……お世話になりました」
彼女が辞めてから、次々にアシスタントの子が辞めていった。
彼女たちは口々に言う。
『昔の先生が好きでした』
今の私と昔の私、どこがどう変わったのだろう。
誰一人として、そこは言わずに去っていってしまった。
もう、この時の私には気づけなかったのだ。
自分がどう変わってしまったのか……。
それから数日後、相次いでデザインの仕事のキャンセルされていった。
「……はい、山城デザイン事務所です。……え?」
それは、仕事のキャンセルを告げる電話だった。お客様を説得しようと、あれこれ手を尽くしてみた。しかし、強引に切られた電話は、以後、そのお客様からは鳴らなくなった。
そして、私が二十八の誕生日を迎える前に、山城デザイン事務所は……倒産した。
私を始め、多くのアシスタント・従業員が路頭に迷う……と思われていた今回の倒産で、実際に迷ったのは私だけ。
他の子達は前々から別の所から引き抜きの話があったり、今まで私の元で働いていた子が開いた小さな事務所に移ったりと、職に溢れることは無かった。
そして、私は実家に戻った。
「……た、ただいま。お母さん、お父さん……」
久々の実家。
この家を出て、早四年。その間、連絡した回数は一回、両親から掛かってきた電話だけだった。
「? お母さん? お父さん?」
何度玄関先で声を掛けても、返ってこない両親の声。
はじめ、仕事かと思ったが、両親の靴は揃っており、返事を待たずして中へと上がることにした。
そして、茶の間へと入ると数枚の新聞紙と一枚の紙が置かれていた。
『麻美へ
あなたは、自分のことばかり。仲の良かった山城のお嬢さんのことも知らないのでしょう?
彼女のことを書かれた新聞や雑誌を一緒に置いておきます。
お父さんとお母さんは、もう疲れました。
さようなら』
そう、書かれていた。
実際、その下にあった新聞には彼女のことが書かれていた。
私の人生、どこで間違ったのだろう。
街の隅っこ、所詮スラムと呼ばれる場所で私は丸くなっている。きつい北風を耐え切るには頼りないダンボールや新聞紙を被るしか暖を取る術は無い。
目の前には光り輝く高層ビル。そこが、かつて私の親友だった人が総責任者を勤める企業の本社だ。
私と彼女は、高校で出逢った。
某県某市に建つ県立N高校。そこは、一応名門と呼ばれている専門校唯一女子が通えるところだった。
私と彼女は、同じ学科だった。
私は高橋、彼女は山城。出席番号からして離れていた私たちは、偶然彼女が話しかけてきたことで縁が繋がった。
「あの、少し……聞いても、いい?」
それが、彼女の声を始めて聴いた瞬間だった。それに私は何と答えただろう? よくは思い出せないが、それを機に、私と彼女の仲はクラス一まであがった。
一年。
「麻美~、お願い! 宿題手伝って!」
彼女と私は、よく勉強の教え合いをした。
「麻美、この部に入ろうよ」
部も同じものを選び、二人でタッグを組んで作品を作ることもしばしばあり、入賞は当たり前、大賞を取ることもあった。そのせいで私たちはいつも二人一セットと覚えられ、どちらかが一人で行動していたら「相棒はどうした?」と聞かれるようになった。それに私たちは揃って、
「別行動中で~す」
と、笑顔で答えたものだ。
それは二年に進級してからも変わらなかった。
同じ学科は、そのまま三年間クラス替えなど無く、離れることの無い学校だった。
とても、充実した毎日だった。
私も彼女も笑顔が絶えず、楽しかった。恋の悩みもし合ったし、同じ話題で盛り上がりもした。
三年など、長いようであっという間に流れてしまった。
――三月。
私たちは涙々に卒業して、別れ、それぞれの道を歩んだ。
私は目指していた洋服のデザイナーとしての道を歩むため、プロのデザイナーである先生の元に就いた。
彼女は彼女で、和服のデザイナーの先生の元に就いて、互いに修行の毎日を送り始めた。
始めはこまめに連絡を取り合っていた私たちだったが、日々の忙しさにおわれ、一年、二年、三年と月日を重ねていく度に連絡もおざなりになりついには稀に新聞に載るお互いを見るだけになった。
そうして、高校を卒業して六年が経った。
私はついに、デザイナーとして独立し、自分のブランドを持つことに成功した。
マスコミに追われる日々。
仕事におわれる日々。
そんな忙しさが、私を変えてしまった。
「ねぇ、麻美? 麻美よね?」
マスコミのフラッシュをあびる私に伸ばしてくる手。
それは、彼女だった。
「ねぇ、私よ? 覚えてる?」
涙を浮かべる彼女。
もちろん、私は覚えていた……。でも、
「……どなた、だったかしら?」
その時の彼女の身なりが、親友と認めることを拒絶させた。
高校時代、輝いていた彼女。
しかし、今の彼女は所々破れたみずほらしい衣服を身につけていた。
――これから私は、夢見ていたデザイナーの道を行くの。
――それなのに、こんな親友がいるなんて知られたら……
――邪魔はさせない!
