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すずきたなか
すずきたなか
novelistID. 3201
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音の撒い散る

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写真部の部室は理科棟四階、旧男子トイレの前に設置されている。きちんとした部屋ではなくて、いかにも後付けで扉と壁を付けましたー、という感じに区切られた一角だ。目の前の男子トイレは潰されて、中は漫画研究部が使っている。隣の女子トイレは暗室になっていて、正直そっちの方がよほど広かった。どちらにしても鍵は壊れていて、防犯機能はないに等しい。とはいえ盗まれて困るものなんて椅子と机くらいしかない。
というわけで、写真部部室には教室に置いてあるような机(かなり年代物で表面は彫り込まれた落書きだらけ)が二つと、椅子が三つ、一応アルバムがしまってあるカラーボックスがひとつあるだけだ。何しろ狭いのでそれだけでも圧迫感が酷い。轟はその中の椅子を二つ占拠して、実に横柄な態度で漫画を読んでいた。どこから持ってきたのか、シリーズ物を十冊以上机に積んでいる。授業が終わってから延々と読み進め、既に三冊目だった。残念ながらここには轟の邪魔をするような騒音は何もない。私は大人しくカメラをいじっているし、隣の漫研もやっぱり静かだし、放課になってからいちいち理科棟の四階まで来るような奴もいないし。
「……やっぱり、名前だよね」
轟は漫画から目を離さずそう呟いた。ひとり言かと思ったが、続けて本をぱたんと閉じるとだらしなく上げていた足を下ろして椅子に座り直す。そして私を見る。何だ、私に言ってんのか。
「やっぱり、名前だよね?」
「何が名前なのさ」
「いやいや、私の名前だよ。鈴木とか田中とか山田とかさあ、無難な静かな名前がよかったんだよ」
ああ、と私もカメラから目を話した。轟は普段からこの画数の多くて男気溢れる苗字を嫌っており、ことあるごとに名前の話をする。
「分かりやすくていいじゃん」
「そりゃーシズカはさ、いいよね、何か大人しい感じだし、ってか名前っぽい」
私の名前は静河遥。シズカは苗字を略したあだ名であって、発案者は目の前の背の低い女子だった。轟結奈はこの年齢の平均身長より十センチ以上低い。その癖に態度は横柄で声も大きいので、こちらを威嚇する猫みたいな印象を受ける。
その言い草じゃあ轟が合ってるよ、とは過去に何回も言っているので今回はスルー。私は再びカメラに目を落とすと、いかにもやる気なく語尾を引き取ってみる。
「じゃー轟もそれっぽいあだ名付けてもらったら」
「例えば?」
「トド」
「いじめ?それシズカなりのいじめ?」
「じゃあロッキー」
「大人しいってところが消えてんだけど」
「トドロッキー」
「長っ、長すぎっ」
この横柄チビに何を言っても無駄だ。というかこの苗字を生かす可愛いあだ名なんてあるわけないだろ。私は手にしたインスタントカメラをいじりつつ(フラッシュスイッチを入れたり切ったり)、それ以上の追求を避けるべく椅子に深く腰かけた。古い椅子はわずかな力でもギシリと大袈裟に軋む。
不意に圧迫感が増したので顔を上げて、思わずひぃっと悲鳴が出た。漫画タワーを器用に避けて、のたうち回る蛇みたいに机の上を這ってきたらしい轟が、私の目の前に迫っていた。悪いが本当に気持ち悪い。彼女は首だけをくいっと曲げて、今度は手まで使って身を乗り出してきた。
「カメラいじってんじゃないわよしかもインスタントを」
「や、これ私のだから」
「ほんとさー、写真部って言っても使ってるカメラはインスタントばっか、ってんだから参っちゃうよね」