「では、急ぎますので……」
「まって、待ってよ! 麻美ぃっ!!」
こうして、私は世間体を取り、彼女を捨てた。
後ろで彼女が私を呼ぶ声が聞こえたが、それさえも私の足を止めることは出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇
「……もう、何度言ったら分かるの!? ココはレースを、こうして……っ!」
注文されているウエディングドレスのデザインを仕上げる際、私の怒声が仕事場に広がる。
私はデザインだけして、作製にはノータッチなんてことはしたくなかった。だからこそ、私は熱を入れた。
新人の子は何度も泣き、辞めていった子も多かった。それでも、私のデザインを見て、私の元につきたいと考える子は絶えず、指導にも熱を入れた。
……何年経っただろう。
波に乗っていた私のブランドも、何故だろう、苦情が増えてきた。
『ちょっと! 頼んでいたドレスの裾に綻びができてるわ』
『もう、このウエディングドレスの胸元、頼んでたデザインと違うわよ?』
『ちょっと~、この布、色違うんじゃない? それに、なんだか薄いわ』
そんなお客様の声が飛び交うようになった。
――うるさい
――うるさいっ
――うるさいっ!
私のストレスは、日に日に増していき、仕事に支障をきたしはじめた。
「もう、あなたこの仕事して何年になるの!? どうしてこんな初歩的なミスを繰り返してしまうの?」
「え、でも……それは、こうした方がいいって、先生ご自身が……」
「私がそんなこと言うわけ無いでしょう!?」
その子は、私がブランドを立ち上げてからずっとついてきてくれた子だった。
その数日後、彼女は涙ながらに辞表を差し出してきた。
「……昔の先生が、好きでした。もう、ついていけません」
「そう? なら、もうついてこなくていいわ。さようなら」
「……お世話になりました」
彼女が辞めてから、次々にアシスタントの子が辞めていった。
彼女たちは口々に言う。
『昔の先生が好きでした』
今の私と昔の私、どこがどう変わったのだろう。
誰一人として、そこは言わずに去っていってしまった。
もう、この時の私には気づけなかったのだ。
自分がどう変わってしまったのか……。
それから数日後、相次いでデザインの仕事のキャンセルされていった。
「……はい、山城デザイン事務所です。……え?」
それは、仕事のキャンセルを告げる電話だった。お客様を説得しようと、あれこれ手を尽くしてみた。しかし、強引に切られた電話は、以後、そのお客様からは鳴らなくなった。
そして、私が二十八の誕生日を迎える前に、山城デザイン事務所は……倒産した。
私を始め、多くのアシスタント・従業員が路頭に迷う……と思われていた今回の倒産で、実際に迷ったのは私だけ。
他の子達は前々から別の所から引き抜きの話があったり、今まで私の元で働いていた子が開いた小さな事務所に移ったりと、職に溢れることは無かった。
そして、私は実家に戻った。
「……た、ただいま。お母さん、お父さん……」
久々の実家。
この家を出て、早四年。その間、連絡した回数は一回、両親から掛かってきた電話だけだった。
「? お母さん? お父さん?」
何度玄関先で声を掛けても、返ってこない両親の声。
はじめ、仕事かと思ったが、両親の靴は揃っており、返事を待たずして中へと上がることにした。
そして、茶の間へと入ると数枚の新聞紙と一枚の紙が置かれていた。
『麻美へ
あなたは、自分のことばかり。仲の良かった山城のお嬢さんのことも知らないのでしょう?
彼女のことを書かれた新聞や雑誌を一緒に置いておきます。
お父さんとお母さんは、もう疲れました。
さようなら』
そう、書かれていた。
実際、その下にあった新聞には彼女のことが書かれていた。