偉そうなことを言っているが轟も使っているのは千円もしないインスタントカメラだった。デジタルと併用していて、ごくごく稀に、壊れたみたいにいい感じの写真が撮れるのがお気に入りらしい。
くん、と上げた目が私と合う。何だ、どうして目を合わせる。轟は背が低いので、誰かと喋る時は大抵見上げる形になるけど、いつもすぐそらしていた。かくいう私も他人の目なんて見て話したことがない。
顔が近いからだろうか、妙に緊張した。それは轟も同じだったみたいで、乗り出した体を少し沈めて心臓を押さえる。いや、これは単に背筋が少ないのか。
「やっば、今ちょっとドキドキした」
「そりゃ、ポーズ考えてみてよ、馬鹿みたいだよあんた」
「シズカ、ちょっとさ、ちゃんと椅子に座ってみてよ」
私の語尾を奪って、轟はそう要求した。ほとんど命令に近い。それが達せられるものだと思い込んでいる上目遣いだ。逆らうのも面倒で椅子に座り直す。ますます轟と近くなる。パーソナルスペースマイナス三十センチって感じ。何がしたいの。
轟は脚の生えた蛇みたいににゅるっと腕を突き出し、私の上腕を押さえた。そのままがたがたと机を移動し、額がぶつかるほど近くまで移動する。轟の息が鼻にかかって気持ち悪い。身長が高い人の気分が味わいたかっただけかよ、と私は彼女の肩を押す。
「近い」
「緊張しちゃって」
「そりゃあね」
「ドキドキしない?」
これだけ顔が近ければ当たり前だ。よく見れば、轟の常に持ち上がっている眉毛が少し緩み、鼻息も荒い。恋する乙女というよりはお預けを食らっているパンダだ。私は餌か。
「しっシズクァがはっ、シズカちゅーしていい?」
噛みやがった。
予想通りの質問。どこからこんな予想を持ってきたんだと少し空しくなる。どうやったらあだ名の議論からこんな妙なムードになるんだ。お前は顔が近付いた人間なら誰でもいいのか。私は目を細めて予想通りの答えを返す。
「いや」
「よいではないか、ってかする」
「何で」
「理由はない」
「学校なんですけど」
「誰も見てないって」
轟はエロ漫画の主人公みたいな台詞を呟く。今読んでいた漫画にでも影響されたのかよ。確かに理科棟だけが四階造りで、一応壁があって、静かで、物音も人の気配もなくて、扉は鍵がかからなくて、なんて言い訳を私が頭の中に思い浮かべている間に、轟結奈は最後の背筋と握力を使って、がちっと私の口に自分の口をぶつけた。
痛いんですけど!
「ッた……」
「あわ、ごめん」
ごめんと言ったはいいものの、空恐ろしいことに轟は私の肩を離さない。何故かもう一度口付けた。今度はゆっくりだ。心臓が馬鹿みたいに高鳴る。何やってんのこの子。轟に触っている掌が、彼女の脈数を伝えている。おいおい、私も轟も興奮しすぎだ。分速百五十超の心拍数。他に誰か入ってきたらどうするつもりなんだろう。というかさっさと抵抗して楽になっちゃえよ自分。轟がぐいぐい私を押すので椅子がギシギシ動き、椅子の足は半分持ち上がっている。お互い慣れないようで呼吸をするたび口が離れた。しかし解放されないまま十回くらいリピート。ふぁっとかはぁっとか妙に生々しい呼吸音がして、そろそろやばくないか、って手前、轟の舌が私の咥内に入る直前で、浮いていた椅子の足が限界を迎えた。
ズガガガン!とでも言い表せそうな凄まじい音がして、私は轟ごと後ろにひっくり返った。背中を思いっ切り打って涙が出るほど痛い。うああ、と声を出す前に、漫研の子達がノックもなしに飛び込んでくる。
「だっ、大丈夫、ですか!」
「凄い音がしたんですけど……」
大人しそうな子達(よく見れば下級生だった)は、部員二人が重なって倒れている状況より、それによって引き起こされた災害の方に目を向けてくれているようで、私は乗ったまま動かない轟を床に捨てて苦笑いで対応する。
作品名:音の撒い散る 作家名:すずきたなか